■政府開発援助(ODA)
1954年に日本が政府開発援助(ODA)を始めてから、今年で58年
になる。この間に、供与した国は185ケ国、24兆3100億円になる。
ODAの実績では米国に次いで2位だが、2001年までは、トップの座
を維持する援助大国でした。
日本のODAの6割がアジアで、発展途上国のインフラ整備、福祉の
向上、人材の育成など、とりわけ東アジアの経済成長に果たした役割
は大きかった。
日本が戦後飛躍的に経済復興できたのは、アメリカを中心とした先進
諸国の戦後賠償権放棄と、戦勝国からの復興援助のお陰です。
日米安全保障の傘のもと、本来防衛費に回すべきお金を、開発途上
国の援助に振り向けてきた。経済効果は、援助を受けた国よりも、
援助した日本の方が大きかったのです。
日本経済新聞
1022 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~歴史から学ぶ~「中国への戦後賠償」
日本はアジア各国に対して、先の戦争の責任をどのように償ってきたのか…。周辺諸国に対する賠償問題は、すべて解決されたのだろうか?
私たちは、太平洋戦争で被害を与えた国々に、どのように問題を解決してきたのか? 知らないことばかりです。
今日は、尖閣問題で冷え切っている日本と中国の、戦後賠償を検証します。
1952年(昭和27年)、日本は米国の強い要請で、台湾の国民党政府と「日華平和条約」を結んだ。日本に好意を持つ台湾政府は、サンフランシスコ講和条約に基づき、日本に対する賠償請求権を放棄した。
しかし、大陸を支配している中国は、この条約を認めなかった。
中国の言い分は、1931年の満州事変以来、日本の侵略で1千万人以上の生命と、500億ドル以上の財産を失ったと試算し、請求権の放棄を認めず、日中間の戦後処理はこう着状態に陥った。
事態が動いたのは1971年・・中ソの対立を踏まえ、米中が急接近したときです。ニクソン大統領の中国訪問がきっかけ・・衝撃を受けた日本は、中国との国交正常化を急いだ。
1972年、田中角栄首相が訪中・・周恩来首相と話し合って、中国は「日本への戦争賠償請求権を放棄する」旨、共同声明に明記した。
放棄したとはいえ、中国には日本の経済援助への期待があり、日本側にも「賠償放棄に報いるべきだ」との声があった。
1978年、福田内閣のとき「日中平和友好条約」を締結。
翌年、大平内閣は中国に対し、円借款を中心とする政府開発援助(ODA)を本格的に開始した。
その後の対中円借款は、20年余りで累計3兆3千憶円、2007年までに、無償援助・技術協力合わせて、約6兆円のODAを中国に与えている。
2008年の北京オリンピック以降は、中国の経済発展を理由に、円借款は打ち切られた。以降現在まで、5千億円の対中資金援助がなされている。
地下鉄や下水処理施設など、日本のODAによる多額の援助が、中国各地でなされたにも関わらず、中国の国民には知らされず、逆に反日教育によって、 日本への憎悪は高まる一方・・
「あれも。そしてこれも・・日本の援助で出来たんだよ!」と、中国国民に教えてあげたくても、言えない日本政府・・虚しい現実です。