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座禅とは・・

御誕生寺・板橋興宗住職のプロフィール
東北大学卒業後、1953年出家し、總持寺

で修業する。
その後、瑞洞院住職、總持寺祖院・後堂を

務める。
さらに、金沢・大乗寺山主になり、

「椅子座禅」を提唱して普及に努める。
1998年總持寺管主、曹洞宗管長となる。


5年後、總持寺祖院貫主になり、2002年

越前市に御誕生寺を復興して、住職となる。

御誕生寺では、現在約30人の修業僧が、

座禅と托鉢に励んでいる。

 

002007


1134 【心と体の健康】

「座禅とは・・」

 

毎年元旦は、朝五時から寺町の禅寺で般若心経を詠み、座禅を組むことから始まります。その後、お寺でおせち料理をいただき、新年を祝います。

以下は、福井県・御誕生寺/板橋興宗住職が、
NHKテレビ『こころの時代/ただ、ありのま
まに生きる』で対談したものですが、「座禅とは・・」を、分かりやすく語っています。


金光「三十人ほどの修業僧が座禅の修業をしていますが、座禅とは
        どういうことですか?」

        住職『足を組むことが、必ずしも座禅ではないのです。
        座禅をして「足が痛かった・・窮屈だった」というような訴えをする

        人がいます。
        我々では・・背骨を真っ直ぐにして腹式呼吸をする・・
       「丹田呼吸」
と言うんです。

        丹田呼吸が自然にやれるようになると、セトロニンという神経伝達
        物質が、脳内に満ちてくるのでしょうね・・
        それで座禅をやると、自然に心が落ち着いてきます』


金光「座禅は自分を究明することだと言われますが・・
        それはどういうこと
ですか?」

住職『今の私の命なのですが・・”いのち”って何や?・・と私自身に反問
         してみる。
        
こうして「机をトントン叩く」・・すると音が聞こえる・・見える。 
        「膝を叩く」・・叩くと痛いと感じる。この出会い、この事実ですね。
          この実感が”いのち”そのものであり、”私”なのですね。

        「いのちそのもの」というのは・・いまここに・・その時、その時の縁
          触れ合い
です。
         それ以外に”いのち”はございません・・それを修業で自覚し、 
          実感するのです』


金光「坐って座禅なさっていらっしゃる時の、頭の中というのは、
        どういうふうになるもんでございますか?」

住職『脳は生きていますから、座禅中にも、脳の中にいろんなことが
        浮かんできます・・次々に浮かんでは消え・・座禅中の妄想です。

        脳の中に浮かんできたことに、取りつかない(関わらない)こと  

        です』

金光「これはやはり、トレーニングといいますか・・いつもそのようにし  
        て座っていると、妄想に取りつくことが、少なくて済むようになる・・」

住職『少なくなりますね・・しかし、私も六十年近く座禅をしていますが、
        雑念は浮かんできます。だがそれを気にしなくなりました・・
        今は、自分の吸う息、吐く息に意識を集中させて坐っています。
        確かに・・少なくなっていますが、いろいろ・・雑念はなくなりませ
        んね』

金光「で・・そういうふうに呼吸に集中していると・・頭の中に湧いてくる
        雑念も・・ だんだん静まって・・」
住職『静まるというよりも、それにあんまり取りつかないようになる・・
       また忘れたころに、また次々に出てきますから・・自分の呼吸に 
       関
心をおくようにしています』

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