■孫 武
孫武は紀元600年頃の兵法家です。呉王に軍師として仕えたが、
それ以外は不明。
孫子の著とされる「孫子の兵法」は、その卓越した内容から、
歴史に名を残す多くのリーダたちに影響を与えてきた。
三国志の英雄”曹操”は「孫子」を学び、用兵に用いた。
また”武田信玄”は、「孫子」から「風林火山」を旗印とし、
ナポレオンは「孫子」を座右の銘にしたことは、余りにも有名です。
「孫子の兵法」の普遍的価値が、現在に至るまで支持されるのは、
「戦争でいかに勝利するか」を指南する、ありふれた戦略書ではなく、
「いかに戦わずして勝つか」
「戦わざるを得なくなったとき、いかにして損害を最小に抑え、
勝利を得ることができるか」を、とことん追求していることにある。
1027 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~歴史から学ぶ~ 「天才少年・孫武」
孫武が少年の頃、竹細工を主とした雑貨商を営んでいた両親が相次いで亡くなり、あとを継いだ。
店はよく繁盛した・・日銭が貯まると、それを持って古戦場めぐりの旅に出かけた。
当時、盗賊や空き巣が横行していて、商品を店に残したまま空き家にするのは心配だった。
知恵者の孫武・・厳重で効果的な盗賊撃退の仕掛けを家中に施して、家を留守にした。
まず、竹槍を垣根のように土塀の上に並べた。切り揃えた細い竹は、見た目にも美しく、盗賊も入るのをためらうだろう。
次いで、壁を外側へ二重に囲った・・打ち壊しや放火の予防になり、夏と冬の断熱効果もある。壁の間に、蜂が幾つも巣を作って、生きた忍び返しにもなった。
床下には、毒蛇を捕えてきて放った。孫武の店は食品も扱う・・それを狙って鼠がやってくる・・床下の毒蛇は、この鼠を餌に居着いてくれる。
鼠の駆除と、床下にもぐって侵入してくる盗賊を阻む・・相乗効果が期待できるのです。
少年孫武の工夫は、商品の万引き防止策を考えるなど、身の回りの様々なものに及んだ。
知恵者孫武の評判を伝え聞いた青果商の男が、泥棒を撃退したいと相談に訪れた・・夜中に倉庫の商品が何度も盗まれ、困っているという。
そこで孫武が考えたアイデア・・それも一つではない・・四段構えの撃退法だった。
一ケ月後、青果商が礼を言いに来た。
「いや~効きましたよ! 一人を捕まえ、残る1人は気絶しました」
その方法とは・・
まず床下に紐を縦横に張って、釣り針を吊るした・・引っ掛かると、驚いて慌てふためき、衣を破るか皮膚を傷つける。
扉には鈴を下げさせた・・盗賊はそれを切り取って、錠前を壊すだろう。
そこからが仕掛けの真骨頂・・扉を引くと、鳴子が大きな音で作動し、同時に天井から幽霊の人形が、眼の前にぶら下がる寸法だった。
評判を聞いて盗難防止の相談に来る人が、引きも切らない・・
孫武は面倒がらず、五寸釘を使ったカンヌキや、窪地に板を置いて踏むと跳ね返って、しこたま頭を打つ仕掛け、侵入者を惑わす迷路などを伝授した。
「大きくなったら・・陣地を作る仕事でもやったらどうだ・・」
父親のこの一言が、その後兵法書記述に打ち込むきっかけになった。
16歳になってからの孫武は、世間に知られるあちこちの古戦場を巡り歩いた。
古戦場では、地理的条件をくまなく調べ上げ、軍勢、戦闘形態、勝敗因などを細かく分析・・膨大な戦略・戦術記録の集積に励んだのです。
塚本青史著「孫子伝」より