■論語は、どのようにして作られたのか?
論語は、孔子やその弟子たちの言行を、一冊にまとめた書物
です。孔子の死後、弟子たちは三年の喪に服して、それぞれ
故郷に帰り、師の意志を継いで活動します。
やがて彼らの間に、師の言行を記録しておきたいという気運が
生まれ、論語の編さんが始まります。
論語は、学而(がくじ)編から堯曰(ぎょうえつ)編まで、全部で
二十篇、総字数15、900余字の読みごろの語録になってい
ます。
各編は一貫したテーマでつながってはなく、師や弟子たちの
印象深い言行の断片を集めた書物・・毛沢東語録のようなも
のと言えます。
1083 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「孔子の教え(32)天の書・・論語」
論語は私たちの「心の書」として、今日までその教えは生き続けている。
二千五百年もの長い時空を超えて、現代人の意識でもって論語を読み、現代人の心理をもって、自分自身の姿をその中に見出そうとする。
論語は「天の書」であるとともに「地の書」である。
孔子は一生こつこつと地上を歩きながら、天の言葉を語るようになった人である。
天の言葉を語ったが、彼には神がかりなオーラも、神秘も奇跡も感じられなかった・・いわば、地の声をもって天の言葉を語った人である。
門人たちも彼にならって、天の言葉を語ろうとした。
しかし、彼らの多くは結局、地の言葉しか語ることができなかった。
下村湖人「論語物語/序文」より
孔子は、普通の人と変わらない生活をしながら、「天の道」を直観しようとした。
「子曰く 朝(あした)に道を開けば 夕(ゆうべ)に死すとも可なり」
「先師が言われた。「朝に、人としての真実の道(天道)を開いて、悟ること ができれば、夕方に死んでも悔いはない」
これは「人の道」のことを言っているようですが、「天の道」を言います。
だから孔子は、それが分かったらいつ死んでもいい・・と言っているのです。
すなわち、孔子の「五十にして天命を知る」は、孔子にしかない「直観」によって、天の道を知ったということです。
孔子は五十にして天命を知った・・そこから、孔子は人間の世界に帰っていきます。
そして、人々と同じ生活をしながら、世の中から更に学びを深めていく。
それが、「六十にして耳順う」です。
他人の言葉や天の声が、一層素直に聞けるようになったのです。
そして、「七十にして 心の欲する所に従えども 矩をこえず」になる。
すなわち、七十も超えるころになると、完全に純粋というわけにはいかないけれど、ほとんど”純”と言える状態になっていく・・いわゆる「従心」です。
「理念と経営五月号/伊与田寛・論語の対話」より