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2013年12月 アーカイブ

2013年12月02日

韓国・反日ナショナリズム-2

「反日」に病む韓国人


ガチガチの反日思想で固まっていた呉善花
さんが日本にやってきて、現実の日本人に
接してみると、まるで拍子抜けというか、
みんな親切で優しかった。


日本と日本人を知れば知るほど、日本人が

「侵略的で野蛮な民族」とは思えなくなった。


本国で言われているような「日本人は二重人
格・・そのうち本性を表すだろう」そんな期待
も長くは続かなかった。

敵対する日本人が消えてしまったことで、

韓国人としての誇りや拠りどころが、消えて

しまいそうになった。

自分の中から「反日」が消えると同時に、

心の中のアイデンティティも崩れていった。

いったい自分は何者だろうと、悩むようにな

った。
韓国の「反日」ナショナリズムは、愛国教育の
場で刷り込まれた”病”であり、その病は消え
ることがないだろう。
                                                 読売新聞



1125 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~ 「韓国・反日ナショナリズム-2」


呉善花さんは韓国済州島の出身。呉さんが学んだ小学校の教室には、大統領の大きな写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼られていた。


「反共」の「共」は北朝鮮のこと。共産主義がいかに邪悪で危険な思想であるかを徹底的に教えられた。

「反日」については、日本人が韓国人に対してどれだけ悪いことをしたか、侵略的野蛮な民族で、反省も謝罪もする気がない・・と、史実にないことを教えられた。


「日帝は、植民地統治の中枢機関として朝鮮総統府をソウルに設置し、全国いたるところで韓民族に対する徹底的な弾圧と搾取を行い、
支配体制の確立に力を注いだ」といった調子である。

呉さんが学んだ民族主義は、常に「反日」とセットだったのです。


韓民族が日本人に高度な文明を教えたことで、日本は何とか国の形になったではないか・・その恩も忘れ、野蛮な日本人は、平和な暮らしをする韓民族を侵略した・・。

「反日」が、自らのアイデンティティになっている韓国・・
歴代の大統領は、就任後、日本から謝罪をとりつけなければ、大統領としての権威が確立しない・・
見方を変えれば、国家として真の自立が出来ていない証しだろう。


歴代の韓国政権は、当初は対日関係の友好を掲げるが、政権の力が衰え、野党勢力が激しくなると、「反日」カードを用いて、国民の不満を

日本に向けさせ、政権の浮揚を図ろうとしてきた。


大統領が交代するたびに、日本に謝罪と反省を求めようとする・・
そのたびに日本は謝罪した。韓国政府がそれを受け入れても、
大統領が代われば、また新たに謝罪を日本に求めてくる・・
戦後何十年、変わらぬ韓国指導者の立場である。


「恨」の思想を根底に持つ韓国人・・政権が交代すると、日本で行われているような政策の継続性がない。新政権は常に、前政権による業績をすべて否定する・・その良し悪しに関わらず排してしまう伝統がある。


                                                                                                読売新聞

2013年12月05日

韓国・反日ナショナリズム-3

「嫌韓」入国拒否


日本に帰化した韓国人”呉善花”拓殖大教授は、

「スカートの風・角川文庫」など、韓国に関する

著書を多数出版し、韓国の反日意識を改める

よう訴えている。

彼女は今年7月27日、おいの結婚式に出席

するため帰郷しようとしたが、仁川空港で入

国を拒否された。

韓国は、自国の理念に反する言動をする人物

の入国を拒否したのです。

                                   11/29読売朝刊

共産主義を嫌い、民主主義国家を目指す韓国

が、言論の自由に介入するのは、日本に対す

る「恨」の感情が過剰に働いているからでしょ

うか。


1126 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~  「韓国・反日ナショナリズム-3」


■日本に向けられる”恨”みの感情

韓国の大手紙・中央日報が今年、原爆投下を「神の懲罰」と書いた・・
米国による原爆投下で、歴史問題に溜飲を下げる・・韓国にはそんな

雰囲気がある。

韓国・済州島出身で、日本に帰化した”呉善花”(オ ソンファ)拓殖大教授は、怨念に近い反日の背景に、韓国人特有の感情である「」(はん)の存在を指摘する。

「恨」とは、韓国民衆の2000年に及ぶ被抑圧の歴史が培った、
苦難・孤立・絶望の集合的感情(広辞苑)を意味する。

韓国人は、相手に恨みがあるということを機会あるたびに言いたがる・・「嘆きや恨み」を行動のエネルギー源にしようとする思考がある・・
「日本にやられた!」と言うことで、力が湧いてくる・・と呉教授。


「恨」の感情は、国家レベルでも日本に付きつけられている。
朴大統領は中国訪問の際に、伊藤博文を暗殺した”安重根”の記念碑を、ハルピンに建立することを提案したり、米国や欧州を訪れ、安部首相や日本政府を繰り返し批判している。
外交儀礼上、他国を訪問して第三国を批判するのは、極めて異例だが、「恨」の感情にのっとった行動と知れば、合点がいく。

日本は、1910年に韓国を併合し、以後35年にわたって朝鮮半島を統治した。かって、日本の学者が韓国の歴史研究者に、「日本はどうしたら許されるか?」と質問した。
その答えは、「韓国が35年間、日本を植民地統治してはじめて、我々の気持ちは収まる」というものだった。


経済・文化・スポーツ・・全ての面で日本に追いつき、追い越し、自信をつけつつある韓国。反対に国際社会で影響力の低下が否めない日本・・
今後、隣国韓国とどう向き合っていけばいいのか?

呉教授は「韓国は”強い”と感じた相手を尊敬する・・日本は当分、距離を置いて韓国と接するのがいい・・こちらが距離をつめて、歩み寄ろうとすれば、足元を見られ、色々なことを要求されるだろう」                  
                                                                 11/29 読売朝刊

今年に入って韓国は、近年国際社会で覇権的言動を強めている中国にすり寄り、日本をのけ者にしようと画策している。
先週も、米・韓間の重要軍事機密を、密かに中国に横流していることが発覚・・米国政府は強い遺憾の意を表明し、問題になった。

500年の長きに渡って中国を宗主国と仰ぎ、属国の地位にあまんじてきた韓国
。頼るべきは日本や米国ではなく、やはり中国なのでしょう。

2013年12月06日

国会議員よ!論議をつくせ

橋下市長・・日本の民主主義議論を語る

                                          2012.3.3

『日本には、物事を決定する民主主義が根付
いていない。

民主主義の要は”議論”だが、日本の議論は
誰かが意見を言うと、それに反対するのみで
ある。

反対する側は、反対するだけ・・反対するだけ
で許されるのが日本の議論。本当の議論とは、
反対する側も、自らの対案を示さなければな
らない。

会議では、出された具体案を相互に批判し、
自案の優位性を主張する。
意見が出尽くしたところで、双方の案の良い

ところを重ね合わせ、良い方を選んでいく。


日本の議論は、ある主張とそれに対する反対
論のみ。反対する側は反対するだけ・・
なら「あなたの具体案は?」と問うと、何も答

えられない。

政府・野党間の議論は、日本の民主主義を
ダメにしている。政治家の多くは、全くその

ことに気づいていない 』

 

1127 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

「国会議員よ!論議をつくせ」


12月5日の参院委員会は大荒れだった。
「行政府が法案を提出し、立法府の審議を経て、過半数の賛成で成立する」と
日本国憲法56・59条で定めている。


過半数の賛成で法律は通るのだから、自民、公明両党は政府案のまま成立させることもできたが、みんなの党、維新の会の要求で、法案を手直し配慮した。

その結果、両院とも四党を合わせれば、総議員の三分の二の「国民の代表者」たちが賛成していることになる。


民主党などの法案への反対意見は、国会の外で国民に直接アピールすることもできる。その主張に多数の共感が得られれば、次の選挙を通じて政権が交代する。

それが、間接民主主義を採用する、日本の民主主義のルールである。

にもかかわらず、この法案について「民主主義の破壊」などと、議長に罵声を浴びせ、詰め寄る議員たちがいる。


主張の違いがあるとしても、「国民の代表者」たちの多数の声を無視して、少数政党の言うとおりにせよ・・というのは「憲法の規定を無視せよ」というに等しい。

最後は採決で決めるのは民主主義のルールだ・・それまで阻止するのは、少数者の横暴でしかない。


議決の仕方を知らないと、何も決められなくなる・・決められないから、
根回しが必要になってくる。

少数政党がこうした不毛な戦術に出るのは、会期末までに成立されなかった法案は、廃案になるからである。


「国会改革を阻む元凶」・・その元凶を最大限利用し、法案の採決を妨害する民主党も、今年の五月「日程で追い込まれて、議員同士の熟議ができない・・見直しを提起したい・・」と言っていたではないか・・


民主主義論議の根本を破壊しているのは、「多数決の横暴」を声高に、審議を実力阻止しようとする国会議員たちである。

                                                                                     12月6日 読売朝刊

2013年12月09日

韓国・反日ナショナリズム-4

旭日旗使用「問題なし」


7月28日のサッカー日韓戦で、韓国応援団

は歴史問題を理由に、日本を非難する横断幕

を掲げた。

日本サッカー協会は東アジアサッカー連盟に

抗議文を提出。

これに対し韓国サッカー協会は、日本のサポ

ーターが旭日旗を振ったことが発端と、反論

した。

8月に入り、日本政府は「旭日旗使用・問題

なし」との認識を示し、韓国の反日ナショナ

リズムを牽制した。

韓国内では、旭日旗を「軍国主義の象徴」

「戦犯旗」と決めつけ、韓国民に歴史的痛

みを呼び起こす象徴だと非難している。


日本で旭日旗は、日章旗と並んで日本を象徴

する旗であり、自衛隊が使用し、国際的にも

広く受け入れられている。

                                                読売新聞



1128 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~ 「韓国・反日ナショナリズム-4」


韓国は「反日運動によって、植民地から独立を勝ち取った」と言うが、
韓国に闘争を勝ち取った史実は存在せず、インドネシアの建国の父
スカルノのような英雄は存在しない。


武器を持って戦った者は皆北朝鮮に渡った。南の政府の祖となる人たちは、上海に逃れて臨時政府を形成したが、韓流時代劇ごとく、内部抗争に明け暮れ、堕落してしまった。

臨時政府はアメリカにも中国にも承認されず、戦後日本は朝鮮を独立させようとしたが、米英ソ3国は朝鮮の独立を認めず、信託統治することになった。

その後アメリカは、国連監視下のもと選挙を実施し、韓国を独立させた。

ソ連はそれに対抗して、北朝鮮の独立を支援した。


インドやインドネシアは、自ら宗主国と戦って独立を勝ち取っている。
以後、独立記念日などによって国民と国家のアイデンティティが支えられ、精神的にも自立し、旧宗主国とも”大人のつき合い”をするようになった。

そうした歴史を持たない韓国の歴代大統領は、「反日ナショナリズム」をあおることによって、自らのアイデンティティの代用にしたのです。

一方日本側にも、「反日ナショナリズム」を後押しする左翼勢力がいた。


平成4年1月、宮沢首相が訪韓する直前に、朝日新聞は狙いすましたように、日本軍が「慰安婦」に関与した証拠が見つかったと報道した。

それに激高した韓国民は、ソウルで抗議・糾弾デモの集会を相次いで開き、日の丸を焼いた。

ソウルで宮沢首相は、事実を確認する余裕もなく、8回も謝罪を強いられた。朝日が発見した証拠とは、民間悪徳業者による慰安婦募集に軍が関与したという・・曖昧なものだった。


教科書問題も同様、日本の左翼勢力が、与党自民党を攻撃する手法として、韓国と中国に情報を流して、熱心な働きかけをしたことが発端になっている。

                                                                                                読売新聞

2013年12月12日

韓国・反日ナショナリズム-5

日本人は、韓国メディアが発信する風説に惑

わされてきた。

例えば「日本はかって朝鮮を侵略し、朝鮮人
を弾圧し・虐待し・搾取し、ひどいことをした」

といった類の風説です。

韓国の歴史を振返ると、日本が韓国を統治

した半世紀の間、そうした忌まわしい歴史の

痕跡はどこにも見当たらない。
韓国は、慰安婦問題以外のカードを持ってい

ないのです。

韓国政府が行っている反日教育というものが

極端に偏った、間違いだらけのものであるこ

とを、知っておくべきです。

今年の五月、朴氏は「韓国と良好な関係を望

むなら、日本は正しい歴史認識を持つよう改

めるべきだ」と発言している。
朴氏こそ、偏った間違った考えを改める必要
があると思うのです・・



1129 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~
「韓国・反日ナショナリズム-5」


以下、呉善花(オ・ソンファ)「生活者の日本統治時代」三交社

[日本統治下、朝鮮に暮らした人の証言]からの抜粋です。

■大正九年、三歳のときに朝鮮に渡り、学生時代を過ごした阿部元俊
  さん・・

私が朝鮮にいたころ、日本人による朝鮮人いじめの話は、噂としても
まず聞いた
ことがありません。とくに、ソウル郊外の水原にいた頃は、
日本人が少ないからと珍しがられて、地域の人たちはみな親切にして
くれていました。

私の知る限り、日本人と朝鮮人が衝突したとか、トラブルで騒動が起きた話は、聞いたことがありません。学校で先生から、「ここは朝鮮だ・・我々はこの国に、外国からやってきて住んでいる。
朝鮮人と喧嘩したり、いじめたりすることは、絶対にしてはいけない・・」
と盛んに言われ、親からも厳しく言われました。


韓国政府は、従軍慰安婦問題を取り上げ、日本に厳しく謝罪と賠償を求めていますが、当時、日本人が朝鮮の田舎に行って、若い娘たちを奪ってきたと言われていますね・・
そんなことあり得ません・・もしそんなことをしたら、誘惑犯として懲役刑
を受けます・・いや、それ以前に、村人にめちゅめちゃにやられてしまうでしょう。

そんな噂、一度も聞いたことがありません・・当時、朝鮮に住んでいた日本人の名誉にかかわることですから・・警察署長も、裁判官の判事も検事も・・朝鮮人が沢山いた。もちろん警察官は、朝鮮人も日本人も同じ権限を持って、仕事をしていました。

そういう中で、女狩りが堂々と行われて、韓国社会で問題にならなかったなんて、あり得ないことです。全人口の1%にすぎない日本人が、そんな悪いことをして安全に生きられるわけがないんです。
従軍慰安婦問題というのは、戦後に作られたねつ造だと、断言せざるを得ません。


■日本統治下のソウルで、青春時代を過ごした吉田多江さん

近所の子どもたちとよく遊びました。何の区別もなく付き合っていて、仲の良かった思い出がいっぱいで、朝鮮人と日本人の間で、いじめたりいじめられたりといったことは、本当に見たことも聞いたこともありません。


終戦で、日本に送還されるときも、家財道具を奪い取られるということもなく、
世話になった人たちにあげましたし、みんな喜んで感謝してくれました。

戦後になって「日本人名を名乗ることを強制された」と言われますが、私の周りの朝鮮人は皆、終戦までずっと朝鮮名のままでした。

戦後、韓国で言われてきた歴史認識には、あまりに嘘が多いと思います。


■朝鮮統治時代を体験した、韓国人の朴承復さん

学校で差別されたことはありませんでした。今でも、日本人の同級生に会うと、彼らは韓国語で話したがります・・それほど親しく付き合っている日本人が何人もいます。

商業学校の恩師はとても尊敬できる人でした・・韓国人・日本人関わりな
く、慕われていました。
卒業後、韓国殖産銀行に勤めましたが、差別的扱いを受けたことは全くありません。行員家族全員での温泉一泊旅行では、日本人も韓国人も区別なく楽しみました。

また、多くの日本人は、朝鮮人から家を借りて、家賃を払って住んでいました。
戦後に言われる、日本人が韓国人の家を搾取したなど、聞いたことがありません。
当時の日本人は本当に質素でした・・日本人が韓国人の生活を侵害するとか、略奪するとか、婦女子を辱めるとか・・そんな類の法に反することは全くしませんでした。だから、当時の日本人に対して、悪い印象など全く持っていないのです。

2013年12月16日

韓国・反日ナショナリズム-6

国際世論を味方にする外交戦略


中・韓は対日外交で、米国の世論を味方につ
けようと、積極キャンペーンを展開している。


一例をあげると、韓国政府は来年一月にフラ

ンスで開かれる国際漫画フェスティバルに、

従軍慰安婦問題をテーマにした作品を50点

出展する準備を進めている。

これを各国語に翻訳し、世界各国に配布する

という。
日本は国際的広報に力を入れてこなかったた

め、尖閣諸島の問題でも押し込まれている。

徹底的な広報戦略の強化と、日米関係の緊密

化が求められるのです。  
                                 10/29 読売新聞

東京オリンピックの誘致に成功したのは、

広報に力を注いだお蔭・・オリンピック開催は

日本が世界から愛され、仲良くできる国であ

ることを印象づける、絶好の機会になります。


1130 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~
「韓国・反日ナショナリズム-6」


「日本が大きく右傾化した」との正確でない情報が、世界に流れている。

ジャーナリストは基本的に左寄りだ・・日本のことを本当に知って報道するのではなく、中国や韓国の報道から日本を見る。残念ながら日本のメディアの発信力は無いに等しい。            12/1 読売・塩野七生「時論」


朴大統領は、「加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても
変えることはできない」と語っている。
問題の歴史認識・・「従軍慰安婦問題」「竹島は韓国領だ」・・このような主張を
「正しい知識」と称し、韓国は今「極悪非道な日本」のイメージを、国際社会に広め、反日感情をあおるキャンペーンを大々的に展開している。
韓国と日本、どちらが間違っているのか?・・日本政府も、明治以降の日韓の
歴史を正しく検証し、国際社会や国民に、韓国が主張する歴史認識に間違いがあるなら、日本の名誉にかけて、反論すべきではないでしょうか・・

以下、外交評論家・岡本行夫/10/29 読売新聞を転載します。


韓国の歴代大統領は、政権末期に求心力が落ちてくると、「反日カード」を切る
ことがよくあります・・が、朴氏のように、最初からというのは異例です。

特に「ここまでやるか」とショックを受けたのは、朴氏が6月に訪中した際、習近平国家主席に対し、朝鮮独立運動家の安重根(アンジュンゲン)が、日本の初代首相・伊藤博文/初代韓国統監を暗殺した中国ハルピン駅の現場に、記念碑を建てるよう求めたことです。


岡本氏が米国で講演したとき、韓国の大統領が中国の習近平に、伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑を、中国のハルピンに建てるよう求めた話をして・・

「ケネディ大統領が暗殺されたダラスに、オスワルドの記念碑を作ろうと提案しているようなものだ」と話します・・米国の聴衆はみな、シーンとなります。

7月、ソウルのサッカー東アジア・日韓戦では、観客席に安重根が描かれた巨大な垂れ幕が掲げられた。

朴大統領のこういう姿勢があと4年続けば、韓国人の反日感情は更に強まり、日本人も韓国人を嫌いになってしまう・・
そうすると、10年くらいは日韓関係が冷え切る・・
と、大変心配しています。

朴氏の外交戦略は、米中韓の三国間で協力関係を強め、日本を排除し、日本をアジアの「のけ者」にするというもの。
朴氏が反日キャンペーンを繰り返すうち
は、韓国に首脳会談を求めても仕方がないと思います。

それよりも、米国を始め、日本に理解を示す国際世論を味方にする外交の方が、大事でしょう。


中国とは、尖閣諸島をめぐる問題さえ乗り越えられれば、改善に向かう可能性も
あります・・が、韓国については、しばらく打つ手はありません。


国際世論が「韓国はちょっとおかしいのでは・・」という論調になり、今の「反日戦略はまずい」と韓国が思わない限り、変わらないでしょう。

                                                                                      10/29 読売新聞

2013年12月18日

韓国・反日ナショナリズム-7

日本と韓国間では、教科書問題を始めとして
、歴史認識をめぐる摩擦が後を絶たない。

韓国のマスコミは「反日記事を書けば読者に
受け入れられる」と政府に追従し、 国民の
反日感情をあおってきた。


最近、行き過ぎた反日を戒める記事も見られ

るようになり、「反日無罪のような態度は、

韓国に好意を持つ日本人を敵にしてしまう」

と警鐘を鳴らす。    

11/13朝鮮日報・・「世界中で韓国よりも
日本が信頼されているのは何故か・・

興奮しやすく、理性的でなければならない時

に、感情を露にする気質・・
他人が何を言おうが、内輪で万歳を叫べば
いいという態度・・

これらを改めなければ、日本との関係は良く

ならないだろう」


私たちが韓国の歴史に無関心のままだと、

韓国の主張をそのままうのみにして、韓国
の言い分が通ってしまうだろう。



1131 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~
「韓国・反日ナショナリズム-7」


韓国は1980年代に民主化が行われ、今では一人当たりの国民所得が、日本(世界12位)の約半分、アジアでは香港に次いで三番目(世界35位)の所得水準に達し、民主国家として、世界での活躍はめざましいものがある。

しかし、韓国の政治・経済・社会・文化には、きわめて特異なものがあって、近代国家とは呼び難いものがある。

韓国社会を中から見ると、その近代的装いと異なって、どうしようもない前近代的な仕組みに支配されている。


今日韓国が病んでいるのは、理不尽な社会が長く続いた李朝時代が、ほとんど改められることなく、そのまま続いていることにある。

李朝の社会がどれほどおぞましいものであったか・・李朝がどのような歴史的経緯によって開かれたのか・・そうした経緯を知らずして、今日の韓国人の心理・行動様式を理解することは出来ないだろう。


北朝鮮は、李氏朝鮮が、まさに名前だけ付け変えられて存在する国です。
つい最近、ナンバー2の最高幹部が突然抹殺処刑された・・
文字どおりの虐政が繰り返えされ、民主主義とも人民の国家ともまったく無縁の国である。

李朝という下敷きがなければ、北朝鮮のような体制は出現しなかっただろう。

一方の韓国は、国内での民主的覚醒が進んでいるものの、大統領官邸への権力の過度の集中や、法を無視した人治主義、汚職・収賄構造が深く根を張る構造は、韓国民が今だ「李朝の呪い」から抜け出せずにいる証しだろう。

李朝では権力がすべてだった・・権力の座に坐った者が政敵を徹底排除し、暴虐の限りを尽くした。法は、権力者によって好き勝手に用いられ、権力の奪い合いは凄惨をきわめた・・こうして朝鮮の歴史は、恨みに満ちたものになった。
李朝時代の500年は階級差別社会・・その底辺では、奴隷の身分にあえぐ民衆・・絶望した民衆は、ただ搾取の対象でしかなかった。

権力者は、美辞麗句をもてあそんだが、人命も道徳もかえりみることはなかった。

かっては、高い文化と独立性を保ち、近隣諸国から高徳の民として尊敬を受けていた韓民族・・なぜにこうも屈折した精神を持つようになってしまったのか?

勇気をもって過去の歴史を検証し、誤りを正していかない限り、明るい未来を手にすることはないだろう。

                    崔 基鎬(チェ ケイホ)著「韓国堕落の2000年」

「李氏朝鮮が支配する呪われた国家・・中国の属国にあまんじた500年」から朝鮮民衆を救い出し、朝鮮の独立と近代化に貢献したのは、
他ならぬ日本であった・・
そうした史実を知った上で、日韓の友好促進に努めなければならない。

2013年12月20日

会津藩始末記

韓国や中国の日本への覇権的・挑発的行為

には いら立ちを覚えます。

日本は、今後どう対応すればよいのか・・
明治維新当時の歴史を振りかえると、
そこに学ぶべき、内政・外交のヒントが、
隠されている ような気がするのです。


1132 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

~歴史から学ぶ~ 「会津藩始末記」


NHK大河ドラマ「八重の桜」が終了した。

明治元年、会津藩が頼みにした仙台藩は、会津城落城以前に官軍に恭順してしまい、奥羽越列藩同盟は瓦解してしまった。


これに不満の仙台藩士や、奥羽の脱藩者、他藩の佐幕派を含む
反政府軍2500名は、榎本率いる旧幕府海軍の松島湾に集結。

数隻の軍船に分乗して、函館の五稜郭に立て籠もった。


翌明治2年2月、新政府は東京への遷都を決定・・江戸城が皇居になった。
5月には、函館五稜郭を攻め落とし、全国平定を果した。


軍事参謀を務めた土方歳三は戦死したが、首領格の榎本武揚は、
後に新政府に迎えられ、諸大臣を歴任した。

副首領の大島圭介は学習院長、駐清公使を務めた。

他にも旧幕臣の有能な人材が、新政府の重要な地位に、どしどし登用されている。

最後の将軍徳川慶喜は、罪を問われず、朝廷から従一位を贈られた。


明治維新といえば、薩長のクーデーターで幕藩体制を崩壊させ、天皇制国家を樹立した革命・政変だが、当時の明治政府が偉かったのは、
賊軍の罪を問うよりも、恩讐を超えた「和合政策を優先」したことです。
明治政府の真の功績は、心ひろく征服者と被征服者を同列に扱い、
平民にも名字を与えた「四民平等政策」にある。


会津藩士のその後は「八重の桜」で語られているが、ドラマの脇役を務めた会津藩家老・西郷頼母は、会津降伏後、函館五稜郭の合戦に加わって捕縛され、投獄されたが、釈放されて会津に戻った。

晩年、元会津藩主・容保が、日光東照宮の宮司になると、頼母はその下で禰宜(ねぎ)を務めている。                                                       
                             ジェームス三木「西郷頼母・会津藩始末記」より


フランス革命や、韓国李朝時代の政変に見られるように、世界の歴史で悲惨な流血を伴うことなく、無血革命を成し遂げたのは、たった一例、
徳川から明治政府への政権移行のみです。


会津藩に、時代が読めて、政治が分かる人がいたら・・官軍の参謀・
大村益次郎のような戦略家がいたら・・このような無残な結末にはなら
なかっただろう。

歴史を創るのは人であり、その歴史の逸材を育てるのもまた人てある。

再来年の平成27年の大河ドラマは、吉田松陰をめぐるドラマに決まった・・いまから楽しみである。

2013年12月23日

日本人の宗教心

クリスマスの由来


クリスマスは、キリストの生誕を祝う日だが、

イエスが誕生した日ではない。

東方教会では、キリストの生誕は洗礼ととも

に一月六日に祝われていた。


ローマ帝国時代、太陽神ミトラスを主神とす

るミトラ教の”冬至”の祭りが、西方のキリス

ト教に取り入れられ、四世紀頃12月25日

がキリストの生誕を祝う日になり、定着して

いった。

クリスマスツリーを飾る習慣は、15世紀に
南ドイツに現れ、それがイギリスに伝わり、

キリスト教社会に広がっていった。


サンタクロースは19世紀、伝説をヒントに

ニューヨークの百貨店が客寄せに始めた・・

それがキャラクターとなって、世界中に広ま

った。

キリスト教信者が人口の1パーセントにも

満たない日本で、国民的行事になったのは、

”一神教”の国にはない、異宗教への寛容

さでしょう。


1133 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~日本人のアイデンティティ~

「日本人の宗教心」

クリスマスがやってきた・・街は至る所、ツリーとサンタが飾られ、
クリスマスソングが聞こえてくる。 各家庭は、子どもたちにプレゼントを用意し、家族そろってケーキを囲み 、キリストの生誕を祝う・・
しかし、教会に出かけて賛美歌を歌うわけでなく、お祈りすをるわけでもない。
その一方で、仏教が生活に密着している日本にあって、 4月8日のお釈迦様の誕生日を祝おうとしない・・何とも奇妙な国です。

現在、日本の人口は一億二千万人だが、宗教人口を集計すると、 一億八千万人になるという。


一方、日本人の半数以上が「無宗教」と回答している。
この数字から、
何らかの信仰を持っている日本人は約六千万人いて、 1人が三つ以上の宗教を信心していることになる。

一神教の、キリスト教やイスラム教の国では考えられないことです。


自分は無宗教だと言っている人でも、お寺には先祖の墓があり、
お盆には墓参りをする。法事があれば、親族が集まりお経をあげる。

正月は元旦に初詣に出かけ、商売繁盛、家内安全、安産、入学祈願、そして七五三・・月参りを欠かさず、毎日神棚に向って柏手を打つ・・
神教が日常生活に溶け込んでいる日本。

家を新築するときや、道路や橋、公共施設を造るとき・・地鎮祭は欠かせない。
人に薦められて、何か他の宗教に入信しても、檀家を返上したりはしない。
一神教から見れば、あまりにもいい加減・・ 複数の宗教を同時に信仰するなど、とても考えられないことです。


日本人はトラブルでも起きない限り、心が安らぐなら、異なる宗教が幾つ重なろうと受け入れてしまう・・違和感を感じないのです。

「困ったときの神頼み」と、自分に都合の良い神や仏を、都合のよいときに拝み、願い事をする・・心が安らぐのです。


一つの宗教を信心し、熱心に教会に通って、精神の安定を求める生き方もいいでしょう。

方や、道端のお地蔵さんに手を合わせ、旅行先のお寺や神社で、 宗派をいとわず無心で手を合わせ、こうべを垂れる。
日本人であれば、
ごく普通に見られるこうした光景は、キリスト教やイスラム教とは違う、日本人特有のものなのです。

2013年12月26日

座禅とは・・

御誕生寺・板橋興宗住職のプロフィール
東北大学卒業後、1953年出家し、總持寺

で修業する。
その後、瑞洞院住職、總持寺祖院・後堂を

務める。
さらに、金沢・大乗寺山主になり、

「椅子座禅」を提唱して普及に努める。
1998年總持寺管主、曹洞宗管長となる。


5年後、總持寺祖院貫主になり、2002年

越前市に御誕生寺を復興して、住職となる。

御誕生寺では、現在約30人の修業僧が、

座禅と托鉢に励んでいる。

 

002007


1134 【心と体の健康】

「座禅とは・・」

 

毎年元旦は、朝五時から寺町の禅寺で般若心経を詠み、座禅を組むことから始まります。その後、お寺でおせち料理をいただき、新年を祝います。

以下は、福井県・御誕生寺/板橋興宗住職が、
NHKテレビ『こころの時代/ただ、ありのま
まに生きる』で対談したものですが、「座禅とは・・」を、分かりやすく語っています。


金光「三十人ほどの修業僧が座禅の修業をしていますが、座禅とは
        どういうことですか?」

        住職『足を組むことが、必ずしも座禅ではないのです。
        座禅をして「足が痛かった・・窮屈だった」というような訴えをする

        人がいます。
        我々では・・背骨を真っ直ぐにして腹式呼吸をする・・
       「丹田呼吸」
と言うんです。

        丹田呼吸が自然にやれるようになると、セトロニンという神経伝達
        物質が、脳内に満ちてくるのでしょうね・・
        それで座禅をやると、自然に心が落ち着いてきます』


金光「座禅は自分を究明することだと言われますが・・
        それはどういうこと
ですか?」

住職『今の私の命なのですが・・”いのち”って何や?・・と私自身に反問
         してみる。
        
こうして「机をトントン叩く」・・すると音が聞こえる・・見える。 
        「膝を叩く」・・叩くと痛いと感じる。この出会い、この事実ですね。
          この実感が”いのち”そのものであり、”私”なのですね。

        「いのちそのもの」というのは・・いまここに・・その時、その時の縁
          触れ合い
です。
         それ以外に”いのち”はございません・・それを修業で自覚し、 
          実感するのです』


金光「坐って座禅なさっていらっしゃる時の、頭の中というのは、
        どういうふうになるもんでございますか?」

住職『脳は生きていますから、座禅中にも、脳の中にいろんなことが
        浮かんできます・・次々に浮かんでは消え・・座禅中の妄想です。

        脳の中に浮かんできたことに、取りつかない(関わらない)こと  

        です』

金光「これはやはり、トレーニングといいますか・・いつもそのようにし  
        て座っていると、妄想に取りつくことが、少なくて済むようになる・・」

住職『少なくなりますね・・しかし、私も六十年近く座禅をしていますが、
        雑念は浮かんできます。だがそれを気にしなくなりました・・
        今は、自分の吸う息、吐く息に意識を集中させて坐っています。
        確かに・・少なくなっていますが、いろいろ・・雑念はなくなりませ
        んね』

金光「で・・そういうふうに呼吸に集中していると・・頭の中に湧いてくる
        雑念も・・ だんだん静まって・・」
住職『静まるというよりも、それにあんまり取りつかないようになる・・
       また忘れたころに、また次々に出てきますから・・自分の呼吸に 
       関
心をおくようにしています』

2013年12月30日

初夢


今年一年

ありがとうございました

良いお年をお迎えください



1135 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~ことば遊び~ 「初夢」


今年最後の「なんだかんだ」は、お正月に見ると縁起がいい
「初夢」です。

日本には昔から、元旦から2日の夜に見る「初夢」は、
その年の吉凶を占う風習があります。

この風習は、古く室町時代にさかのぼり、良い夢を見るには、
七福神が乗った宝船の絵に・・
長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音のよきかな
前から読んでも後ろから読んでも同じ歌になる「回文」を枕の下に入れて寝ることが流行りました。

悪い夢を見たときは・・翌朝、宝船の絵を川に流し、縁起直しをした。
今なら、初詣で引いたおみくじを、境内の松の枝に結ぶのと同じです。


初夢に見ると縁起がよいものを表すことわざに、「一富士ニ鷹三茄子」がある。江戸初期には既に縁起ことばとして存在していて、その起源は様々な諸説があります。


[諸説1] 徳川家由来の地・駿河国での高いもの順・・富士山、愛鷹山、

              初物のナス

[諸説2] 富士山、鷹狩り、初物のナスを、徳川家康が好んだから・・


[諸説3] 富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、ナスは事を”成す”


[諸説4] 富士は”無事平穏”、鷹は”高い”、ナスは事を”成す”の 
             縁起ことば

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