■難病を乗り越えて、後世に名を残した人
[ヘレンケラー]
幼いとき病魔で視力と聴力を奪われながら、歴史に残る偉人に
なった
[中村久子]
三歳のとき「突発性脱疽」で両手両足を切断。
生きるために見世物小屋で裁縫や口で字を書く芸を披露・・
[村山 聖]
プロ棋士9段・・幼少期から腎臓の難病ネフローゼと戦いながら、
将棋界の最高峰「名人」を最後まで目指し続けた・・
1086 【心と体の健康】 ~幸せな人生~
「難病を抱えた天才ピアニスト」
目に障害を持って生まれながら、世界的天才ピアニストに大成した辻井さんを知らない人はいない・・
ミシェル・ペトルチアーニ(1962~99)もまた、先天性疾患による障害を克服して、フランス最高のジャズ・ピアニストになった人です。
わずかな圧力でも骨が砕ける難病を抱え、全身の骨が折れた状態で生まれてきた赤ちゃん・・幼少期は歩くこともできず、身長は成長期になっても1メートルほどにしか伸びず、しばしば肺疾患に苦しめられた。
南フランスの音楽一家に生まれ、ディビスやモンゴメリーなどのジャズに浸って成長した。同年代の子供たちが熱中するスポーツには加わることが出来ず、関心はもっぱら音楽に向けられた。
辻井さんもそうだったが、3歳の頃には、彼らの曲をそらんじて歌うことができ、13歳には優れた即興ピアニストになっていて、最初のコンサートを開いた。
彼の骨は非常にもろかった・・小さな体をスタッフに抱えられて演奏席まで運んでもらい、足が届かないため「ペダル踏み機」を備えなければならなかった。
彼の小さな体から発せられる力強い音色・・天才的演奏が広く注目されるようになった。
1982年アメリカに渡った・・一流バンドに加わるなど、積極的に演奏活動に取り組み、80~90年代を代表するジャズピアニストの一人になった。
天才ピアニスト、ペトルチアーニの寿命は二十歳ごろまでと言われていたが、寿命を永らえて活躍・・絶頂期の36歳の時、ツアー先のニューヨークで急性肺炎で急死した。
今年公開されたドキュメンタリー映画「情熱のピアニズム」では、名だたるミュージシャンとの共演映像のほか、女性との恋の遍歴が語られていて興味を引いた。
短い命と知りながら、人生を肯定的に受入れ、ロマンチックで明るい性格で、最後まで精一杯生き抜いた天才音楽家の生きざまに、私たちは感動するのです。
先月6月28日が生誕50年に当り、パリの墓地ショパンの隣に眠っている。
「中日春秋」