■1988年 文芸春秋が選んだ
「昭和のスーパー・スポーツマン10人」
[織田幹雄]日本人初のオリンピック陸上「三段跳び」
金メダリスト
[人見絹枝]日本人女性初のオリンピックメダリスト
100メートル・200メートル・走り幅跳びの
元世界記録保持者
[双葉山] [川上哲治] [古橋広之進] [白井義男]
[力道山] [長嶋茂雄] [上村直巳] [岡本綾子]
■2006年 カナダCBCスポーツが選んだ
「日本の偉大なスポーツ選手10人」
[木村政彦] 柔道家。全日本選手権13年連続保持。
15年間不敗のまま引退し、プロ柔道家へ。
[王貞治] [アントニオ猪木] [田村亮子] [釜本邦茂]
[大鵬][岡本綾子][高橋尚子][荒川静香][イチロー]
1079 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
「世界のプロゴルファー岡本綾子」
日経新聞「私の履歴書」は、先週まで岡本綾子でした。
1980年代に活躍したプロゴルファーといえば尾崎将司ですが、当時、米ツアーで活躍していた、青木巧、岡本綾子の二人も、忘れてはならない存在です。
岡本綾子は、瀬戸内海を望む安芸津町で、ジャガイモやタバコなどを生産する農家に生まれた。家の手伝いをしているうちに、強靭な足腰が鍛えられた。お転婆で、男の子と日が暮れるまで、草野球で遊んだ。
中学に入って野球部を希望したが、女子は入れてもらえず、ソフトボール部に入部した。高校へは、ソフトボールの強豪・愛媛県今治明徳高校に特待生で進学。
同校卒業後、ソフトボール部のある大和紡績に就職・・福井工場に配属された。サウスポーの剛球エース兼4番として活躍し、1971年和歌山国体で優勝している。
国体優勝のご褒美の祝勝ハワイ旅行で、子どもの頃からの憧れアメリカへ・・
ゴルフ場を見学したことがきっかけで、ゴルフを始めた。
動機は「アメリカでプレーしてみたい」というものだった。
大和紡績を退職後、1974年二度目のチャレンジでプロテストに合格。
この時「将来の夢は、アメリカでプレーすることです」と答えて、「プロになったばかりで生意気な!」と反感を買った。
プロデビュー1年目の1975年、美津濃トーナメントで初優勝。
杉原輝雄が「俺より30ヤードは飛ぶね・・いやになる」と言うほどで、ソフトボールで鍛えた強いリストと、強靭な腰のバネで、男子プロ並みの飛距離、豪打で鳴らした。
岡本綾子が、日本のスポーツ界に与えた影響は大きい。
野茂秀雄に始まり、イチローや松井秀喜など、数多くの日本人プロ野球選手がアメリカで活躍するようになったが、成功の先駆けとして道を拓いたのが、岡本綾子である。
まったく違うジャンルなのに、イチローのバッティングのベースは、岡本のゴルフスイングを参考にしているという。
イチローの父・鈴木宣之が、岡本の美しいフォームから、男子選手顔負けの飛距離を出す・・その打ち方を習って、か細いイチローの参考になるのではと研究。
”イチロー打法”の大きな特徴は、インパクトの瞬間に、体重を右の軸足から左の足にスムーズに移すことと、上半身の大きな捻じりによって、より強いエネルギーをボールに与え、速くて強い打球を打つ。
こうしたアドバイスを息子のイチローに与えた。その後、中学・高校・プロを通じて、間の取り方を除いて、イチローのバッティングの基本は、小学
時代から変わっていないのです。
フリー百科「ウィキペディア・岡本綾子」