■震災直後の日本人の行動
二年前、震災直後の東京の状況と日本人の姿を、 中国の広州日報は
以下のように紹介した。
地震直後の東京・・電車が止まり、徒歩で帰宅する数百万人の人々・・
みな黙々と列をなし、ひたすら歩く・・怒鳴り声など聞こえ ない。
自分は車だったが、誰もクラクションを鳴らさなかった。
私(記者)は、日本人の冷静さに舌を巻く。
数百人が広場に避難した・・タバコを吸う人はいない。 係員が走り回って
毛布、お茶、ビスケットなどを配る。すべての 男性が女性を助けていた。
3時間後、広場は解散となったが、 地面にはゴミ一つ落ちていなかった。
日本人は、むやみに悲しみを表に出さない・・周りに心配させた くない
からだ。家族を失ったというのに・・泣きわめいたりしない。
深い悲しみを、ただひたすら黙って受け止めている。
助けてもらつて・・「ありがとう」ではなく、「すみません」と言う。
これは「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちの表れだ。
1052 【心と体の健康】
~日本人のアイデンティティ~ 「恥の文化」
以下、「理念と経営3月号/論語の対話」からの抜粋です。
アメリカの人類学者の著書「菊と刀」の日本人論では、「欧米は”罪”の思考の上に立っているけれども、日本人は”恥”をよく知る民族である」
と言っている。日本人にとって”恥は”武士道の中心をなす精神なのです。
四、五年前に、教育熱心なお母さんが私のところに来ました。
5年生と3年生と1年生の3人の子供がいるけれども、
「”恥”という字をしっているか?」と聞いたら、 みんな『知らない』と言った。
びっくりして小学校の校長に、「日本人にとって一番大切な”恥”という
字を、なぜ教えないのか」と訊ねると、校長は『教科書にない漢字・・
それは私の責任ではない・・文科省に言え」と言ったというのです。
そのお母さんは非常に残念がっておりました。
この”恥”とともに、孝行の”孝”という字も教えません。
日本人に最も大切な、道徳の根幹をなすものが”孝”です。
これは、戦後の占領政策によって、小学校の教科課程が変えられ、
人格形成の一番基礎である「修身科」がなくなったからです。
それではいけないと、すったもんだの末に、「道徳科」を復活させました。
しかし、道徳科は正課でないため、副読本が出された・・最も批判的
だったのが日教組です・・教科書に載っていても、教えなかったのです。
戦後、新制中学は義務教育となり、教員が足りなくなったために、
先生を広く募集しました。その結果、「先生しかできない」という者と、
「先生でもやろうか」という”デモシカ先生”が相当生まれたのです。
後に、そういう先生の組合が結成された・・組合をリードしたのは、
共産党と社会党の左派です。彼らは「我々は労働者である」と主張した。 戦前の師範学校では、「教師は聖職である」と”師の魂”を打ち込まれていた。
そういう志のない、にわか仕立ての先生を組合が擁護したため、
先生にふさわしくない先生が出て、問題を起こしたのです。
従って、今の教育基本法のように、法律でもって道徳を論ずるのは、
本末転倒と言わざるをえない。
すべて法律によって定められ、道徳が二の次三の次になってしまって
いる・・道徳によって法をつくるのが本筋なのに・・。