逆境をバネに成功した早川徳次
■早川徳次の「名言」
「逆境・困難で苦労を嘗め尽くしたことが成功のバネとなる。
・・”難”あり ”有難”し」
「五つの対策で考えよ。一つでうまくいかないと、駄目とあきらめず、
二つ、三つ、四つと考える。だいたい、三つ目ぐらいにはうまくいく」
「禍福はあざなえる縄のごとし」 「窮地に、至誠天に通ず」
「ピンチの後はチャンスが来る。つかむ準備を怠るな」
「常に新しいアイデアで、一歩先んじて新分野を開拓しなければ
成功はおぼつかない」
「人の行く裏に 道あり」 「好況下にこそ、不景気の波に備えよ」
「事業は不況の時に伸ばせ」 「人に真似をされる商品を作れ」
988 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「逆境をバネに成功した早川徳次」
幼少の頃から次々襲いかかる逆境や試練を克服し、成功を収めた人物といえば、作曲家の”遠藤実”や高橋是清の名前が浮かんでくる。
シャープ早川電器の創業者”早川徳次”もその一人です。
早川徳次と言えば、「シャープペンシル」を発明した人として知られるが、40年前の家電全盛期の頃のシャープは、松下・東芝・日立・三洋、そして急成長のソニーの陰に隠れ、家電業界では目立たない存在だった。
「理念と経営5月号」の自伝を読むまで、早川電器の創業社長が、これ程壮絶な人生を歩んでいたとは、まったく知らなかつた。
以下、「シャープ創業者、早川徳次」からの抜粋です。
明治26年、東京日本橋の家具職人の三兄弟の末っ子に生まれた。
二歳で母が病気になり、養子に出された。養家は極貧で、毎日の食事にも事欠き、可愛がってくれた養母も、翌々年亡くなった。
養父は19歳の女性と再婚・・徳次はこの継母から連日、ひどいいじめと虐待・折檻を受けた。三度の食事もろくに食べさせてもらえず、夜中に戸外へ放り出されたり、共同便所の便壺に突き落とされ、泣き叫ぶ声で、近所の人に助け出されたこともあった。
継母に次々子どもが生まれた。徳次は栄養失調でやせ細り、見るに見かねた近所の人が、継母に説教すると、余計ひどい虐待を受けた。
家計を助けるため、小学校二年で退学させられ、連日深夜まで、マッチ箱を貼る内職を、継母に怒鳴られながら続けた・・死ななかったのが不思議なくらい、絶望的環境の中で耐え忍ぶ生活が続いたのです。
そんな可哀そうな徳次を、見るに見かねた近所の目の不自由な女祈祷師が、徳次を知り合いの金属細工店へ、住み込み小僧に紹介した・・
まだ8歳の子どもだった。
「一緒に手を引かれて行った時の手のぬくもりを、生涯忘れることはなかった」と後年回想している。
この店の親方は、昔かたぎの江戸っ子、人情に篤い人で、徳次を可愛がった。
奉公先で、わずかながら毎月貯めた小遣いも、継母が来てすべて取り上げていった。
15歳までの年季奉公を終え、引き続き住み込み職人になった。
苦労をなめ尽くす過酷な幼・少年期を乗り越えたのです。
手先が器用で我慢強く、創意工夫する明るい性格の徳次・・丁稚奉公の厳しい修行の中で鍛え磨かれていった。「発明王」早川徳次の誕生である。 次号に続く