「 志 」 芳村思風
人間において生きるとは
ただ単に生きながらえることではない
人間において生きるとは 何のためにこの命を使うのか
この命を どう生かすかということである
命を生かすとは 何かに命を賭けるということである
だから 命の最高の喜びは
命を賭けても惜しくないほどの対象と出会うことにある
そのときこそ 命は最も充実した生の喜びを味わい
厳しくも美しく燃え上がるのである
君は何に命を賭けるか
君は何のためになら死ぬことができるか
この問いに応えることが 生きるということであり
この問いに応えることが 人生である
989 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「逆境をバネに成功した早川徳次(2)」
15歳までの年季奉公を終え、引き続き住み込み職人になった。
苦労をなめ尽くす過酷な幼・少年期を乗り越えたのです。
手先が器用で我慢強く、創意工夫する明るい性格の徳次・・
丁稚奉公の厳しい修行の中で、鍛え磨かれていった。
「発明王」早川徳次の誕生である。
大正元年18歳の時、ベルトに穴を開けずに使える「徳尾錠」を発明し、特許をとって実兄と「早川兄弟社」を設立した。
四年後の大正4年に「早川式繰り出し鉛筆」、後のシャープペンシルの
開発に成功・・極貧の中で育ったので、「木の鉛筆は削るのがもったいない」が、動機だった。
早速、日本一の銀座の文具店に持ち込んだが、「こんなものは売れない」と断られた。
早川は、何度断られても、クレームのたびごとに改良し、毎月六種類ずつ六か月かかって、1ダースずつ3つの箱に違うものをいれて持っていくと、その熱意に打たれたのか、ついに主人が会ってくれて、言い値で買ってくれた。
次第に、シャープペンシルの評判が伝わって、白木屋、三越、松坂屋で販売され、海外からも大量の注文があった。
小さい町工場なのに、いち早くモーターを採用。大量生産のための外国製の旋盤機、シボリ機、コンベアーシステムを導入。アメリカで特許を取得して、事業の基礎を固めていった。
当時、第一次世界大戦の好景気の波に乗り、大正12年には従業員二百人、月商5万円という文具界の大手にのし上がった。
「禍福はあざなえる縄のごとし」と言うが、大正12年9月1日正午、関東大震災が発生。
徳次が20年の歳月をかけて必死で積み上げてきたものすべてを、一瞬にして奪い去った。妻と二人の息子が亡くなり、建てて数年の工場も自宅も壊滅した。早川は、絶望、窮状のどん底に投げ込まれた。
手持ちの資金は焼けてしまい、得意先からは借金返済を迫られた。
早川は、一からの出直しを決断した。
焼け残った機械、シャープペンシルの特許など約50件を、借金返済のために手離して、大阪の現在のシャープ本社の所在地に都落ちした。
次号につづく