■「下らない」の由来
つまらなく価値がない話しを「下らない」と言って、聞くのを止めてしまう。
この言葉の語源は「下らない酒」からきている。
京都に都が置かれた頃、良い水が出る兵庫県・灘を中心に日本酒が
造られていた。江戸幕府が開かれると、関西の美味しいお酒が江戸に
送られるようになった。
当時、天皇がいる京都から、江戸へ行くことを「下る」と言った。
同様に、江戸に送られる酒は「下り酒」・・対して、関西以外の土地で
造られた日本酒は、「下らない酒」と呼ばれ、格も味も落ちる一段低い
酒に見られた。
そこから、「下らない」が生まれたのです。
994 【心と体の健康】 ~子育て~
「教え過ぎてはいけない」
プロ野球中日フアンで70歳以上の人なら、往年の名投手・権藤博を知らない人はいないだろう。
昭和36年に入団してすぐエースになり、その年は35勝、翌年には30勝という、現在では考えられない勝ち星を残した。
その後、連投に次ぐ連投で肩をこわし、30歳で現役を引退した。
引退後コーチ・監督として、指導者の道を歩むが、彼がコーチングの勉強で訪れたアメリカで、一生忘れることのない「指導者の基本的な考え方」を学んだ。
アメリカの教育リーグで打撃練習を見ていたら、ある若手選手が流し打ちができずに苦労していた。見るに見かねた権藤が、「こうやるんだ」とコツを教えたところ、その選手はみるみるうちに上達した。
しばらくして、その選手を見ていたコーチが戻ってきて、あまりの変わりように驚いた。選手に「どうしたんだ」と訊ねたら、「ミスター権藤が教えてくれた」と・・。
コーチは権藤をつかまえて言った・・「教えてくれたことはありがたい・・
だが、教えられた技術は、直ぐに忘れてしまい、身につかないだろう。
反対に、自分で掴み取ったコツは忘れない。だから私たちコーチは、選手が自分でコツをつかむまで、見守ってやらなければいけないんだ」
アメリカの球界では「教え過ぎはいけない(Don’t over teach)」とされている。ロサンゼルス・ドジャースのコーチ用テキストには、この言葉が冒頭に記されているが、権藤はその意味を現場で知った。
私も、そのことを知識としては知ってはいたが、ピンときませんでした。
日本の現場では、「もっとていねいに教えろ」と言われることはあっても、「教え過ぎるな」と言われることはないからです。
手取り足取り教えてしまう上司は、どこにでもいます。
しかし、それでは依頼心の強い指示待ち人間になってしまう。
上司は歯がゆく感じても、じっと見守ってやる我慢が必要です。
新人は上司に頼らず、どれだけ時間がかかろうと、自ら体験して「これだ!」と思うものを、一つひとつ掴んでいく・・
「体で覚える」とは、そうやって身に付け会得した、知識と知恵なのです。
稲尾和久、中西太と共に西鉄ライオンズの黄金時代を築いた豊田泰光氏も、同様の説を説いている・・「手取り足取り教えてくれるような先輩ばかりだったら、今の私はなかったと思う」
大リーグの一郎選手も・・「伸びるやつは勝手に学び、ひとりでに育つものだ。教えられて伸びるやつはまずいない」と。
プロに『教える・育てる』はない・・『学ぶ・育つ』があるのみ。
何事も、自分で考え実践して身に付けたものでなければ、本物ではない。
ブロとして一歩踏み出す新人たちに、その覚悟がなければ大成しない。
プロとは野球選手に限らない。営業マンも職人も、総務も経理も、金を貰って働く人間はみんなプロだ。プロを自認するなら、自分の才覚で人生を乗り切っていかなければならない。
理念と経営6月号「未来をひらく 小さなコンセプト」より