■般若心経の歴史
般若心経は、649年インドから般若心経を持ち帰った、中国の
玄奘(げんじょう)が訳出した”空”や”無”を説く経典が、中国で
大流行した。
奈良時代中ごろ、遣唐使とともに中国から帰国した玄昉(げん
ぽう)が般若心経を持ち帰り、写経に最も適した経典として、
用いられるようになった。
その後、主に禅宗の人々に重用され、一休、沢庵などの著名な
高僧が、般若心経を好んで用いた。
}明治以降、現代に至るまで、般若心経は「諸行無常」や「空」の
哲学に基づいた、生き方・人生論を端的に示す経典として、
とらわれのない境地を与えてくれる「やすらぎ」のお経として、
用いられてきた。
1094 【心と体の健康】
古典から学ぶ 「般若心経における”空”」
私は、落語「寿限無」に出てくる、あの長い名前をそらんじて言えます。
二カ月前から、般若心経もそらんじて言えるようになりたいと、毎朝素読している・・現在、四分の三くらいまでそらんじて言えるようになった。
般若心経は・・「観自在菩薩 行深般波羅蜜多時・・」で始まり、
「照見五蘊皆空 度一切苦厄・・」と続きます。
簡単に訳すと「観自在菩薩が、一切の苦しみ災厄を度された」の意味になります。
「五蘊(うん)」とは、
「色(物質すべて)」「受(心で感じること)」「想(イメージ)」「行(なしとげようとする意志)」「識(認識)」
の五つの集まりをいう「人間の肉体と精神」のことで、私たちの肉体や精神はみな”空”であり・・実体がない。
例えば”善悪”・・戦争で敵をたくさん殺したら、味方にとってその人は英雄(善)となり、敵側から見れば鬼(悪)となる。
あるいはもっと身近に感じる”長・短、多い・少ない”などの概念や存在は瞬間的で、永遠に継続するものではない・・すべては流動的で変化していく。
この世に、絶対的不変なものなど、存在しないのです。
江戸時代、臨済宗の高僧に”盤珪(ばんけい)禅師”という人がいました。ある日、禅師のところに一人の僧が訪ねてきて、禅師に問いかけました。
「 それがしは、生まれつき短気でございます・・
これは、何としたら治りましょうぞ」
答えて禅師は・・
『 それは面白いものを持って生まれつかれたの・・
今も短気でござるか? あらば、ここへ出しゃれ・・治して進ぜよう 』
と言われた。
そう言われても”短気”を取り出して見せるわけにはいきません。
なぜなら、私たちの肉体や精神は全て”空”だからです。
このように、”短気”などというモノはなく、それらは全て”空”である。
つまり”短気”が生じてくる状況を、作らないようにすればよいのです。
私たちは、短気そのものを無くそうと思案しますが、かえって問題がこじれるだけです。