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2013年09月 アーカイブ

2013年09月02日

和紙業界オンリーワン企業を目指す

TPPのメリット・デメリット

[メリット]
・関税の撤廃により貿易の自由化が進み、日本製品の
  輸出が促進される

・整備・貿易障壁の撤廃により、大手製造業にとっては、

  企業内貿易が効率化し利益増になる

・鎖国状態から脱し、グローバル化を加速させることに

  より、GDPが10年間で2.7兆円増加する


[デメリット]

・海外から安価な商品が流入して、デフレを引き起こす
・海外から安い農産物が流入し、国内の農業が大きな

  ダメージを受ける

・規制緩和により、食品添加物、遺伝子組み換え食品、

  残留農薬など、食の安全が脅かされる

・医療保険の自由化、混合診療の解禁により、国保制度
  の圧迫や、医療格差が広がることが危惧される



1099 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「和紙業界オンリーワン企業を目指す」

 

大企業が着目しない職種の中に、中小企業の生きる道があり、そこで培った高レベルの技術は、同業他社の追従を許さず、オンリーワン企業としての地位と信用を確保するのです。


■ひだか和紙有限会社

2013年6月、機械すきで世界一薄い和紙の製品化に成功


「ついにやった! 世界一更新だ」・・どんよりした梅雨空の6月11日の朝、高知県のほぼ真ん中にある、日高村の和紙製造会社「ひだか和紙」は熱気に包まれていた。

紙の厚さわずか0.02ミリの、極薄和紙作りに成功したのです。

重さにして1平方メートル1.6グラムと、1円玉2個に満たない。


和紙の工程は、コウゾを蒸して表皮をむき、繊維の部分を取り出して加工する。
漂白して水にさらし、手で「ちり」を取る工程を、何回も何回も繰り返す。

わずかでもちりが残っていれば、薄く均一にはできないからだ。

ちりを除き、水に繊維を浸して液体状になった紙料を、網の上に載せ、すいていく。

加工の段階から製品になるまで3~4カ月という、地道な作業だ。

土佐和紙は、”ちり”を取ることで薄く仕上げられる和紙として知られる。

長年、厚さ0.1ミリのタイプライター用紙を、海外に輸出してきた。


その紙を、コウゾの繊維の直径と同じ0.02ミリ・・ティッシュペーパーの5分の1程度にまで薄くした・・両手でつまむと、紙の向こう側が全部透けて見える。

これだけ薄く仕上げるには、紙料の濃度や、すいた紙の水分を落とす速度の調整が難しい・・その加減が職人の技だ。


国宝や重要文化財の古文書など、大事な書物の修復には欠かせない超薄の和紙。
古文書は、書かれてから千年を超える年月を経ている・・破れたり穴が開いたり、紙は古くなってぼろぼろだ。


その紙の両面をこの和紙で覆う・・薄いから古文書の字は読めるし、
書物を補強できる・・ここまで薄く強い紙はめったにない。

和風の家が少なくなり、ふすまや障子紙などの需要は激減。
生活から和紙の需要は減る一方だが、この薄い和紙の向こうに、
世界を相手にしたビジネスを見据える。


修復材としての和紙の売上はまだ1千万円と、会社全体の一割程度。

だが、紙を使う修復需要は、欧州だけで100億円以上・・
日本でも20億円はある。

伝統の和紙で、新たな市場を切り開く、トップランナーになる意気込みは十分だ。

                                                            日経新聞「しごと図鑑」より

2013年09月05日

心に残るいい話/卒業式

捨てるのはどっち?

妻が 家に迷い込んだ猫を飼い始めた。

でも爪を立てるので、柱やふすまがボロボロ。

「もう捨てろ!」と言うと、俺と猫をまじまじと見比べた。

『おい・・今どっちを捨てるか・・考えたろ!』


おしゃべりに夢中

一日の出来事をいろいろ話すのを、夫は黙って
聞いてくれる。ある日、台所で後片付けをしていて、
振り向いたら夫がいない。
トイレから戻った夫に・・
「一人でしゃべっていたら、バカみたいじゃないの」
と怒ったら、『いつものことだけど・・』と言われた。


立場が逆転した夫婦

定年後、夫婦でよく外食をするようになった。

健康な妻は、いつも自分だけ大盛りを注文し、
ビールも大ジョッキ。

朝食の後、後片付けもせず、新聞を読んでいる。

ア~ア・・現役時代と立場逆転だ!

おれも昔は・・こんなんだっけか?


中日新聞「つれあいにモノ申す」



1100 【心と体の健康 】
~幸せな人生~ 「心に残るいい話/卒業式」


子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、心温まるいいお話しです。


小松まり子さんというお母さんがおられて、その方のお子さんの足が不自由で、小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。

六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。

毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。


来年から中学・・みんなと同じ中学に行けると思ったら・・教育委員会から「お宅のお子さんは体が不自由だから、設備の整った肢体不自由児の中学校に転校してください」って言われたのです。


ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。

六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・署名運動までして嘆願した。

「エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、僕らがいます・・

車椅子を担いででもやります」って言うんです。

そんな約束までして・・また三年間、一緒に中学に通ったのです。


三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、身体不自由なうえに弱かったものですから、風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。

いつものように迎えに来た友達に、ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。

『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。

お父さんも『今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。

お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・お父さんではなかったんですね。

卒業式を終えられた校長先生が、卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・各学年で担任をされた先生方も・・小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・一緒に来てくれたのです。


校長先生は『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』
とおっしゃった。

みんな部屋に集まった・・お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。先生方は「よく頑張ったね!」と握手し、友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。

お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。

お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。


お父さんは、部屋のみんなに、喉を詰まらせながら、お礼を言いました。

『息子は・・皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・何を学んだかは、本人に聞かないと分かりませんが・・人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・
ということを学んでくれたら、それだけで十分です』


「NHKふれあいトーク集・懸賞論文」より

2013年09月09日

永平寺・五観の偈

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019 020

1102 【心と体の健康 】
~幸せな人生~ 「永平寺・五観の偈(ごかんのげ)」


曹洞宗の大本山永平寺を訪れたのは、何年ぶりでしょうか・・
今から約770年前、道元禅師によって開かれた座禅修業の道場として、また信徒の信仰の源としてにぎわっている。


今回初めて僧侶の案内で、山門、仏殿、僧堂、庫院など、寺院内をくまなく約一時間かけて見学しました。

その後、食事を頂きました・・まず食事のマナーを教わり、食事に感謝する五つの言葉「食前の偈(げ)」を唱和して、箸を取りました。

                   013
五観の偈(ごかんのげ)

一つには 巧の多少を計り 彼(か)の来処を量る

私たちがいただく三度々の食事には、多くの人の手数や労力が費やされている。

そのご苦労に感謝し、大自然からもたらされる恵みへの感謝を忘れてはならない。

二つには 己が徳業の全けつをはかって 供(く)に応ず

食事は、自分の人格を成さしめんがための尊いたすけとしていただくものです。

まず、わが身わが心を省みて、人の道に欠けるところがないか反省して、頂かなければなりません。

三つには 心を防ぎ過(とが)を離るヽことは 貪等(とんとう)を  
  宗とす

むさぼりの心や、いかり心で食膳に向かってはならない。

このような心で食事をすれば、食事は毒となり、心を養うことは出来ません。

四つには まさに良薬を事とするは 形枯(ぎょうこ)を療ぜんが
  ためなり

日々いただく食事は良薬と考え、肉体と精神の枯死を防いでくれる。

食事を、単に空腹を満たす食物と思うから、不味ければ腹を立て、粗末にするのです。


五つには 成道のためゆえに いまこの食を受く

私たちが食事をいただくのは、身心を養い、人の道「徳」を成就するがためにある。空腹を満たす食物と心得違いをして、色と味にだまされ、身心を空しくしてはならない。

なにごとも成道をとなえて、自己の生命をまっとうするための「食事行」でなければならない。

2013年09月12日

韓国に庶民のお祭りがないのは何故?

 

韓国の歴史を知らない日本人
 
日本人の多くは、隣国・韓国の歴史をまったく知らない。
韓国では、中学生で徳川家康を知らない者はいないという
のに・・。
日本では、寒流ドラマなどを通して、韓国の歴史に関心を
抱いた人を除いて、1335年に李朝を創建し、518年間
続いた”李成桂(イソンゲ)”を知る人は少ない。

日本には、友好を願って韓国との親善に努力する人たち
がいる・・そうした人たちも隣国の歴史には無知で、自己
満足のレベルでしかない。

日本人の多くが善意で韓国に接していても、一たび竹島問
題が生じると、一夜にして韓国嫌いになって、両国の親善
は机上の空論になってしまう。
隣国の歴史を知らないことで、誤解を生み、民族間の衝突
になったなら、両国の安全は危ういものになってしまうだろう。
 
 
1103 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~歴史から学ぶ~
「韓国に庶民のお祭りがないのは何故?」
 
 能登を代表する祭りといえば、キリコ祭り、御陣乗太鼓、青柏祭など・・能登の村や町には、長い伝統に培われたお祭りがあり、今に継承されている。 
 能登半島だけで、年間に60ものお祭りが行われているので
す。
                    門前・小さな港町のお祭り   
                  門前 025
 
ところが、お隣の韓国には、青森のねぶたや、岸和田のだんじりなど、観光の目玉になるような伝統的お祭りが見当たらない。
何故、韓国にこうしたお祭りがないのか?
その理由は、李氏朝鮮の時代
に遡ります。
 
朝鮮王朝は、徹底した身分・階級制を敷いた収奪国家です。
底辺で貧困にあえぐ賎人や奴婢たちは、支配階級の両班(やんばん)に反抗して、たびたび”民乱”を起こした。
 
支配階級の両班は、「民衆が集う」のを恐れるあまり、「村祭り」や「宗教行事」を禁じてしまった。
朝鮮王朝の政治手法を受け継ぐ、現代の北朝鮮・金政権にも、それが伺えるのです。
 
日本は江戸時代初期、全国の領主の多くが、お国替えで新しい領地に移封させられた。
新しい領主は、領民を手なずけ、不満を取り除き、平穏に治世を行う必要に迫られ、村人が集う「祭り」を奨励したのです。
 
一方の韓国では、中央から任命された行政官が地方を治めた。
任期の短い地方官は、赴任先の住民と交わりを深めたり、村祭り育成する必用などなかったのです。
全国に支店網を持つ日本の大企業も同様・・業務・業績につながらない、地域住民との交流にはまったく無関心です。
 
加えて、「恨」の思想を根底に持つ韓国人・・王様が交代して新しい政権を樹立すると、前王が行っていた施策のすべて・・その良し悪しに関わらず排してしまうのです。
現代の韓国もそう・・二つ前の政権が積極的に推し進めてきた「太陽政策」は、次政権に引き継がれることなく、排除されてしまった
 日本は、長い歴史の積み重ねによる「文化の継承」がなされてきた・・伝統芸能、工芸、祭りなど、地域住民が懸命に守り、受け継いでいく土壌が、日本にはあるのです。
 

2013年09月16日

女(男)の言い分 「慰めの言葉」

フランス小話「男の言い分」


中年の男がつくづくと嘆いて言った。

「長女が男の子を生んだのさ。
  そうしたら、見舞いに来てくれた人たちは、
  赤ん坊をろくに見ないで、 ”お母さまは順調で?”
  と、母体のことばかり気にかけていた」


「次は長男が嫁を貰った。
  そうしたら、誰も彼も”美しい嫁だ”と言って・・
  お婿さんはいないも同然だった」


「三つ目は、親父が死んだ。
  誰もが親父の死を悲しむより、

  どれだけの財産を残していったかって・・
  お通夜の席では遺産の勘定がもっぱらの会話」

要するに、男はゼロだよ。



1104 【心と体の健康 】

~女(男)の言い分~ 「慰めの言葉」


女性は、なぐさめてほしかったり、励ましてほしい時は、自分のしたことを認めてくれる”過去形”によって、元気が出てくる・・

「わかるわ・・」「そういう経験、私にもあるわ」「それは大変だったわね」
「あなたの言うとおりよ」「辛かったわね」「よく頑張ったわね」


これが男性であれば・・
「そんなの気にすンなって」「大丈夫だよ」「なんとかなるって」
「たいしたことないって」「君なら・・やれば出来るよ・・頑張れ!」
「済んだことはいい! これから見返してやればいい」

と”未来形”で言ってもらった方が、元気になります。

                                             FB/平口実希さんの投稿より


上司に叱られた女子社員・・湯沸かし場で泣いていると・・
同僚がやってきて、耳元で慰めを言った。

『なによ、あの上司・・そんなにガミガミ叱らなくてもいいのに・・』

そして、過去形の慰め言葉で、叱られた女子社員を擁護しようとする。

女子社員は、涙ぐみながら心の中で(そう、そうなのよ・・もっと言って、
もっと言って)・・
翌朝、女子社員はみな上司の敵になっていた。

一方男性は、問題を自分自身のことと考え・・誰にも相談せず、1人で
解決しようとする。


大昔の村は、井戸のある広場を真ん中に、周りをぐる~と住居で取り囲み、堀をめぐらして外敵に備えた・・男は陽が昇ると、それぞれ山へ獲物を求めて、狩りに出かけていく・・一日中、黙々と獲物を追い続ける。


残された妻たち・・幼い子供をおぶって、井戸の周りに集まり、食器を洗い、洗濯をする。
女たちはおしゃべりに余念がない・・相手が興味を持つ話題や情報に敏感になり、人間関係にはひときわ気配りをする・・

みんなと仲良くすることが、何にもまして大切なのです。


必然的に女性は右脳が発達し、コミュニケーションが上手になっていく。

一方、狩りに夢中の男たち・・丸一日、一言も口を開かず過ごすことが多くなる・・ものごとを深く追及し、考え行動する習慣が、左脳の発達を促すのです。

こうして、コミュニケーションにおける、男と女の違いが明らかになっていくのです。

2013年09月23日

魅力あふれる金沢

フランソワーズ・モレシャン(1936~ )


フランスのライフスタイルアドバイザー。エッセイスト。

評論家。コメンティーター。ジャーナリスト。タレント。

ユネスコ日本協会スペシャルアドバイザー。

元シャネルの美容部長。外国人タレントの草分け。

              フランソワーズ・モレシャン              


1105 「吉村外喜雄のなんだかんだ」

「魅力あふれる金沢」


北陸が大好きなモレシャン夫妻は、金沢市卯辰山に住居を構えている。

以下、読売新聞に月に一回掲載している「フランソワーズ・モレシャンの北陸記」コラムから、73号を転載します。

古都金沢の本当の素晴らしさを、私たちに気づかせてくれます。


♪散歩や買物の途中、通りすがりの人から、あるいは自宅に来る友人から、一日に一度は受ける質問・・「なぜ金沢を選ばれたのですか?」
パリと東京という大都会での人生を過ごした後に「なぜ、金沢のような
田舎に?」という秘めたニュアンスがあるようです。


正直に言いますと、もし世界が経済だけでなく、環境問題も含めて、これほどの状況にならなかったら・・もし社会が、マーケティングと情報化によって、これほど非人間的にならなければ、私は金沢に来なかったでしょう。

でも、なぜ金沢? 私にはまだ、人間的な環境が残されている街に見えるからです。

まず自然環境・・今私は、卯辰山に住んでいますが、山から降りてくる空気のおいしいこと。
猫たちの毛もフワフワで、長年の喫煙で肺に問題のある夫も元気・・

木々草花に囲まれた環境で、四季の楽しさに飽きることはありません。

鳥や虫の鳴き声が静寂を深め、自ら思案の声もよく聞こえます。

朝の空気とともにバルコニーでのコーヒータイム・・夕刻には食前酒アペリティフ。

目前には夕日きらきら輝く浅野川・・緑の丘は兼六園・・遠くには白山山系。この贅沢に、東京からの友人たちは・・羨望の溜息ばかり。

ところが、街中に住む金沢の人には、「卯辰山は不便でしょう」と言う・・
とんでもない。

東京やパリの大都市感覚では、卯辰山の我が家は街の中心のすぐ近く・・私はどこにでも歩いて街へ降りていきますよ!

さらに徒歩圏内には、伝統的な町屋敷や美術館があります。

石川県立美術館周辺、21世紀美術館、しいのき迎賓館と金沢城郭を散策・・素敵な景色を眺めながらのおしゃれなカフェでの一服・・レストラン、小料理屋での食事の喜び・・シェフ(料理人)は職人気質だ。


もう一つ、金沢びいきの最大の理由は・・駅前や武蔵、香林坊から竪町・・あちこちで買い物を楽しみますが、どのお店でも、店員さんたちの自然で丁寧な対応・・
形だけの丁寧過ぎる失礼もなく、人間的なのです。


大都会で、時代や経済の発展とともに見失われた「街の魅力」・・
人・伝統・自然・新旧の文化・・他の街にない金沢の魅力こそが、
「美しい日本」のモデルなのです。

2013年09月26日

テレビは子どもを蝕む

NHKが幼児を対象に、「汽車」「電車」「積み木」など、
448語の言葉について理解度を調査したところ・・

ゼロ歳の時点で「テレビ視聴時間」が長い幼児ほど、
1年後に「言葉の意味」を理解する比率が低いことが
明らかになった。

一方、「外で遊ぶ時間」や「絵本を読み聞かせる頻度」

の高い幼児は、理解する言葉の数が多かった。

                                              読売新聞の記事より



1106 【心と体の健康】
~子育て~
「テレビは子どもを蝕む」


子どもにとって幸福とは・・

『 知らなくてもよいことを、知らないままにしておく 』ことです。
テレビ番組の多くは、視聴率を追及するあまり、肩のこらない気楽に
笑って観られる番組や、低劣な、人間や世の中の”負”の部分・暗部を興味本位に追ったもので占められている。

「大人の世界」「世の中の姿」を画面を通して、相手選ばず取り込んでいくのです。

ゼロ歳児から、毎日長時間テレビを観ていると、4~5才児の頃には、知らなくてもいい大人の世界、大人が抱えている負の姿・暗部を、
なんとなく理解するようになり、7歳の頃にはおおかたわかってしまう。


子どもが、テレビゲームなどでメディアと長時間接していると、心身の
発達に悪影響を及ぼすと、日本小児科医会が警告を発している。
二歳児までは、テレビを見せることを控え、それ以降も一日二時間を
目安にするよう提言している。


長時間テレビやゲームに興じる子どもは、外で遊ぶ機会が少なくなり、人とのかかわり不足を招き、言語や心の発達を妨げる要因になるとも、指摘している。

暴力的映像やゲームに長時間触れていると、中・高生の頃には、
暴力行動との関わりが深くなってくる。


また、乳幼児期にテレビを多く観て育った子どもは、学校の授業に集中できず、落ち着きがなく、じっとしていられない「注意欠陥障害児」になる比率が高まると、米国小児科学会が機関誌で警告している。


授乳中、食事中はテレビを消し、ゲームは一日30分までを目安にするなど、家族の理解と協力が必用になってくるのです。


                                                     「こどもの本童話館グループNO24」より

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