■李承晩ライン
中学生の頃、鮮明に残っている「李承晩ライ
ン」の記憶・・日本の漁船がだ捕されるたびに、
子どもながら、腹立たしい思いをしたものです。
李承晩ラインとは、建国したばかりの韓国が、
海洋資源の独占、領土拡張を目的とし、独断
で公海上に突如設定した排他的経済水域の
ことです。
この海域内で漁をした日本の漁船はだ捕され、
銃撃殺害される事件も起きた。
国際法を無視した韓国の行為は、日韓漁業協
定が成立するまで13年間続き、その間韓国に
抑留された日本人は約4千人、だ捕され漁船
は328隻、死傷者は44人を数えた。
1954年、1951年に日本と平和条約を締結
した米国は、韓国政府に対し、竹島を日本領
土とし、李承晩ラインの一方的宣言は違法で
あることを書面で伝えた。
1124 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~
「韓国・反日ナショナリズム」
韓国は、日本と友好関係を高めることよりも、国会議員の靖国参拝や教科書問題など、日本の内政に干渉して、反日ナショナリズムをあおって、嫌悪感を露わにするのは何故だろうか?
戦後、韓国政府は国民の支持を得るために、ナショナリズムの色彩の濃い政策を取り入れてきた。
日本人にとって植民地は、過去の歴史でしかない。しかし韓国人にとっては、現在からそれほど遠い過去の歴史ではないのです。
韓国人は、戦前日本に支配されたことを、屈辱として忘れられず、
植民地をもって反日感情を語ろうとしている。
1945年、終戦と同時に日本から解放された韓国に、1人の韓国人が戻ってきた。彼の名は李承晩・・アメリカに亡命していた彼は、朝鮮における日本統治を知らない。
その彼が、韓国初代大統領の地位につくと、親日派をすべて追放し、
もはや反日でなければ韓国で生きられないようにした。
国家的アイデンティティの基盤を、反日感情に求めていった。
独立したばかりの李承晩政権は、統合した国家を建設するため、
「反日」と「反共」の二つのイデオロギーを利用した。
しかし「反共」は一般民衆には実感が沸かない。「反日」は全国民が経験した植民地時代の記憶と直接結びつき、政権に利用されたのです。
「反共」が国民感情に定着するのは、1950年の朝鮮戦争以降になるが、「反日」感情が高まるのは、1965年日韓国交正常化の後であって、その歴史は浅い。
李承晩の長期独裁政権に国民の不満が高まった時、軍事クーデターで朴正煕が権力を握った。朴政権は、日韓国交正常化を図ったが、日本に対しては二つの異なる態度を取った。
表向き、国民に対して反日を叫びながら、その裏では「戦争請求権」を日本に要求するなどで、経済的実利を手に入れた。
インドのガンジーや、インドネシアの独立の父スカルノのような・・日本と戦って独立を勝ち取った英雄など、元々存在しない韓国。
朴政権は、国民の目を「反日」に向けるため、4世紀も昔に豊臣秀吉と戦った”李舜臣”を英雄化し、その遺跡を聖域化し、顕忠祠を建立して、反日愛国教育の現場として利用するようにしたのです。