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2015年03月 アーカイブ

2015年03月01日

ことば遊び 「落語・締め込み」

江戸の取り締まり


江戸時代・・商家に押し入り、10両以上盗む
と死罪を言い渡される。
空き巣は「出来心」で、戸締りしていない家に
忍び込んだ、ただのコソ泥・・初犯は情状酌量
され、「叩き50」程度の お目こぼしになった。

その叩き・・厳密に数が数えられ、間違えて

一つでも多く叩いたら、現場の役人はけん責

され、時に、首になることもあったとか・・


鬼平火盗改め捕り物帳でお馴染みの「盗賊」は

出来心のコソ泥とは違い、計画的に心張棒を
外して侵入した賊ゆえ罪は重く、土蔵に押し

入った場合は・・盗んだ金額にかかわらず死罪
になった。



1257 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「落語・締め込み」


古典落語には、お人好しで正直者や間の抜けた人物が登場する。
八っあん、熊さん、それにボ~っとしていてちょっと抜けた与太郎・・
ふにゃふにゃと頼りなく、いろいろ問題を起すが、愛すべきキャラクターです。
ある長屋へ空き巣に入った泥棒・・

火がおきていて、ヤカンの湯がたぎっているので、まだ遠くには出かけていないと、大慌てでめぼしいものを物色し、風呂敷に包み上げ、ウントコショと退散しようと思ったら・・運悪く主人が帰ってきた。


慌てた泥棒・・包みを放り出すと、台所の床板をはずし、急いで縁の下へ 避難する。

主人・・風呂敷包みに目がいき・・開けると、中は我が家の品物ばかり。

早とちりした主人・・女房に間男ができ、駆け落ちする算段だと勘違い
する。

ちょうど湯から帰宅した女房に「このアマ!とんでもねェやつだ」と一喝。

あらぬ疑いをかけられた女房・・逆上して大喧嘩に発展した。

元々夫婦仲はいいだけに・・お互い掴み合いの大興奮!


どうにも怒りが収まらない主人・・
火鉢にかかっていたヤカンを、女房に向かって投げつけた!

狙いが外れたヤカン・・ひっくり返って熱湯がぶちまけられた。

縁の下の泥棒・・頭から湯をかぶって「アチャチャチャ」と飛び出してきた。

そして、やおら喧嘩の仲裁を始めた。
『旦那・・落ち着いてください・・おかみさんも』
「やい!てめえが間男か!」     『いえ・・泥棒です』


泥棒・・盗みに入ったと白状したので、夫婦は「これで別れずに済む」と仲直り。
泥棒さんに感謝して、酒を飲ませてやる。

『これを機会に・・またちょくちょく』
「冗談じゃねえ・・そうちょくちょく来られてたまるか」

すっかりご馳走になった泥棒・・酔いつぶれて寝てしまう。


仕方がねえと布団をかけてやり、夫婦も寝ることにした。

「おい、不用心でいけねえ・・もう寝るから。表の戸締りをしろ!」
『あのう・・泥棒はもう家の中に』


「それじゃあ・・家の外からカンヌキをかけ、締め込んでおけ!」

2015年03月05日

テレビゲーム・子どもへの影響

スマホ時代
高校生がどっと電車に乗り込んできた・・
にぎやかになると思ったら・・声がしない。
みんな携帯を手に、指先をせわしく動かして
いる。
メールをする者・・ゲームに熱中する者。
金沢の郊外、電車内での風景です。
横一列にならんで、携帯に集中している
姿を異様に感じたのは、私だけでしょうか?

携帯スマホの普及率は・・小学生37%、
中学生65%、高校生は97%
学生には、今や生活必需品です。
女子高生は、1日平均7時間スマホを
覗いて いるとか・・エッ、ホント? 


1258 【心と体の健康】
「テレビゲーム・子どもへの影響」

子供たちの多くが、携帯スマホやiPhoneを持つようになった。
持っていない子は、仲間外れにされてしまう。
私の小二の外孫・・任天堂ゲーム機を祖父から、アイパッドを父親に買ってもらい、学校から帰るやゲームに熱中している。
宿題もせずゲームに没頭しているので、二つとも取り上げたら・・
母親のパソコンを開いて遊び始めた・・

テレビゲームが「子どもの成長に悪影響を与える」と、指摘されるようになって久しい。暴力性、社会に不適応、学力や体力の低下、そして視力の低下など、様々な悪影響が懸念されている。

問題なのは、ゲームで繰り返される暴力・殺傷シーン・・
しだいに慣れっこになり、 ゲームと現実の区別がつかなくなってしまう。

川崎市の中学一年上村遼太郎君が、遺体で見つかった殺人・死体遺棄事件は、あまりにも痛ましい。
中高生が殺傷沙汰を起し、世間を騒がせる事件が相次ぐのも、
テレビゲームの影響が少なからずあるように思うのです。

ゲームに没頭する子どもは、人間関係や人との交わりを苦手にするようになる。
トラブルを解決出来ずに、「引きこもり」や「不登校」といった、

社会不適応状態に陥っていく。

その一方でテレビゲームが、友達とのコミュニケーションの仲立ちをしてくれる。ゲーム機を持たない子は、友達の輪に入れず、孤立してしまう
ことも・・

本をまったく読まない若者も増えてきている・・ 多くの時間をゲームに
費やせば、勉強や読書などの”知的”活動時間が失われ、学力の低下を招いてしまう。


またゲームに没頭していると、大脳の「前頭前野」の活動が著しく低下
する
「ゲーム脳」の問題が、医学界から指摘されている。
前頭前野は、創造力や社会性を支え、様々な情報を処理する、日常生活には欠かせない大切な部位・・活動が低下すれば、社会に適応出来ない、偏った人間になる虞がある。


視力と体力の低下にも注意しなければならない。

長時間ゲーム画面を直視することで、眼精疲労や視力低下をもたらす。屋外で遊ばなくなり、骨格や筋肉、運動神経の発達が遅れ、 身体能力の低下や肥満、ケガや病気に弱い体質になってしまう。

2015年03月08日

野放しの知る権利

1259 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「野放しの知る権利」


数年前のフーズフォーラス焼肉中毒事件の時、マスコミ報道各社の常軌を逸した報道合戦を、一年間身近に見てきた私・・


誰にも好奇心はある・・好悪の別なく人の意外な面を知って、
「ああ、やっぱり!」などと驚き、うなずく。

だからといって、好き勝手に相手の恥部に立ち入っていいものでは
ない・・許されないことなのです。

視聴率を競う報道各社の行き過ぎた報道への批判に対し、メディアが
よく使う言葉に「国民の知る権利」がある。

それは守るべき大切なものかもしれない・・しかし、誰それの色恋沙汰
ぐらいで、当該者の懐具合や家庭内の事情まで、あれこれ詮索することが、国民の権利保護に役立つとは到底思えない。


川崎市の中学一年上村遼太郎君が、遺体で見つかった殺人・死体遺棄事件は、何とも痛ましい。
犯罪報道で、プライバシーと知る権利を両立させることは複雑で難しい。

確かな事実を、簡潔に伝えれば足りることなのに、白黒はっきりせぬ
公判の前から扇情的なうわさ話や、見てきたような無責任な憶測を、
興味本位にまき散らす・・

「有罪判決確定までは無罪と推定する」との原則を無視するような感情論が飛び交う中、「これで公正な裁判ができるの?」と危惧の念を抱く
ことに・・
一般市民が参加する、裁判員制度が実施されるようになってからは、
なおさらである。

加えて、被害者のプライバシー問題がある。事件が残酷でニュース性が高いほど、犠牲者の苦しみや悲惨さが事細かに、なめるように暴露される。

家族の深い心の痛みなどわれ関せず、全く無遠慮に取材合戦の餌食にされる。被疑者の関係でも、家族は共犯者でもないのに、捜査段階から過酷な取材と、興味本位の視線にさらされる。

繰り返される報道に、世間は感化され刷り込まれて、家族を犯罪者と同じ 目線で遠ざけようとする。

インターネットの普及で、情報は安易に無責任に発信され、まき散らされていく。発信者不明のツイッターで、知られてはならない個人情報が暴露される。
その結果健康を害したり、失職や転居、結婚が破断になったり、学校でいじめに合ったり、落ち度のない家族を、後先も考えずに傷つけてしまうりです。

無断で個人情報を投稿できるウェブサイトが世界中にある。

承諾もなく撮影し、改変した写真や不正な記事を流しても、投稿者の
責任が問われることはまれだ。
プライバシー保護と知る権利の妥協点が、どんどん不明確になっていく。


一昔前までなら、思いもしないやるせない問題なのです。

発信者を特定出来ないことを知った上での卑劣極まりない行為。

訂正や謝罪による被害者救済は難しい・・閲覧しても罰則がない。

まさに”見物人天国”である。

                                                                               イーデス・ハンソン

2015年03月11日

おもてなしの金沢

金沢の魅力

昨日夜八時からのNHK「世界ふれあい街
」は珍しく日本・・我が故郷「金沢」でした。


金沢駅の鼓門をスタートして、横安江町商店

街へ・・立ち話をした洋装店の店主は、何と

95才の超モダンお婆ちゃん。

近江町市場を覗いて東茶屋街へ。

次いで、主計町茶屋街で芸者さんのお稽古

風景を見て、浅の川の友禅流し・・

材木町小学校を訪れ、兼六園へ。
金沢神社、金城霊沢の由来と、魅力満載の
金沢の街を一緒に歩いた気分になった。


只、私の生まれ育った香林坊、長町・武家
屋敷界隈が映らなかったのは、残念・・



1260 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「おもてなしの金沢」


昨日、金沢駅「百番街あんと」へ、東京の知人に送る和菓子を
買いに行った。

よその店で買った土産物を提げているのを見た店員・・

「一緒にお入れしましょうか」・・と、大きな紙袋を用意してくれた。


そういえば先月、和菓子を買いに行った時は雨だったが、ぬれない
ようにと、
ナイロンのカバーをかけてくれたっけ・・こうしたささやかで、
さりげない気配り
は嬉しいものです。


オリンピックの東京誘致が決まった日、フリーアナウンサーの滝川
クリステルさんが、
見返りを求めない日本人のホスピタリー精神を、
「お・も・て・な・し」の五文字でアピール
したことが忘れられない。


新幹線で県外から訪れるお客様を驚かせ感動させようと、金沢駅を
リニューアル・・見違えるほどモダンな駅になった。


この14日の北陸新幹線開業を前に、駅構内の24本の柱すべてに、
人間国宝8人を
含む、工芸作家の作品が飾り付けられたのです。

JR金沢駅に降り立った観光客に、石川県の伝統工芸を見てもらおう
という趣向だ。


金沢は、年間8百万人の観光客が訪れる、風情ある百万石の城下町
です。いつまでも武家屋敷、兼六園、東茶屋といった旧来からの観光
資源に頼るだけでは
つまらない。


県外からの観光客を、歴史的建造物や伝統文化などの魅力に加え、

「心のこもったおもてなし」をスローガンにお迎えすれば、古都金沢が
より一層
魅力ある街になると、金沢駅構内を見学して思ったのです。

2015年03月15日

衰退する和食文化

見直さなければならない食生活

33万部のベストセラー「世界一美女になる

ダイエット」の著者エリカ・アンギャルさん・・
オーストラリアの栄養士で、ミスユニバーサル
日本代表が、世界大会で賞を取れるように
と、栄養指導している。


日本食の良さを知ったエリカさん・・
「日本人の食卓から和食の良いところを捨て、
不健康になることを好んで選択しようとする

不思議な民族」と言っている。

日本人の食事の欧米化が進み、脂質摂取が

過剰になり、味付けや食材が甘くなって、

食事がお菓子化している、おかしな国だと・・

自業自得の結果として、糖尿病が国民病と

言われる国になってしまった。



1261 【食と健康】    「衰退する和食文化」


昨年10月、日本の「和食」と韓国料理の「キムジャン」が同時にユネスコの無形文化遺産に登録された。

和食の世界的ブームを背景に、和食を勉強しようと今、海外から料理人が大勢日本にやって来ている。

世界の料理は何れも、バターやなたね油、ゴマ油などの”脂質が”
中心です。日本料理は鰹、昆布などの「うまみ成分」が中心です。


西洋料理のカロリーは、日本料理の二倍以上と、高カロリーです。

日本料理は食品素材の種類が多いだけでなく、ヘルシーだ・・
その理想的な取り合わせが、海外から注目されるようになった。


私にとって和食とは、ご飯に味噌汁に漬物です・・
料亭の懐石料理だけが和食ではない。
私が食べ盛りの頃は、
ご飯(白米)をお代わり して、お腹いっぱい食べるのが喜びだった。

それが今、米の消費量は半分に減り、食事の内容は家族みんなバラバラ。朝、お父さんはパンとコーヒー、お母さんはサラダだけ、お姉ちゃんは朝食抜きで、長男はピザ。

夕食時も、帰宅時間はまちまちで、 家族そろって食事をする習慣が無くなりつつある。
親子が食卓を囲んで会話を交わすことがなくなり、家族関係は希薄になっていく。一つ屋根に暮らしながら、家族の連帯感は薄れていく一方だ。

多くの日本人は、日本料理の良さに気づいていない。
小学生に、母親の手料理で好きなものを挙げさせたら、1位がハンバーグ、2位がカレー、3位がスパゲティ、4位はオムライスでした。


小さいころからお腹がせり出した、おっさん体形の子どもが目につくようになり、運動嫌いの子どもが増えてきている。
日本人は、腸の長さが欧米人の倍近くあり、体のつくりが違うのに、

欧米風の食生活を続けていて、身体は耐えられなくなってくる。


和食は手間がかかるので、調理を嫌う主婦が増えてきている。
食卓から和食メニューが消えていく・・親から子へと受け継がれてきた

家庭料理、和食文化が失われていく。


                        京都料亭菊乃井・村田吉弘「食から日本の姿を考える」

2015年03月19日

寓話 「頑張る木こり」

■自 戒

・つらいことが多いのは

       感謝を知らないからだ

・苦しいことが多いのは

        自分に甘えがあるからだ
・悲しいことが多いのは

        自分のことしか分からないからだ

・心配することが多いのは

        今を懸命に生きていないからだ

・行きづまりが多いのは

         自分が裸になれないからだ



1262 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~寓話~ 「頑張る木こり」


♪昔々、1人の木こりが材木屋に仕事を探しに行った。
給金がよく、仕事の条件もよかったので、木こりは材木屋で働く
ことにした。

最初の日、親方は木こりに斧を手渡し、森の一角を割り当てた。
男はやる気満々で森に入り、その日1日で18本の木を切り倒した。

親方は 「 よくやったな!この調子で頼むぞ 」 と喜んでくれた。


翌朝、誰よりも早く起きて森に向かった。
その日は、努力もむなしく15本が精一杯だった。
「 つかれているからだ・・」 と木こり
その日は日が暮れるとともに寝る ことにした。


夜が明けると、「 今日こそ18本を超えてやるぞ!」 と、
決意も新たに家を出た。
ところが、18本どころか、その半分も切り倒せなかった。


次の日は七本・・そのまた次の日は五本
ついには、一日が終わる頃になっても、2本目の木と格闘していた。

叱られるに違いない・・
「 今日も精一杯やりました 」 と、ビクビクしながら親方に報告した。


親方は木こりに尋ねた・・「 最後に斧を研いだのはいつだ?」
木こり 「 斧を研ぐ?・・木を切るのが精一杯で・・
            研いでいる時間などありゃしなかったよ 」


この寓話は、私たちにも当てはまります。
日々忙しく仕事に追われ、 スタッフは疲労困ぱい・・
にもかかわらず業績は悪化の一途・・
そんな姿を皮肉っているのです。
私たちにとっての「 斧 」とは、一体何を指すのでしょうか?

 

                                          理念と経営「古永泰夫・オンリーワン経営」

2015年03月22日

学力テスト成績公表の是非

幸福の4条件

2011年ノーベル化学賞を受賞した化学者の

根岸英一氏が、大学四年の時に、生きる目的

とは何かを真剣に悩み考えた「幸福の条件」で

す。

健 康

どんな高い志があろうとも、健康を損ねてし

まえばそれまでだ。

家 庭

基軸は夫婦・・家族は円満でなければならない。 
妻や家族を幸せに出来ない者が、社会で人の
上に立ち、組織を束ねることなど出来るわけが

ない。
プロフェッション・職業
仕事を趣味に打ち込むことだ。
かつ、社会の役に立つ人間になる。
趣 味

趣味を持てば、人生はより豊かになっていく。



1262 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「学力テスト成績公表の是非」


小6と中3対象の全国学力テストの学校別成績が、文部科学省の
方針転換で、この四月の一斉テストから公表してもよいことになった。


この決定の趣旨は「保護者や地域に対して説明責任が果せる」
「学力の改善につながる」というものです。
反対する側の意見は、「学校の過度な競争や序列化をあおる」
「弱者切り捨てにつながり、教育をゆがめかねない」などの懸念を
表明 している。

某学校で次のような実験をした・・
同じ問題を二つのグループに示して、違う指示を出した。

一方には「班のみなさんと話し合ってもいいですが、班ではなく
”個々の成績”を重視します。成績順に班の中の順番も決めます・・
他の子より頑張って良い点を取るように・・」


もう一方には「よく話し合って協力して、班の意見を取りまとめ、
”班”として少しでも良い成績を出すようにしなさい。
班の評価点数が、1人ひとりの点数にスライドします」


さて問題です・・どちらの班の得点の方がよかったでしょうか?
グループで話し合って下さい。

競争原理が働く前者のように思えるが・・逆なのです。
個々のノルマが問われる集団からは、共に協力して得られる
成果は生まれてこないのです。


過去日本人は、共に達成感が味わえる「協力・共同」の精神で、
物事に当たろうとしてきた・・それが日本人の強みでもあった。


同僚やグループ仲間の敗北なしに、自らの喜びが得られぬ西欧的
発想の「競争社会」よりも、共に達成感が味わえる日本人的発想の
「協力・共同」の方が、より大きな成果が望めるのです。


政府が学力テストをして、学校別の順位を公表する・・
新聞はそれを記事にして、学校間の競争をあおる。
学校はテスト対策に追われ、答案を改ざんするなど、不正まで行われるようになる・・
これは、教育現場に徹底した競争原理を持ち込んだ英国での話です。

「成績の悪い子は、テストの日は休んでほしい」
そんな思いが、先生の頭をかすめるようなら・・それこそ教育の敗北です。

2015年03月26日

死ぬ前に語られる後悔

残された人生

還暦を迎える頃になると、人生を振返り、
やり残したことに想いを馳せるようになる。

そして、人生の終焉を迎える時・・
夢をかなえられなかったことを悔やむよりも、
夢をかなえるために全力を尽さなかったこと
に、悔いが残るという・・
「死ぬ前に語られる後悔」を読む機会を得た
私は幸運だ。
なぜなら、今の私の人生に、まだまだ余裕が
あり、人生に悔いが残らないよう、行動する

チャンスと時間が残されているから・・

 


1263 【心と体の健康 】
~幸せな人生~ 「死ぬ前に語られる後悔」


私は、人生最後の日に何を語るだろうか?
感謝の言葉だろうか? もし後悔の言葉が出てくるようなら、
それはどのような言葉だろうか?


オーストラリアの看護師BronnieWareさんは、 人生の最後を真近に
した患者
たちのケアに長年携わってきた。

彼女によると・・
人間は死の間際になると、「しっかり人生を振り返る」という。

それは「感謝の言葉」であったり、「後悔の言葉」だったり・・

患者たちが語る後悔の言葉には、共通するものが多いという・・


それは以下のようなものでした。
1.「自分にもっと忠実に、自分らしく生きればよかった」

    人生の終わりに、果しえなかった夢がたくさんあることに気づき、

    無念に思うのです。

2.「あんなに一生懸命働かなくてもよかったのに・・」
     家庭を顧みず、休日返上で、仕事一途に人生を歩んできたが、 
     もっと妻や家族と一緒に過ごす時間を持つべきだったと後悔する
     のです。

3.「もっと勇気をもって人生を生きるべきだった」
     世渡りのため・・家庭や家族を守るため・・感情を押し殺し、
     人生の岐路にもためらい、リスクを嫌って、平穏無事に人生を
     終えてしまった自分を悔いるのです。

4.「友人関係を続けていればよかった」 
     人生の終わりに、旧友たちに思いを募らせ、友人の本当の
     素晴らしさ、ありがたさに気づくのです。
     連絡が途絶えて久しい、かっての友人に想いを馳せ、
     もっと友人関係を大切にすべきだったと悔いるのです。

5.「その気になれば、もっと幸せになれたのに」
    無意識に変化を拒み、新たな選択に背を向けてきた自分・・
    自らの手で幸福をつかもうとしなかった自分に、悔いが残るのです。


6. 夢をかなえることなく無為に人生を終えたこと

7. タバコ・酒と、健康をおろそかにしてきたこと

8. 勉強すべきときに、勉強してこなかった自分


9. 妻と一緒にいた時間が少なく、妻への感謝が不十分だったこと
10. 親らしいことを子どもにしてやれなかったこと

2015年03月29日

私の母校・紫錦台中学

時間は最高の財産

西洋のことわざ「時は金なり」・・時間は貴重
なもの、決して無駄にしてはならない。


人は生まれるとき、神様は一冊の通帳を持た

せてくれる。通帳に毎日86,400円振り込ま

れてくる・・その日一日が終わると、通帳の残

高は0になる。

振り込まれたお金をどう使おうと自由だが、

使いきれずに残したら、翌日に繰り越される

ことなく消えてしまう。
せっかくのお金を無駄にしてしまうのです。


毎日振り込まれる86,400円・・それは、
生きるために必要な大切なお金です。
毎日あなたは、そのお金をどう使うのでしょ

う?
生きた使い方をして使い切るか?それとも、

目的もなく何もせずに無駄にしてしまうのか?


神様から振り込まれるお金とは・・
”時間”のことです。一日は86,400秒。
等しく与えられるこの時間を、どう生かし、
使い切って生きていくのか・・



1264 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「私の母校・紫錦台中学」


サイクリングを兼ね、金大付属病院へ定期検診に行った帰り、
母校「紫錦台中学校」に立ち寄った。
長町・香林坊・片町商店街の子どもたちは、広阪の旧県庁前を通り、
兼六園の中を抜け、金沢神社から石引通りに出て、大学病院前を
歩いて通った。
肩掛け鞄を下げて三年間、兼六園を通学路に通った学校です。
数えると、卒業して59年になる・・校舎に足を踏み入れると、教室や
廊下から何とも懐かしい空気がただよってくる・・タイムスリップした
よう・・

左右両翼に二本の「三尖塔」がある本館校舎・・明治32年、石川県の
第二中学校校舎として建てられた洋館です。


私が通学した昭和33年当時は、明治の面影を残す階段教室や講堂、多数の教室が、伝統校の面影そのまま残されていた。

私が卒業した後、本館を残して取り壊され、無味乾燥な鉄筋校舎に

建て替えられた。

残された本館は、平成11年石川県有形文化財になり、 「金沢くらしの
博物館」として、市民や観光客が訪れる博物館になった。

「二中」と前後して、「一中」(石川県第一中学校/現・泉ケ丘高校)、
七尾に「三中」(石川県第三中学校/現・七尾高校)、小松に「四中」
(石川県第四中学校/現・小松高校)が創立した。

5年制の旧制中学校は、戦後の学制改革で昭和23年廃校になり、
それぞれ新制高校へと引き継がれていった。
「二中」は昭和38年、錦丘高校に名前を変えて、山手に新しい校舎が
建てられた。

残された校舎は、昭和23年市立紫錦台中学として新たにスタートした。

”紫錦”の校名は、二中の校歌「♪紫錦が陸(にしきがおか)の学窓に・・」から付けられたものです。

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