■王道と覇道
孟子(前372~289)は、古今の君主を「王者」と「覇者」とに、
そして政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者より
優れていると説いた。
儒家によって理想とされた「夏・殷・周」の時代、徳をもって
世の中を治めることを「王道」と呼び、それを遂行する支配者
を「王者」と呼んだ。
また、春秋時代の諸侯ように、知力や武力でもって世の中を
治めることを「覇道」と呼び、それを遂行する支配者を「覇者」
と呼んだ。
孟子の言う「覇者」とは、武力を背景にして仁政を装い、天下
国家を支配しようとする野心家のことであって、他国を侵略
して自国の領土を拡大することで、覇者としての力を誇示し、
国民の指示を得ようとする。
日本においては、王は天皇、覇は武家政権(源氏・平氏・
北条・織田・豊臣・徳川)と解釈された。
※春秋戦国時代とは、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ
移してから、紀元前221年、秦が中国を統一するまでの時代
をいう。
1091 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~ 「王道と覇道」
アベノミクス政策で国全体が元気になり、心なし明るいムードに包まれている。
「理念と経営2月号と3月号/伊与田寛・論語の対話」に、「王道と覇道の政治、その違い」について、分かりやすく記述されているので、抜粋しました。
天に通ずる「徳」を以って政治を行うのが「王道」、権力を背景に政治を行うのが「覇道」です。 覇の「革」は”革ひも”のことで「鞭打つ」、「月」は体を表しますから、 ”体に鞭を当てる”という意味です。
ですから、ちょっと潤いを与えて体に鞭を当てる・・飴と鞭です。
そういうものを内に秘めた政治の在り方が「覇道」です。
王道の「徳政」に対して、覇道は「権政」です。
”権”は力ですから、力の政治です・・今の中国がそうです。
”権”の本来の意味は、竿秤(さおはかり)の分銅をいいます。
量る重さによって、一方の重さを変える・・従って、常に変化る。
”権”は本物でない”仮のもの”です・・権力を背景にした政治は、仮のものであって、常に変動するから長続きしません。
一方、”徳”を背景にした政治は、永続性があり、長続きします。
「尖閣」で争う日本と中国・・急速に成長拡大した経済力を背景に、覇権国家を目指し、覇道政治を行う中国・・すなわち、国を富ませて軍備を増強する、富国強兵を背景に、近隣諸国に圧力をかけ、領土を拡大しようとする・・決して長続きしません。
本来、共産国家は平等思想により、貧民を救済することを目的に建国された。その後、独裁政権を維持するために、国民の不満には厳しい法律と軍事力でもって統制してきた。
軍備を拡張して、近隣諸国に国力を誇示し、国民の愛国心をあおることで、政権の安寧を図ろうとしたのです。
最も顕著な例が旧ソ連で、力をバックにソビエト連邦をつくり、領土を拡大し、世界覇権を目指したが、1991年一瞬にして滅び去った。
事あるごとに軍事力を誇示して、虚勢を張る北朝鮮もまた、同じ歴史をたどっていくのでしょうか・・
中国共産党は建国当時希望に燃えていた。その後、文化大革命を断行して、数千万の餓死者を出し、国民を闇から闇へ葬り去るという、歴史的汚点を残した。
「今の中国は、いつ瓦解してもおかしくはない・・日本人が思うほど安定した国家ではない」と歴史家は分析する。