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2015年06月 アーカイブ

2015年06月03日

寓話 「匠の技/包丁解牛」

相対する「老荘思想」と「孔孟思想」


孔子孟子の「孔孟思想」が、秩序を重んじるとすれば、
老子や荘子の「老荘思想」は、自然にあるがままに・・
ということになる。

老子の思想は、純粋無垢な赤子の生き方・・柔軟で
柔らかい生き方が最も強い生き方と説いている。


荘子は老子より気宇壮大で、話が大きい。

生死の問題に言及しているのが特徴・・老子より
具体的に人間の生き方、命について、分かりやすく
説いている。

老子ほど身近な感じはしないが、悩める現代人の
指針になる言葉が見つかるだろう。

                                           道家<道>学院


1282 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

寓話 「匠の技/包丁解牛」


荘  子(推定・紀元前369~286)は、中国の戦国時代の宗国の思想家で、老子とともに道教の始祖のとされ、老荘思想として道教の神に崇められている。

著書「荘子(そうじ)」は、内編七編、外編十五編、雑編十一編からなり、
内編は”寓話”を多く用い、読む者を夢幻の世界へと引き込んでいく。


荘  子「養生主編・第三」

包丁(料理の名人・丁)があるとき、魏の恵王・文恵君のために牛を料理した。その時、手でさわり、肩を寄せ、足をふんばり、ひざ立ちする彼のしくさが、一つひとつ節度をわきまえ、しかも、刀が肉を割く音は音楽のようだった。

その様子を見た文恵君・・技(わざ)は、ここまで高めることが出来るものか・・と驚いた。

包丁は進み出て言った・・

「私が求めているのは”道”であって、手先の”技”以上のものです。

私が初めて牛を料理したときは、目に映るものは牛ばかりでしたが、

三年もすると、牛の全体は目に入らなくなりました。


この頃は、私は心で牛に対していて、目で見ているわけではありません
・・
知覚は働きを止め、精神、心の中の自然な動きだけが働いているのです。

天の理(本来の自然な道筋)に従って、牛の各部位の大きなすき間に
刀刃をふるい、
大きな空洞に沿って走らせ、牛の本来のしくみに
その まま従っているのです。


脈が複雑に入り組んだところや、肉と骨がからまったようなところでさえ、

試し切りをすることはありません。

ましてや、大きな骨のかたまりのところは、なおさらです。


腕のいい料理人でも刃こぼれするので、一年くらいで牛刀を取りかえる。
ほとんどの料理人は、ひと月ごとに取りかえても、刀を折ってしまうのです。

私の牛刀は19年使い続けて、数千もの牛をさばいてきましたが、

その刃先はたった今、砥石で仕上げたようです・・


包丁の匠の技を見た文恵君は、感嘆の念を漏らした。

「実によい教えを受けた・・包丁の話を聴いて、今後の養生の道を得た」

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宮本武蔵がそうであるように、たゆまぬ努力と経験の積み重ねによって技が磨かれ、名人から更に”匠”へと昇りつめていくのです。


身近にはゴルフ・・ゴルフを始めた頃は、球を前に真っ直ぐ飛ばそうと

必死に当てにいったが、今は球を打ちにいくのではなく、力みのない
自然なスイングワークで、心に描いたスイングを心掛けるようにしている。
私のような高齢で運動神経のにぶい人間でも、毎日休まずコツコツ練習していれば、その内に力が抜け、無駄な動きが減って、 少しづつだが
上達して、 ゴルフとは何ぞや?が分かってくるようになる。

 

2015年06月07日

故事から学ぶ 「井の中の蛙大海を知らず」

荘 子


荘  子(推定・紀元前369~286)は、
中国の戦国時代の宗国の思想家です。

老子とともに道教の始祖のとされ、
老荘思想として道教の神に崇められている。


著書「荘子(そうじ)」は、内編、外編、雑編
からなり、”寓話”を多く用いて、

読む者を夢幻の世界へと引き込んでいく。



1283 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

故事から学ぶ 「井の中の蛙大海を知らず」

■荘  子(外編・第十七)秋水編の中の一文です。


「井蛙は以って海を語るべからざるは、虚にかかわればなり。
  夏虫は以って氷を語るべからず・・」

(あなたが井の中の蛙に、海洋のことを分からせることができないのは、
  蛙がいる棲みかがごく狭いからだ。
  あなたが夏の虫に、氷のことを分からせることができないのは、
  その一生がごく短いからだ )


「井の中の蛙大海を知らず」とは、狭い見識にとらわれて、
他に広い世界があることに気づかないまま、自分の住んでいるところがすべてと思い込み、得意がっている人のことを言います。


ところでこのことわざに”下の句”があるとしたら・・
蛙はなんと言うでしょうか?

狐は井戸の底を覗き込み・・
可愛そうに、井戸の底から見上げる世界は、丸くて小さな空があるだけ・・それに引き換え僕は、春・夏・秋・冬、野山を駆け巡り、小川で遊び、楽しいことだらけだ・・
「 井の中の蛙  大海を知らず 」と狐は憐れんだ。

蛙は胸を張って反論した・・「 されど天の高さ(深さ)を知れり 」と


毎日飽きもせず天空の一点を見上げている蛙。日々姿を変えていく
天空。お星さまのことなら誰にも負けないよ・・天に輝くお星さまは、
何と奥が深く素晴らしいんだろう・・狐さんには分からないだろうな。

だからちっとも淋しくないし、狐さんをうらやましいと思ったことはないよ・・

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狐は、人生を広く浅く・・蛙は、一つことをどこまでも深く。
どちらの生き方が良いのか? 本人がそれでいいのなら・・

どちらでも良いではないか。

2015年06月10日

現代版/井の中の蛙大界を知らず

よく知ることわざの「下の句」


・「柔よく剛を制す」 ・・  「剛よく柔を断つ」


・「天は人の上に人を造らず」 ・・ 「人の下に人を造らず」

・「早起きは三文の得」  ・・ 「長起きは三百の損」


・「男は度胸 女は愛嬌」 ・・ 「坊主はお経」


・「子どもは風の子」 ・・ 「大人は火の子」 
  (子どもは寒さに強く、大人は寒さに弱い)



1284 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「現代版/井の中の蛙大界を知らず」

井戸の中に、大きな蛙が住んでいました。


ある夜のこと、井戸の中に小さな蚊が迷い込んできました。
蛙は、久しぶりにごちそうにありつけると、大きな口を開けました。
食べられまいと、小さな蚊は、あちこち壁にぶつかりながら、
逃げ回りました。
小さな蚊は飛び回りながら、叫びました。
「蛙さん・・話を聞いてよ! 井戸の外はもっと大きな蚊もいるし、

  もっと大きな蛙がいることをご存じ?」


自分より大きな蛙がいることを聞いた井の中の蛙・・
「その大きさは・・これくらいか?」とお腹を膨らませて尋ねました。

「そんなもんじゃありませんよ!」と蚊が言うものだから、
蛙はさらにお腹を大きく膨らませました。


「もっともっと大きいよ!」と蚊は言い続けた・・
蛙はますます大きく息を吸って、お腹を膨らませました。

すると蛙は、井戸の上部に向かって、ふわりふわりと上っていくでは
ありませんか。

生まれて初めて地上に出た蛙は、宙に浮いたまま、
地上の世界を見回し・・驚いた。

大地は広く、井戸の周りには、たくさんの牛が草を食べたり、
水を飲んだりしている。


驚きのあまり、お腹の空気がぬけてしまい、草原に落っこちてしまった。
蛙の背中に乗って、ちゃっかり地上に出た小さな蚊は、
空のどこかへ飛び去っていった。


さてさて蛙さん・・たくさんの牛の群れからどうやって逃れたか・・
それとも踏みつぶされてしまったか・・
その後の行方は、誰も分からずじまいでした。
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世間知らずを例えて「井の中の蛙」という。己の実力が何ほどかも知らず、己の器の大きさを見誤った経営者・・自らが描く大きな夢に向かってしゃにむに事業拡大・・
あげく、時代の変化に対応しきれずに倒産・・そんな悲劇を数えきれず見てきた
私。分相応に「井の中の蛙」でいた方が、幸せだったかもしれない。

2015年06月17日

ことば遊び 「落語・かんしゃく」

■大正時代に流行した「コロッケの唄」


一.ワイフ貰って  嬉しかったが 
     いつも出てくるおかずはコロッケ 
    今日もコロッケ  明日もコロッケ
    これじゃ年がら年中  
     コロッケ コロッケ
     アハハ アハハ こりゃ可笑しい

二.晦日近くに    財布拾って
      開けてみたらば 金貨が 
      ザックザク ザックザク
     株を買はうか 地所を買はうか
     思案最中に 眼が覚めた
     アハハ アハハ こりゃ可笑しい


1285 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

ことば遊び 「落語・かんしゃく」

明治末に三井財閥の一族・益田太郎冠者が、初代三遊亭円左の
ために
書き下ろした落語です。


♪ある大金持ちの旦那・・大変なかんしゃく持ちで、
暇さえあれば
「あそこが悪い、ここが悪い」と小言ばかり言うので、
奥方も使用人も戦々恐々。


今日も、当時はまだ珍しい自家用車で帰宅するや・・
書生や女中をつかまえて、
やれ庭に水が撒いてないの、
天井にクモの巣が張っているのと、
文句の言い通し・・


奥方には、茶が出ていない、妻としての心がけがなっていないなど、
ガミガミ。座敷で主人の帰りを待っていた客が、恐れをなして退散して
しまった。

それにまたかんしゃくを起し、「主人が帰ったのに逃げるとは無礼な奴、首に縄かけて引き戻して来い・・」と言うに及んで、
さすが辛抱強い奥方も愛想をつかした。


妻を妻とも思わない、こんな家にはいられませんと、とうとう実家に
帰って
しまった。
実家の父は・・出戻ってきた娘のグチを聞いて・・そこは堅い人柄。
いったん嫁いだ上は、どんなことにも辛抱して、亭主をたてるのが
女の道だ。
辛抱すれば、そのうちに情が通って、万事うまくいくのが夫婦だから

「短気を起こすではない」とさとす。
一度、家の者を総動員して、亭主がどこをどうつついても文句が
言えない
くらいに、家の中の始末をしてごらん・・とアドバイスして、
娘を送り返す。

奥方、言われた通り、家中総出で大掃除。

そこへ旦那が帰ってきて、いつものように「おい・・いかんじゃないか

入口に箒を立てかけて・・」と見ると、きれいに片づいている。

「おい・・帽子かけが曲がって・・いないか」「庭に水が・・撒いてある」

「ウン・・今日は大変によろしい・・おいッ!」

『まだ何かありますか?』
「けしからん・・これでは・・怒ることができんではないか!」

2015年06月21日

青は藍より取りて 藍よりも青し/荀子

一流と超一流の違い


「プロになりたいのなら 百回やれ!

一流になりたいのなら 五百回やれ!
超一流になりたいのなら 千回やれ!」


※ゴルフ・・シングルは千回努力しているが、
私のような100叩きは、百回も練習しない


「一頭の狼に率いられた 百頭の羊の群れは

  一頭の羊に率いられた 百頭の狼の群れに勝る」

                                           ナポレオン・ボナパルト



1286 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「青は藍より取りて  藍よりも青し/荀子」


荀子(じゅんし・前313~238?)は戦国時代の思想家で儒学者。
荀子の思想は「性悪説」で知られ、「荀子・20編」他著作は
多数。
後世の儒学に大きな影響を与えている。


荀子の「青は藍より取りて藍よりも青し」はよく知られる格言です。

荀子はこの言葉を例えにして、弟子たちに勉学の大切さを説いている。


君子曰く   
学は以って已(や)むべからず

(  君子は言った。学問は、途中で止めてよいというものではない  )

青はこれを藍より取りて   
藍よりも青く

氷は水これを為して    水よりも寒(つめた)

(  青色は、藍の草から取り出すが、藍色よりもいっそう青く
    氷は水からできるが、水よりも冷たいと   )


木直なること縄にあたるも   
(たわ)めて以って輪と為せば その曲なること規にあたり    槁暴(こうばく)ありといえども
(ふたた)び挺
(てい)せざるは  
(じゅう)これをして    然(しか)らしむるなり

(  木材に直線を引く墨縄に違わないほどの真っ直ぐな木でも、
  外から力を加え、曲げて車輪にすると、その曲線はまさしく丸く、
  完全に乾き切っても、もはや真っ直ぐな形に戻らないのは、
  曲げるという外部からの力がそうさせるのである  )


故に木縄
(きじょう)を受くれば    即ち直(なお)
金砺(きんれい)に就けば    即ち利(するど)
君子博(ひろ)く学びて    日に己に参省すれば
即ち智明らかにして   行い過ちなし

(  だから、木は墨縄を引かれたら、真っ直ぐに作り上げられ、

  金物は砥石で磨き上げれば、鋭利になり、優れた人になるには
  博く学を身に付け、日に自分を省みることによって、
  自然に知恵も明らかになり、行動にも過ちがなくなるだろう  )


故に高山に登らざれば    天の高きことを知らざるなり

深渓(しんけい)に臨まざれば    地の厚きことを知らざるなり
先王の遺言を聞かざれば    学問の大なることを知らざるなり
( だから高い山に登らなければ、天は高いということが分からない。

  深い谷の中に下りなければ、大地の厚みがわからない。

  優れた先生が残した言葉を学ぶことがなかったら、
  学問をすることの大切さが.分からないだろう  )

※繰り返し三回、一週間毎朝素読を続けたら・・

2015年06月24日

日本の指導者の指導力・評価

作家・塩野七生


私の好きな歴史小説は、司馬遼太郎の「坂の上

の雲、項羽と劉邦」、宮城谷昌光の「晏子、楽毅」
そして塩野七生の「ローマ人の物語、十字軍物語」
など・・
中でも塩野七生の戦記小説は、国家の存亡を
かけたキリスト教世界とイスラム世界の、手に汗
を握る激しい覇権闘争の真っただ中へタイムス

リップする。
主に、ローマ誕生以降の歴史を小説の題材に

する塩野七生は、昭和12年東京生まれ。
学習院大卒、イタリア在住の女性作家です。



1287 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「日本の指導者の指導力・評価」


宗教の違いから、世界いたるで所で民族が争い、せめぎ合いが繰り
返されている。
内政や外交の難しい課題に正面から取り組むには、
国を率いる指導者の資質や手腕が重要な要素になってくる。


ローマ帝国の興亡や十字軍などの歴史を通して、様々なリーダー像
を 描いてきた作家の塩野七生さん・・

今の日本が置かれている状況と政治を、以下のように評価している。


「久しぶりに帰ってきて感じたのは、日本がエースで勝つようになった
ということ・・
トヨタ自動車とか日立製作所が良くなってきた・・
安倍晋三主相もエースだ・・エースで勝つと一番いいし、座りがいい。


エースとはどういうものか? プロ野球、大リーグの田中将大投手は、
前日やられた時チクショーと思ったに違いない。

次の試合で三振の山・・この気合いだ!
今国会・・安倍さんは安保を乗り切れるかどうか・・彼次第です。


エースを中心に前進するのが確実な「ジャパン・イズ・バック」

安倍さんはまだ三振で打ち取っていない・・
だから「帰ってきたエース」になってくださいと言いたい。


アベノミクスでようやく日本が動き出した。

イタリアの朝のテレビで日本のニュースといえば、福島の原発事故
で 漏れたくらい・・各国の株式市場が映っても、香港とか上海が中心
で 日本はなかった・・最近になって日経が出てきた。


日本が大きく右傾化したと海外メディア・・一部には正確でない情報も
あります。

ジャーナリストは基本的に左派だ・・日本のことを本当に知って報道
するのではなく、中国とか韓国の報道を見ながら日本を見る。

失礼ながら、日本のメディアからの海外への発信力は全くない。

諸外国の有名なメディアが、必ずしも正しい報道をするとは限らない。

外交上自国に不利益になることには、政府の報道官は平然とウソの
発信をする。
外国に暮らしていて身にしみて感じている。

                                                                          日経「日曜に考える」より

2015年06月28日

日本の指導者の指導力・評価(2)

「海賊と呼ばれた男」


百田尚樹氏のベストセラー「海賊と呼ばれた男」
は、異端の経営者/出光興産の創業者・出光

佐三氏がモデル。

敗戦で、裸一貫築き上げてきた企業資産全てを

失ったが、「愚痴を言うな!直ちに建設にかかれ」

1人の社員も首にせず、戦後次々ふりかかる
苦難を乗り越え、大企業に成長させた、 義に
厚いサムライのような、熱き男の物語です。


私が昨年読んだ本の中ではナンバーワンだ!
読み応えがあり、お奨めです。
2013年には”本屋大賞”を受賞している。



1288 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「日本の指導者の指導力・評価(2)」


ローマ帝国の興亡や十字軍などの歴史を通して、様々なリーダー像を
描いてきた作家の塩野七生さん・・
イタリアに住んでいて、日本はどう 映るのか?
今の日本が置かれている状況と政治を、以下のように評価している。


異質な価値観をもった近隣諸国と付き合っていくうえで、
『近隣諸国と仲良くあるべきだ』というのは日本人だけの思いだ。
近隣とは常に問題があり・・摩擦が起きないという方がおかしい。


日本人は、これからも隣国と絶対の友好はないと思えばいい。

しかし、近隣国ゆえの突破口はある・・それは、経済関係がより密であるということだ。
中韓両国とは、政治的な関係改善を急がない方がいいと思う。


イスラム国とキリスト教国の価値観の違いは、中韓と日本の関係 とは
比べようがないほど大きい。
それでもなお長い年月をかけ、修復しようと努力している。


現状を改革しようとすれば、必ずぶつかる。 歴史に名を残すリーダーは、改革を恐れない。 リーダーがぶつかることを恐れたら、その時は
それでいいかもしれないが、後世には何の影響もなく、何も残せない。


良い人の生涯を書こうとすると、時代が書けない。
あちこちで周囲とぶつかる人を書くと、何で、誰とぶつかったのかで、
その時代が描ける。
名前を挙げれば、出光興産の出光佐三がそうで
あろう。
改革を為しとげ、後世に名を残すリーダーは「これでいいわけ?」と
現状に疑問を持って臨んでいる。


社会の発展はシンプルだ・・疑問を持つことだ。
疑問を抱かず現状に甘んじるリーダーは、いかに成績が良く東大を
出ていても、それはただ学校成績が良かったということだけだ。

国会で多数党を率いる安倍主相は、民主的方法で政治を改革する力を手に入れた。なのに、反対派におじけ付き、国民の支持率を気にして
何もしなかったら、政治家でないだけでなく、男ではない。

日本をしょって立つ政治家だからこそ、国民には見えない、 日本の未来を憂う気持ちが強いのです。

                                                                           日経「日曜に考える」より

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