小野晋也先生と行く 「韓国・全羅南道訪問五日間」
日本と隣国韓国との関係が、いつまでも冷え切ったまま
では駄目と誰もが思っている。原因は両国の歴史認識の
ズレ。
「悪いのは相手国、相手国が間違っている」と、
いつまでも平行線のまま・・
それが「竹島問題」「教科書問題」「靖国神社参拝」など
に表われてくる。
ただ「仲良くしよう」と呼びかけても、わだかまりが抜け
ない限り、心を開いてはくれないだろう・・
今回の韓国訪問で、ジカにこの目で見、じっくり話を
聴くことができた。
韓国側から日本を見たとき、過去の歴史認識が全く
正反対であることを知った。
40年近く日本の統治下に置かれ、みじめな生き方を
強いられてきた祖父母の時代の悲しみや感情は、
薄っぺらな歴史認識しかない私が、どうのこうのモノを
言う資格はなさそうです・・
1298 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
小野晋也先生と行く
「韓国・全羅南道訪問五日間」
7月31日から、元衆議院議員・小野晋也先生を囲む
学びの会の皆さんに混じって、韓国の歴史を学ぶ旅に
行ってきました。
参加者は全国から、地方議員、国会議員秘書、大学関
係者、事業経営者、そして松下政経塾の塾生4名など、
総勢27名。
初日は、麗水・鎮南館(ヨス、チン・ナムグァン)を見学。
韓国の南、日本に最も近い全羅南道の麗水市内にあり、
秀吉の朝鮮出兵の時、韓国水軍の大本営が置かれた所。
写真の石像は、本営まで迫ってきた日本軍に対し、本営
に兵士が沢山いるように見せかけるための疑人。
この時の戦いで本営は焼けてしまったが、戦後再建され
た。2001年国宝に指定。
二日目は、順天倭城(スンチョン・ワジョウ)を見学。
1599年に秀吉軍が三方海に囲まれた、天然の要害に
築城の時、周辺の海が遠浅で、救援物質の搬入に不向き
と、候補地から外されそうになった時、秀吉のツルの
一声で決まったという。
実際、明・朝鮮水軍が攻め寄せたが、遠浅で攻めあぐね
た。