■旧・石川県立金沢第二中学校
先月、中学校同窓会ゴルフコンペに参加し、旧交を温めた。
私が通った紫錦台中学は、兼六園奥の小立野台・石引にある。
石川 県立金沢第二中学校(二中)として、明治32年に開校した伝統
ある 校舎で、数多くの卒業生を排出している。
当時は階段教室があって、歴史の香りただよう校舎で学ぶことに、
誇り を 感じたものです。
ちなみに、現在の泉丘高校が第一中学(一中)になります。
終戦直後の昭和23年、金沢市立紫錦台中学として再スタート。
三尖塔のある校舎本館は、明治の面影を残す歴史建造物に指定され、
現在は金沢市民俗文化財展示館になっている。
「歴史と文化の香り漂う金沢」
金沢のシンボル兼六園は有料化され、料金所に閉ざされて、市民の憩いの場ではなくなっている。
私が小学生だった頃、冬雪が積もると、香林坊の自宅から歩いて、広阪を用水に沿って兼六園へ・・入り口から100メートルくらい園内の坂を上がったところに、県立図書館があった。
図書館の前から、雪が積もったなだらかな坂道を、先端を折り曲げ、紐を付けた”竹スキー”に乗って、滑降して遊んだ。
坂を上がっては滑り、上がっては滑りして、夢中になって遊んだものです。
中学の三年間、小立野台・石引にある紫錦台中学へ片道30分、毎日歩いて通った。
広阪から兼六園の坂を上がり、図書館の横から梅林を通って兼六園を抜け、護国神社から国立病院前の道路に出る通学路を往復した。
広阪通りには、赤レンガの旧第四高等学校の校舎や、重厚な元県庁舎が、金沢を彩る建造物として保存されている。
昭和四十年代、県の発展に伴い、県庁舎の右隣に県警の建物と婦人会館が建てられた。
しばらくして、「景観を無視した鳥かごのお化け」とやゆされた、市庁舎が建てられ、議員会館や国の出先機関の合同庁舎が建った。
古都金沢に似つかわしくない?これら一連の建物は、その後数十年てんでばらばらに、アンバランスな街並みを市民にさらしてきた。
平成になって、歴史建造物と街並み景観の保存が、真剣に論じられるようになり、先月、元県庁舎と市役所、合同庁舎を残して、すべて取り壊された。広阪から金沢城周辺が公園に姿を変え、歴史の町金沢にふさわしい、美しい城下町景観が出現したのです。
・兼六園から旧県庁舎方向 ・県庁から金沢城本丸を望む
古都金沢の曲がりくねった路地が、歴史と文化の香りを漂わせる。
残念なのはブロック塀の存在・・美しい日本庭園のある和風住宅が随所に見られるが、いずれも高い塀に囲まれ、景観を損ねている。
市が助成金を出して、ブロック塀を垣根に変え、市民の庭を城下町に溶け込ませるようにしてはどうか・・古都金沢の景観が良くなるだけでなく、地震対策にもなる。
イタリアの古都アマルフィのように、城下町金沢が世界遺産になることを夢見て・・