■孔子は”私学の元祖”
学校をつくる決心をした孔子を慕って、遠くから若者が
集まってきた。
日本では、福沢諭吉が月謝を取って学校を経営しましたが、
いろいろと批判する人もいました。
それを、孔子は二千五百年も昔に実践したのですから、
孔子は”私学の元祖”といえます。
日本では、徳川時代の半ばごろから「寺子屋」が普及しま
した。
寺子屋の数は、明治に全国に張り巡らされた郵便局の数
よりも多く、当時日本が、世界で最も識字率が高かったのは、
寺子屋教育があったからです。
伊与田寛「論語の対話」より
1080 【心と体の健康】
古典から学ぶ 「孔子の教え(31)学ぶ心」
貧しい母子家庭に育った孔子だが、立派な人物になることを志して勉学に励み、知識を吸収していった。
「子曰く 賢を見ては ひとしからんことを思い
不賢を見ては 内に自ら省みるなり」 里仁第四
(知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、
つまらない人を見たら、自分はどうかと内省する)
孔子は、賢人も不賢な人も、自分を立派に成長させる先生であると考え、誰であれ教えを受ようとした。
「子曰く 三人行えば 必ず我が師あり
其の善き者を択びて之に従い 其の善かざる者にして
之を改む」 述而第七
(三人が行動を共にしたら、必ず自分の先生になる者がいるものだ。
その善い者を選んで素直に従い、悪い者を見ては反省して、自らを改
める)
孔子はよく学んだ。人間は、内容が充実すると、自然に外部や表情に表れて、誰が見ても「この人はよくできる・・感心なものだ」とわかります。
学ぶ者と学ばない者・・年月が経てば経つほど、両者の差が開いていく。
「子曰く 之を知る者は 之を好む者に如かず
之を好む者は 之を楽しむ者に如かず」 雍也第六
(知っているだけの者は、好んでやる者には及ばない。
好んでやる者は、楽しんでやる者に及ばない)
この「知・好・楽」は、何も学問だけの問題ではなく、仕事にも通じます。ですから、楽しんで物事をやることは大変大切なのです。
更に、この上がある・・
「子曰く 道に志し 徳により 仁に依り 芸に遊ぶ」 述而第七
(人として正しい道を志し、これを実践する徳を本分とし、仁の心から
離れないようにする。そうして、世に立つ上で重要な仕事に、我を忘れて 熱中することです)
「芸」とは・・礼節、音楽、弓術、馬術、文学、数学の六芸を言い、
「芸に遊ぶ」は・・”仕事に熱中する”の意味になる。
雍也第六と、述而第七の二つの文を合わせて・・
「之を知る者は 之を好む者に如かず
之を好む者は 之を楽しむ者に如かず
之を楽しむ者は 之を遊ぶ者に如かず」 になる。
伊与田寛「論語の対話」より