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亭主の部屋

かわいそうなパパ
友達に、今度引っ越したことを教えた。

「今度の家はすげえんだぞ! ようやく僕一人の部屋が貰えたし、

妹も、自分の部屋ができたんだ・・ だけど、パパは可愛そうに・・
やっぱりママと同じ部屋なんだ」


がっかり

今年、古希を迎える妻が、

「元気で長生きしてね・・寂しくなるから」

と、今まで聞いたことがないようなことを言った。

   感激して妻の方を振り向くと、犬に向かって言っていた。



983 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「亭主の部屋」


昭和44年頃から、戦後の第一次べビーブーム世代が結婚適齢期を

迎え、金沢市郊外は住宅新築ラッシュを迎えた。
円光寺、鶴ケ丘、大額や笠舞などに次々住宅団地が造成され、ベッド

タウンが広がっていった・・

昭和45年当時、大額駅前の地価は坪4万5千円くらいだったのが、

あっという間に倍近くに値上がりした。


その頃の間取りは、暖炉(形だけ)のある八畳の洋室・・その真ん中に

応接セットが置かれ、二間続きの和室には床の間と縁側、台所はハイ

カラなステンレスの流し台・・真ん中に食卓が置かれた。

そして、二階は子ども部屋。


それまでの2DK(6畳と4畳半の和室+三畳の台所)の狭っ苦しい
文化住宅から脱して、土地を求めて、家を建てる人が増えたのです・・

核家族の始まりです。西欧から、日本の住宅は「うさぎ小屋」と言われたのは、その十年くらい後でしょうか。


あれから40年、近頃の新築住宅は、ガレージに庭木の大そう立派

家が目立つ。一方、約40坪に分筆した4~5区画の土地に、建蔽率いっぱいの住宅があちこち目につくようになった。


昔と違って、住宅新築の相談に訪れるのは、ほとんど奥さま・・

物事の決定権が夫から妻に移ったのでしょうか?


一階は、吹き抜けの玄関に和室の客間、食堂兼居間、システムキッ
チンの台所、浴室・洗面・トイレ、主婦室。二階に子ども部屋と、

夫婦の寝室、クローゼット・・ところが、ご主人の部屋はどこにもない。

愛車を収納するガレージに、間取りの一部を割いても、仕事に疲れ

帰ってくる旦那様の部屋は、考えにないようです。


あれもこれもと予算オーバーに悩まされる奥さまには、日曜くらい
しか
家に居ない主人のための部屋は、贅沢にしか思えないのです。

家の中に自分の居場所のない夫・・居間で休日ごろごろしていると、

家族からうっとうしがられる。


一人ゆっくり、テレビで好きな野球を見たり、本を読んだり、横になっ

くつろげる部屋は、絶対必要だと思うのですが・・。

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