■吉田松陰「松下村塾」
幕末という時代の節目に、小さな私塾「松下
村塾」から、高杉晋作、久坂玄端、伊藤博文
山縣有盶など、幕末の日本を支える数多くの
偉人が排出された。
その他にも大勢、時代を駆け抜けた偉人たち
が、吉田松陰を生涯に渡って”師”と仰ぎ、
自分たちの学びの原点を「松下村塾」にあると
した。
大政奉還から江戸城の新政府への明け渡し
・・その後戊辰戦争などがあったにしろ、
世界で唯一歴史に残る無血革命を為し得たの
です。
1239 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
「学問は何のためにするのか」
NHK大河ドラマ「花燃ゆ・第一回」を観て・・
松陰、5歳で吉田家の養子になり、長州藩兵学師範の叔父から、
後継師範になるための教育を厳しく受けた。
・叔父
「 意味も分からず、言葉だけ覚えて・・出来たつもりか!
己をつくろい、その場を乗り切れば満足か!
それは死んだ学問じゃ! 己の頭で考えることを・・学べ 」
松陰は、その後しばらくして「 何のために学ぶのか?」を悟った。
「 本は文字ではない。本は”人”だ・・開けば触れることが出来る。
他の人の考えを、江戸にいる人にも、外国にいる人にも、
遠の昔にのうなった人にも、出合うことが出来る 」
「 同じく悩んで、同じく答えを見つけようとしても、誰かがいて教えてくれ
る。その人の目で見た世の中、人生のあらゆることを教えてくれる。
生きるに迷う人は、自分1人ではないことを・・
お蔭で天命を受け入れることができた・・人との出会いが私を変えた」
■「学は人たる所以を学ぶなり」
「 学問は何のためにするのか 」の問いに・・
松陰は「 学問とは、人間とは何かを学ぶものだ 」と答えている。
・長州藩の学問所・明倫館で、塾生を前に松陰・・
「 学ぶのは知識を得るためでもなく、職を得るためでも、
出世のためでもない!
人にモノを教えるためでも、人から尊敬されるためでもない・・
己のためだ! 己を磨くために人は学ぶのです 」
・松陰の親友・小田村伊之助が、松陰の言葉に続いて・・
「 お役に付くためでも、与えられた役割を果たすためでもない・・
かりそめの安泰に満足し、身の程をわきまえ、無知で世間知らずで、
何の役に立たぬまま生きていくなど・・御免です 」
「 何故学ぶのか?
この世の中のために、己が為すべきことは何かを知るために・・
学ぶのです。
私はこの長州を、日本国を守るために学びたい。
己を磨き、この国の役に立つ人間になりたい。
そのために学びたい・・まだまだ学びたい 」
・長州藩主/毛利敬親
「 この明倫館、これからの時代にふさわしい学び屋にしたいと考えて
おる。その学びに広く知識を求め、優秀な人材を育てたいと考えて
おる。 だが、急いではならぬ・・
人は古いもの、慣れ親しんだものは、容易に捨てられぬ。
変わることを恐れるのも、また人の心じゃ・・
人こそ! この長州の宝じゃ。
焦らぬとも、まことに変わらねばならぬときには、変われるであろう 」