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日本人のアイデンティティー 「和の心」

世界遺産に等しい「日本語」


『田子の浦に うち出て見れば 白妙の

   富士の高嶺に 雪は降りつつ」

山辺赤人が詠んだ5・7・5・7・7の短歌・・古今和歌集を

代表する和歌です。
日本人は子どもでも、千数百年前の「万葉集」や「古今和
歌集」など、古代の和歌を原文のまま読むことができる・・
世界の他の民族から見れば、それは奇跡だろう。


例えば、英国人が古代の文献を読む時は、古代ギリシャ
語やヘブライ語を修得しないと、読むことができない。
何故なら、英語は今から600年以前は、まだ公用語に
なっていなかったからです。


日本は大陸の民族とは違って、四方を海に囲まれている。
戦争で、民族が言語と共に滅ぼされるという経験をした
ことがない。
古代和語が永々と受け継がれ、現在に至っている日本

は、世界では稀な長い歴史を持つ言語なのです。

                竹田恒泰「竹田研究会」



1071 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】

日本人のアイデンティティー 「和の心」


日本は、万物に神が宿ると信ずる「和の国」です・・その源流は、縄文時代にまで遡ります。

日本の和の文化は、「大自然と人との調和」が基本になっていて、日本人にしかない「もったいない」や「いただきます」が、二千年の間変わらぬ日本人の精神となって、受け継がれてきたのです。
その価値観を伝えてきた”日本語”・・縄文時代のいにしえから、発想を伝える道具として、その機能を果してきたのです。
世界の歴史を見れば、言語は民族と共に生き、民族が滅びれば、言語も滅びた・・
英語が世界の言語になっていく過程で、おびただしい数の言語が消えていったことを、知っておかねばならない。
日本の歴史を振り返り・・元寇の時、もし神風が吹かなかったら、日本は中国の属国になって、中国語が公用語になっていたかも・・
また幕末、政治の舵取りを間違えていたら、日本は列強の植民地になっていたかも・・
更に終戦の時、ポツダム受諾が数日遅れたら、ロシア軍が北海道に攻め込んで、日本は東西に分断され、公用語としての日本語はどうなっていたことか・・

昭和25年、私が小学4年の時・・先生から「日本語の書き言葉はローマ字になる」と言われ、国語の時間に、ローマ字で作文させられた記憶がある・・
進駐軍は、日本の公用語をローマ字にすることの是非を、本気で検討していたのです。

飛鳥以前は、和語で会話をしていても、公用文字を持たなかった日本・・外来語の漢字に和語の読みを付けて、日本語にした。
”漢語”をそのまま日本の公用語にすれば簡単だが、日本人はそれをしなかった。
中国の訓読み漢字に、音読みの和語を重ね、漢字を用いて和語を表記し、表現する方法を発見したのです。

一つの漢字に、中国の読みと和語の二通り、もしくはそれ以上の読みを付けて、音と訓をたくみに使い分けることで、漢字を日本語に同化させることに成功したのです。

更に、1音ごとに画数の多い漢字を充てる煩雑さを解消しようと、考え出されたのが「平仮名」と「片仮名」
こうして「漢字仮名交じり文」の様式が整い、日本語は豊かな表現方法を手に入れたのです。

西暦905年に編さんされた「古今和歌集」を見ると、平仮名と漢字が混ざった美しい文章になっているのが分かります。
                                                               竹田恒泰「竹田研究会」

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