■共に繁栄を誓う日本とASEAN
日本とASEANは、1973年に設立以来
ずっと親密な関係にあり、日本は加盟国の
平和と発展に協力し、親密な関係を築いて
きた。
40周年を迎えた昨年、地域の平和と安定、
発展と繁栄のための協力関係を、更に促進
する共同声明が採択された。
1147 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~歴史から学ぶ~
「日本人の間違った歴史観」
戦後生まれの日本人教師が、大平洋戦争における日本軍の残虐行為が、どのようなものであったのか? 現地調査にマレーシアを訪れた。
当時を知る、マレーシアの上院議員ラジャー・ノンチック氏に会い、
日本軍の残虐行為の調査に来たことを伝え・・協力を求めた。
ノンチック氏は驚いて「日本軍は、マレー人を一人も殺してはいません! 日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍と、それに協力した中国系共産ゲリラだけです・・日本の兵隊さんも死んでいます」
ノンチック議員は、かってマレーシアの独立に半生をかけた人です。
当時、アジアの独立国はタイと日本だけ・・ほとんどの国が欧米列強の植民地と化し、白人に隷属・・支配国に資源を供給する国々の扱いを受けていた。
マレー半島も英国の植民地支配を受け、収奪・搾取されていた・・
それが150年も続いたのです。
大平洋戦争開始と同時に、日本軍がマレー半島に上陸・・英国軍を打ち破った。
占領後日本は、マレーシア独立のための訓練所を創り、マレー人青少年の教育に力を注いだ。
訓練生と共に汗を流す日本人の姿に、マレーの人たちは感銘し、
「自分たちは、自らの力で祖国の独立を勝ち取るのだ」の気運が高まっていった。
更に日本政府は「南方特別留学生制度」を創設して、アジア諸国の独立支援と、指導者の育成に努めた・・ ノンチック氏はその第一期生だったのです。
1945年日本が敗戦。ノンチック氏は決意した・・「日本は、私たちの独立を支援し、戦って敗れた・・今度は、我々が引き継ぐ番だ!」
彼等は祖国独立のために戦い、1957年ついに独立を果たした。
更に、アジアの国々から戦前日本に「南方特別留学生」で来日し、学び合った人たちが中心になって、現在のASEAN(東南アジア諸国連合)が設立された。
加盟国は、何れも大東亜戦争中日本軍の進駐を受けている・・
インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フイリピン、ブルネイ、
ベトナム、マレーシア、ミヤンマー、ラオスの10カ国です。
ASEANの国々が独立を為し得たのは、日本のお蔭と、戦前、日本から受けた恩を、今も忘れないのです。
進駐時日本軍が、中国や韓国が外交問題にしている、残虐行為をしていたのなら、ASEANの人たちは日本への恨みを忘れず、親密な関係を築くことはできなかったでしょう。