■橋下市長・・日本の民主主義議論を語る(2)
2012.3.3
『日本には、物事を決定する民主主義が根付いていない。
民主主義の要は”議論”だが、日本の議論は誰かが意見
を言うと、それに反対するのみである。
反対する側は、反対するだけ・・反対するだけで許される
のが日本の議論。本当の議論とは、反対する側も、自ら
の対案を示さなければならない。
会議では、出された具体案を相互に批判し、自案の優位性
を主張する。意見が出尽くしたところで、双方の案の良い
ところを重ね合わせ、良い方を選んでいく。
日本の議論は、ある主張とそれに対する反対論のみ。
反対する側は反対するだけ・・なら「あなたの具体案は?」
と問うと、何も答えられない。
政府・野党間の議論は、日本の民主主義をダメにしている。
政治家の多くは、全くそのことに気づいていない 』
1122 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「民主主義の取り違え/多数決で決める」
私はディベートが苦手で、筋道立てた論議が苦手である。
会議で、自分の意見・主張が相手に伝わらないとき、イライラしてつい
声を荒げ、自分の意見を押し通そうとする・・それはよくないと・・物事を決める前に、あらかじめ出席者の考えを聴いたりする。
日本人の多くは、民主主義が分かっていないという。
前号の「話し合いで決める」というのは合議制であって、民主主義の
基本ではない・・というのも、そう。
「民主主義=多数決」というのも錯覚だという・・
言われてみれば・・多数決というのは、採決法の一つにすぎない。
何でもかんでも、多数決で決めるのが良いというものでもない。
行政であれ、企業であれ、それらの長は專決権を持っていて、即断即決で物事が決められていく・・多数決ではない。
ところが日本人の多くは、何でもかんでも多数決で決めなければ、民主的でないと考える・・そんなことをしたら、国家機能も企業経営も行き詰ってしまう。
議決の仕方を知らないと、何も決められなくなる・・決められないから、
根回しが必要になってくる・・そして、会議が始まる時には、大方大半の結論が出ていることになる・・外国人から見れば八百長である。
民主主義に言う会議は、予め定めた議決方法に従って、意見を戦わせ決定していく・・多数決を指すわけではない。
ところで、こうした民主主義の論理は、国内における民主的論理であって、世界の論理ではない。
国際社会では、別の論理が働いている・・それは、国家間の”力”の論理である。国家間では会議のルールは機能しない。