■美人局
封建体制下の江戸時代、自由恋愛は「不義密通」と言われて、
厳しく禁止された。
発覚すれば二人とも「死罪」という重い刑に処せられた。
にもかかわらず、江戸も明和、安永の頃(1770年代)になると
このご法度も空文化し、さらに化政の世になると、乱れは
いっそうひどくなって、厳しい制裁を下すことができなくなった。
夫婦、または内縁関係にある男女が、共謀のうえ、女が別の男
を誘惑して肉体関係を結び、頃合いを見計らって、男が 相手の
男を脅して謝罪金を取るという、悪質な犯行が横行 するように
なった・・
こうした詐欺行為を「美人局」と言うようになった。
「女房を 緩く縛って 五両取り」
「五両ずつ 亭主に三度 取ってやり」
「五人目で 間男を知る 馬鹿亭主」
山住昭文「江戸のこばなし」
1063 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「艶笑落語・松茸(3)」
「山のあなあな・・」でお馴染み、三遊亭圓歌の艶笑落語「松茸」の続き・・三回目です。
オチは卑猥で、ちょっと顔を赤らめたりしますが、江戸庶民文化の伝統から生まれたエロチカとして、おおらかで楽しい笑いに引き込まれるのです。
♪男「中国てえ国は、昔から偉い人がたくさん出ていた・・中でも孔子・・」
女『ねェ、教えてくださいナ・・聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥・・
コーシって何者?』
男「我日に三たび、我が身を省みる・・いろいろありがたい教えを残し
て、弟子もたくさんおったそうな・・
ところが、この孔子さまよりも、 もっと偉い学者がおったそうな・・
その名は老子」
女『老子は、ろうして偉いのかね?』
男「下手なしゃれ言うンじゃないよ・・」
時は今から二千六百年前、殷の陽甲帝のときに、玄妙玉女という婦人の胎内に宿り・・宿ったのはいいけれど、これがなかなか生まれてこない・・十月十日たっても知らん顔・・もう、とりあげ婆さんも待ちくたびれちゃって・・
『お~い、そろそろ出なさらんのか?』と聞いても・・
「そう、シキュウには出られない」と、シャレを言っている場合じゃないけ れど・・親の胎内にいること81年・・時代は、殷から周に代わっていた
というのだから・・これは大物・・孔子の比じゃありませんよ。
オギャアと出てきた時には、白髪白髭・・既に万事長じていたわけでし
て・・
名前を伝え聞いて、孔子も”礼”を習いにやってきた。
勉強の合間に、孔子は老子に質問をいたしたそうな・・
「老子先生、一度お尋ねしたいと思っていたのですが・・」
『ああ、なんじゃな、孔子君』
「先生はなんでも、母の胎内にずいぶん長く、ご滞在とうかがいました
が・・」
『まさに81年・・胎内でありとあらゆる学問をしておった』
「ははァ、そこの住み心地はいかがなものでございましたかなァ?」
『あ~・・ま、悪くはなかろう・・身はフワフワと海面に浮かぶがごとく、
暑からず寒からず、まことにしのぎやすい環境じゃった。
時々騒々しくもなるが、浮世も同じじゃろうから、学問に集中しとったわ』
「さようでございますか・・暑くもなく寒くもないといえば、季節で申せば
さしずめ春というところでしょうか?」
『いや、春ではないぞ』
「春でないとすれば・・」
『秋だな、これは・・』
「なんで秋なのでございましょうか?」
『うむむ・・時々下から松茸が顔を出してくる・・これは秋に違いない』