「落語・佃祭」は、中国明代の説話集の
「飛雲渡」がモデル。
占い師から寿命30年と宣告された青年が、
身投げ女を救ったことで、後に船の転覆事故
で死ぬ運命を免れた話です。
日本では、江戸・南町奉行・根岸鎮衛の著書
のあらすじが「佃祭」の原型になっている。
藤棚見物の客を満載した渡し船が沈没・・
乗客30余名が溺死しする事故が1769年
3月4日、佃島で実際に起きているのです。
1217 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「落語・佃祭」
今日の演目は、住吉神社の夏の祭礼でにぎわう佃島を舞台にした人情落語です。
♪神田・お玉ケ池で小間物問屋を営む次郎兵衛は、佃島の住吉神社の夏祭りを楽しみにしていた。
「暮れ六つ(18時)の最終の渡し船で、今日中には必ず帰る」
と言って出かけた。
佃島で祭りを存分に楽しんだ次郎兵衛・・気づいたらもう暮れ六つ。
急いで船着場に行き、乗客があふれる終い船に乗ろうとしたら、
突然見知らぬ女が袖を引いた。
乗ろうとする次郎兵衛と、引き止めようとする女・・
お互い揉めているうちに、終い船は出てしまった。
乗り損ねてがっかりする次郎兵衛に、女・・
「三年前、奉公先の金を失くして途方に暮れた末、吾妻橋から身を投げ
ようとしていたところを、見知らぬ旦那様に助けられ、さらに五両のお金まで頂いて・・
お蔭で命拾いをしました・・何とかお礼をしたいと、探し回っておりましたところ、ようやくここでお会いすることができました・・それで、夢中で引き止めてしまいました」
『ああ・・そういえばそんなことがあったなあ~
しかし、今日中に帰らないと、女房がうるさくて・・』
「夫が漁師をやっております・・お帰りの船はいつでも出せますので・・
是非我が家にお立ち寄り下さい」
いつでも渡し船を出せると聞いて、ようやく安心した次郎兵衛・・
女の家でお酒や佃煮などをご馳走になっていると、
外がにわかに騒々しくなってきた。
聞けば、先ほどの終い船が、客を乗せ過ぎて沈没・・
乗客全員溺れ死んだという。
次郎兵衛、これに仰天・・三年前、この女を助けていなかったら、
そのまま船に乗って、今はむくろになっているだろう・・
引きとめた女に感謝した。
一方、次郎兵衛の自宅では、夫の帰りが遅いので心配していたところ、終い船沈没事故を伝え聞いて・・大騒ぎ。
妻も長屋の連中も、次郎兵衛が死んでしまったと早とちりし、
遺体を見る前から葬式の準備を進めた。
一同、お悔みの後に、お坊さんを呼んで仮通夜を営んでいると・・
何も知らない次郎衛門が戻ってきたものだから・・
「ヒィー!ゆ・幽霊!?」と、一同腰を抜かす。
次郎兵衛が今までのいきさつを説明すると、誤解が解けて一安心。
皆が次郎兵衛の無事を喜んでいる中・・ただ1人与太郎だけは・・
「身投げをしようとしている女に五両あげれば、まさかの時自分の命が助かる」と思い込んでしまい、家財を売り払って五両の金を工面し、
毎日、川沿いや橋の上を見張った。
或る日、袂に何か重そうなものを詰めた女が、涙をためながら川に向かって手を合わせているのが見えた。
与太郎、これぞ身投げだと、大喜びで女を取り押さえ・・
「これこれ身投げはよしなさい・・五両あげるから」
『身投げなんかじゃないよ! あたしゃ歯が痛くて、戸隠さまにお願いしているのよ』
「だって、裾にたくさんの石が・・」
『これ、これは・・お供え物の梨よ!』
※長野県戸隠神社は歯の神様。歯痛を治そうと江戸の人々は、
梨の実に自分名前を書いて川へ流す風習があった。
※当時の1両は、現代の大卒給与に換算すると25~30万円