■江戸庶民は「自由と権利」を有していた
前号で、幕末に日本を訪れた外国人が、
「日本の民衆が幸福そうで、生活に満足している」 という
事例を紹介しました。
これは外国人から見て、江戸庶民が「自由と権利」を 有し
ていると観察したからです。
オランダの軍人カッテンディーケは、「日本政府は民衆に
対してあまり権力を持たず、行使していない」とも書いて
いる。
<権力を使わないから、自由>
江戸の庶民が、自由に見えたヒントはここにありそうです。
国家が権力を振りかざし、国民生活に介入することほど
怖いことはありません。
9/22 中日新聞社説
1115 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「憲法に守られる国民の自由と権利」
「自由よ伸びやかで」・・今の時代を生きる私たちにとって、”自由”の
響きは何とも伸びやかです。
憲法は、国民にいくつも自由と権利を保障しています。
現代の日本人は、過去の歴史から見て、はるかに確立された自由と権利を持っています・・日本国憲法で保障されているからです。
国民主権であり、国民一人ひとりの基本的人権が規定されているのです。
人権とは「人間が生まれながらに持っている権利」で、
「思想・良心の 自由」「表現の自由」など、憲法では国家はこれを侵してはらない約束事になっています。
「健康で文化的な生活を営む生存権」も、「教育を受ける権利」も、
「労働基本権」という社会権もあります。
経済的・社会的弱者を、国家が保障して守らせるのです。
だから私たちは、自由の空気を胸いっぱい吸うことができるのです。
しかし、ここにきて雲行きがおかしくなってきています。
自民党の憲法改正法案が、現実味を帯びてきたからです。
国民にとって、憲法第九条の改正は最大の問題です。
自由と権利を定めた十二条なども要注意です。
改正草案にはこう書かれています・・「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」
戦前、国民は「お国のため」という大義名分のもと、戦うことを強いられ、 公益に反する行為は「国辱」として弾圧された・・
あの悪夢がよみがえってくるような・・そんな匂いがするのです。
現憲法の同条文には”義務”の文言はありません。
国民に義務を押し付け、国家が「公益」や「公の秩序」に、国民を服従させようとの意図が、露骨に感じられるのです。
この草案では、国家に都合よく秩序の枠を決めることも可能です・・
なんと危険で窮屈なことでしょう。
国家が、私たちの権利に指を突っ込もうとしている・・
時代錯誤もいいところです。
9/22 中日新聞社説