■韓国併合
日本は、当時破産状態にあった朝鮮の独立と
近代化に手を貸そうとした。
朝鮮も、日本との対等合併を条件に、併合賛
成派が多数を占め、 先進諸国の賛同を得て、
合併に調印 した。
軍事力で朝鮮半島を蹂躙し、奪い取ったので
はない。
会社に例えるなら、破産状態の会 社を吸収
合併し、人・モノ・金を注ぎ込んで立 て直しを
図った・・とすれば理解が早い。
無論、きれいごとばかりでは ない。
日本は、ロシアの南下を食い止 めないと、
直接ロシアの脅威にさらされることになる。
経済界は朝鮮市場の拡大を欲し、軍部は西欧
列強に習って、植民地化を望んだ。
そうした思惑から日韓併合が進展したのです。
1138 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~
「李氏朝鮮王朝500年の終焉」
1388年、高麗王の命を受けた右将軍の”李成圭”は、約4万の軍勢を率いて遼東半島奪還に向け進軍中、こともあろうに敵である明と通じて、平城に引き返えし、クーデターで高麗王朝を滅ぼしてしまった。
92年に李朝を創建・・明を政権のバックボーン、天子の国と仰いだ。
以後500年、中国の”属国”に成り下がることになったのです。
李斯朝鮮は、1910年高宗の子の純宗の代に滅亡した。
純宗は、李成圭から数えて27代目になる。 李朝が五世紀にもわたって韓族に君臨したため、韓族の精神をゆがめてしまった。
「小中華」であることを誇る、呪われた国にしてしまったのです。
李朝末期の政治は・・支配者(両班)たちは権力闘争に明け暮れ、官僚は不正腐敗、両班の横暴によって人心は荒廃し、絶望的な慣習制度と身分差別で、朝鮮全土は腐敗・麻痺状態にあった。
まともな軍事力もなく、国家財政も社会も経済も破綻し、慢性的に農民一揆が頻発していた。1860年代の李朝の国力は、まさしく衰亡のきわみに至り、崩壊寸前にあったのです。
同時代、隣国の日本は違っていた・・民衆は自由闊達・・江戸末期、西洋の脅威に直面すると、それを跳ね返すだけの強い力を、徳川300年を通じて蓄えていた。
ところが李朝は、骨の髄まで腐りきっていた。そこで朝鮮の改革派は、人民を苦しみから解放するため、韓日併合という他力本願の道を歩み出そうとしたのです。
1894年の日清戦争で、日本が勝利した後に結ばれた清国との「下関条約」で、日本は、500年続いた中国の属国から朝鮮を解放・・近代国家への独立を中国に認めさせた。
以降、国号を李子朝鮮から大韓帝国に改め、日本の影響下に置かれることになる。
1904年の第一次日韓協約で、日本人顧問を政府中枢に置くことが義務付けられた。翌1905年、第二次日韓協約によって、外交権を日本に移行・・日本の保護国になった。更に、1907年の第三次日韓協約で、内政権も日本に移管した。
こうした過程を経て、1910年8月、韓国併合条約調印・・最終的に日本に併合され、国家としての李子朝鮮は終焉を迎えたのです。
崔 基鎬(チュ ケイホ)著「韓国堕落の2000年史」