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囲碁の歴史

本因坊・秀策(1829~62)
1837年本因坊・丈和に入門。
打ち振りを見た丈和は「是れ正に150年来の
碁豪」と絶賛。1848年第14世本因坊となる。

翌年から御城碁に出仕し、以後19戦無敗の
大記録を達成。平明秀麗な碁風と正確な形成
判断で”秀作流”と呼ばれる布石法を後世に
残した。

1862年江戸でコレラが流行り、周りの止める

のも聞かず看病に当たり感染・・34歳で死去。


本因坊・秀哉(明治7~昭和15)

21世を襲名した後、家元本因坊を日本棋院
に譲渡・・日本棋院と碁界の発展に多大な功績
を残した。
棋風は力戦に強く「序盤に策あり」と言われた。



1201 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「囲碁の歴史」


囲碁の歴史は、遡ること四千年前、中国に生まれ、もっぱら”易”に使われた。紀元前七世紀ごろに遊技としてルールが定められ、春秋戦国時代には、盤上で人民(石)と領土(地)の争奪戦を楽しむようになった。


囲碁が日本に伝わったのは4世紀ごろ・・日本に帰化した朝鮮人が携えてきた儒教の典籍に交じって、日本にもたらされたと言われている。

以降囲碁は、支配階級、僧侶、知識人の間で親しまれるようになった。

701年「僧尼令」には・・
「凡そ僧尼は、音楽及び楽戯をなさば百日苦役す。
碁・琴はその限りにあらず」とあり・・優遇された。
以来僧侶から囲碁の名手が排出されるようになった。


10世紀初頭には、宮中での対局が公に催されるようになり、勝者には
引き出物が下された。

鎌倉から戦国時代にかけて、囲碁は上級武士の間に広まっていった。


渡来後千年を経て、初代本因坊”算砂”(1559~1623)の政治的手腕で、囲碁を国技にまで高めた・・技量は中国や韓国をしのぐまでになったという。

江戸中期17世紀の後半、4世本因坊”道策”によって、碁の思想・技術が飛躍的に向上した。

幕末には、14世本因坊”秀策”などの活躍で、囲碁界は更に発展していった。
この頃になると、商人や豊農の間でも碁が打たれるようになり、 各所の碁会にプロ棋士が招かれたりした。

大正13年日本棋院誕生。21世本因坊”秀哉”は,新聞社に「本因坊」の権利を譲り渡し、プロ棋士界を実力本位の争奪時代へと導いていった。

囲碁が大衆化したのは戦後になってから・・
50年代には「世界アマ選手権戦」が開催されるようになった。

私が囲碁を習い始めたのは、1962年21歳の時・・生涯の趣味にしたいと、 香林坊の碁会所に通い、師匠から直接手ほどきを受けた。

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