■福沢諭吉のエピソード
1860年米国から帰国した福沢諭吉は、
日本に上陸した直後の浜辺で、 出迎えの
木村摂津守の家来に・・
「何か日本に変わったことはないか」と尋ねた。
家来は顔色を変えて「イヤあ・・あったとも
あったとも・・大変なことがあった」と言う。
福沢はそれを押しとどめて・・
「言うてくれるな・・当ててみせよう・・何でも
これは水戸の浪人が、井伊様の邸に暴れ
込んだというような・・そんな事ではないか?」
と、桜田門外の変を正確に言い当て、
家来を驚かせたという。
1276 【心と体の健康】
「福沢諭吉の人生論」
『人生本来 戯れと知りながら
この一場の戯れを 戯れとせずして 努力せよ』
福沢諭吉「福翁百話」
『 宇宙にわが地球の存在するは、大海に浮かぶ芥子(けし)の
一粒と言うも、中々おろかなり。
人間と称する動物は、この芥子粒の上に生まれ、
また死するものにして、生まれて、その生まるるゆえんを知らず、
死して、その死するゆえんを知らず・・
よって来たる所を知らず、去ってゆく所を知らず・・
五・六尺の身体、わずか百年の寿命も得難し。
塵のごとく、ほこりのごとく、溜水に浮沈するボウフラのごとし・・
カゲロウは、朝(あした)に生まれて、夕(ゆうべ)に死すといえ
ども、人間の寿命と差したる相違あらず・・(中略)
一秒一時の遅れば、日月も小なり・・地球も微なり。
まして人間のごとき無知無力、見る影もなきウジ虫同様の
小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、
喜怒哀楽の一夢中・・たちまち消えて痕跡もなし。
しかるに、かの凡俗の俗世界に貴賎貧富、栄枯盛衰などとて
孜々(しし)経営して、心身を労するその有様は、一寸先に何が
起こるかも知らず、おかしくもまた浅ましき次第なれども、
すでにこの世に生まれ出たる上は、うじ虫ながらも
相応の覚悟なきを得ず。すなわち、その覚悟とは何ぞや・・
人生本来戯れと知りながら、この一場の戯れを戯れとせずして、
あたかも真面目に勤め、貧苦を去って富楽に志し、同類の邪魔
せずして自ら安楽を求め、五十、七十の寿命も永きものと思うて、
父母に仕え、夫婦相親しみ、子孫の計をなし、また世の中の
公益を計り、生涯一点の過失なからんことに心がけることこそ、
うじ虫の本分なれ・・(中略)
ただ戯れと知りつつ戯れるは、心安くして戯れの極端に走る
ことなきのみか、時には俗世界百戯の中に雑居して、
ひとり戯れざるもまた可なり。
人間の安心法は、およそこの辺りにありて、大きな過ちなかるべし 』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一度や二度読んだくらいで、言葉の意味を理解できるはずもなく・・
繰り返えし読むうちに、福沢翁が言わんとする人生の奥深さが見えて
くる ・・ 人生はかげろうのようなもの。
この一夜の夢のごとき人生を、 孜々として勤めるのか、
全く酔生夢死のようにして過ごすか・・
人生は、努力したから・・蓄積されたからと、結果が出るものでもない。
そういう不確かなものだから、一場の戯れだと知れ・・
しかし、一場の戯れであっても、努力を怠ってはならない!
努力して報われなかったからといって、苦悩するな・・
本来、人生は戯れじゃないか・・
福沢諭吉の人生論は、相反する相対論を、二元論的に展開していくの
です。