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般若心経(前半)

「行為の意味」   詩人 宮澤章二
「こころ」は誰にも見えないけれど

「こころづかい」は見える

「思い」は見えないけれど
「思いやり」は誰にでも見える


温かい心が   温かい行為になり
やさしい思いが  やさしい行為になるとき

「心」も「想い」も   初めて美しく生きる

それは   人が人として生きることだ


市川団十郎    辞世の句

色は空   空は色との
時無き世へ(とらわれない世界へ)

色即是空   空即是色

色(しき)とは
生きている世界においてのすべてのもの
空とは

それを受け止める器のようなもの



1165 【心と体の健康】   「般若心経(前半)」


般若心経は、わずか260文字の短いお経です。
その「般若心経」を、現代の分かりやすい言葉にすると、
あたかも禅問答のよう・・ 一度や二度読んだ程度では
意味が理解できないくらい、奥が深いのです。


仏説   摩訶   般若波羅密多   心経
ぶっせつ  まーかー  はんにゃーはーらーみったー   しんぎょう


観自在菩薩   行深般若波羅密多時
かんじーざいぼーさー   ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー

照見五蘊皆空    度一切苦厄   舎利子

しょうけんごーうんかいくう   どーいっさいくーやく   しゃーりーしー

「観音菩薩が、深いとらわれのない心で、
仏の知恵の完成を目指されたとき、 
人間の心身をつかさどる五つの要素が、すべて空であり、

実体がないことに気づかれ、一切の苦しみを克服された。

舎利子尊者よ・・」         ※舎利子・・釈迦の十人の弟子の1人

色不異空   空不異色   色即是空
しきふーいーくう    くうふーいーしき    しきそくぜーくう

空即是色    受想行識   亦復如是

くうそくぜーしき   じゅーそうぎょうしき   やくぶーにょーぜー

「形あるものは、実体がないのと同じであり、
実体がないからこそ、
一時的な形あるものとして存在するのです。

感じたり、考えたり、意志したことや判断したことも、
まったく同じことなのです」


舎利子   是諸法空相   不生不滅
しゃーりーしー   ぜーしょーほうくうそう   ふーしょうふーめつ
不垢不淨    不増不減
ふーくーふーじょう    ふーぞうふーげん

「舎利子尊者よ、すべての存在は実体がない空であるから、 
生じたり、消滅したりはしない・・汚れもせず、清らかにもならない
・・増えもせず、減りもしない」


是故空中無色   無受想行識
    

ぜーこーくうちゅうむーしき   むーじゅーそうぎょうしき

無眼耳鼻舌身意    無色聲香味觸法
むー
げんにーびーぜっしんにー    むーしきしょうこうみーそくほう

「ゆえに、すべて実体のない空の世界ですから、 
肉体も、感受も、想念も、意志も、判断もありません。

眼も、耳も、鼻も、体も、意識もなく、モノの形も、音も、 
香りも、味も、体の感触もありません。
大乗仏教では、悟りを開いても、その悟りにこだわらないのです」


無眼界   乃至無意識界   無無明

むーげんかい   ないしーむーいーしきかい   むーむーみょう

亦無無明尽   乃至無老死   亦無老死尽

やくむーむーみょうじん   ないしーむーろうし   やくむーろうしーじん


「それらを受け止める、眼識から意識までの
あらゆる分野も
ないのである。
更に悟りに対する無知もないし、無知がなくなる
こともない。
ついには老と死もなく、老と死がなくなることもない」

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