■みかん船伝説
紀伊国屋文左衛門は、紀州出身・元禄時代の商人。
二十代のある年、天候が悪く、江戸への航路は閉ざされて
いた。
紀州から船が来ないので、江戸ではミカンが高騰し、紀州
では上方商人に買い叩かれて、暴落。
その時節江戸で神事があり、ミカンを撒いて振る舞う風習
があった。
これに目をつけた文左衛門・・大金を借りてミカン船を仕立
て、嵐の中、船乗りたちを説得して江戸に向かった。
嵐をいとわずミカンを届けた文左衛門は、江戸っ子の人気
者に・・
一方大阪では、大洪水と伝染病で、難儀していた。
それを知った文左衛門・・船一杯”塩鮭”を積んで、上方へ
戻 り、又も大儲け。
その稼ぎを元手に江戸で材木問屋を起し、明暦の大火で
材木を買占めて百万両を手にし、豪商へと出世していった。
1114 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~歴史から学ぶ~ 「江戸の庶民は自由で伸びやか」
江戸時代、歌舞伎・浮世絵・落語・相撲、それに吉原など、多種多様の庶民文化が江戸で栄えたが・・何故なのでしょう?
当時、江戸の人口は百万人を超える、世界一の都市でした・・
その大都市江戸の文化を支えたのは、庶民でした。
この世界一の消費都市を、地方で農林漁業を営む生産者が支えていたのです。米は百姓が作り、魚は漁師が獲ってきた。
江戸に住む人たちは、それを買って生活していた。
江戸時代は、平和で安定した世の中が長く続いた・・
武士も庶民も余暇を楽しみ、趣味にお金をつぎ込む余裕があった。
お金さえあれば、全てが事足りる江戸・・武士も町人も、稽古事や娯楽に時間を割く余裕があったのです。
巨大消費都市江戸は、何をしても商売が成り立った・・稼ぎが無くて困っていも、長屋の人たちに助けられた・・食べられない人はまれだったのです。
貯金がなくても暮らしていけるから、「江戸っ子だい!宵越しの銭は持たねェ」と啖呵が切れたのです。あったらあっただけ使ってしまうから、消費は拡大する・・江戸の経済は活発になり、庶民文化の花が咲いたのです。
庶民の暮らし向きは質素で、贅沢はできなかったが、隣近所助け合いながら、抑圧されない「自由な生活」を楽しんでいたのです。
同時代・・隣国・朝鮮の庶民は抑圧と重税にあえいでいた・・
趣味・娯楽など、庶民のエネルギーから生れる文化は芽生えなかった。
『日本の下層階級は、世界のいずれの国よりも大きな個人的自由を享有している。そして彼等の権利は驚くばかり尊重されていると思う。
しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも、余りその比を見ないほど、自由なのである』
この記述は、幕末に来日したオランダ軍人カッテンディーケが「長崎海軍伝習所の日々」に書いた一文です。
もう一人、英国の初代駐日公使オールコックも、次のように書いている。
『一般大衆の間には、我々が想像する以上の真の自由あるのかもしれない・・自由と民主的制度のあるヨーロッパの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は、多くの自由を持ち、個人的に不法な仕打ちを受けることなく・・(略)』
身分制度に縛られた江戸時代にあって、武士は庶民の感情を傷つけないよう振る舞い、庶民の暮らしは、現代の私たちが想像する以上に自由だったのです。
9/23 中日新聞社説