■歴史秘話「日本海海戦で、T字戦法はなかった」
日本海海戦といえば、連合艦隊がこの海戦で採用し、大戦果をあげた
「T字戦法」がある。ところが、「日本海海戦にT字戦法はなかった」と
する研究論文が、2002年に発表された。
T字戦法は、日本海海戦の1年前の明治37年8月、ロシア太平洋
艦隊と連合艦隊が、旅順沖で戦火を交えた「黄海海戦」でT字を描き、
敵の先頭に猛射を浴びせることに成功したが、決定打を与えない
うちに、ロシア艦隊は脱出に成功・・
このあと敵艦隊に追いつくのに、二時間を要した。
T字戦法では、敵を逃す恐れがあると判断した東郷は、以後、敵を
逃さないことのみに心を砕くようになり、日本海海戦では「並航砲撃戦」
戦闘隊形で、T字は採用しなかった。
後に、日本海軍が東郷を神格化するために、あたかもT字戦法で勝利
したかのごとく創作・・国民や世界の軍事専門家を騙し通したのです。
各国海軍も、この”幻の戦術”を採用しようと努力した。
昭和19年10月、フィリピンの海峡を北上する西村艦隊に対し、
米海軍が文字どおりのT字戦法を採用して、成功を収めている。
新人物往来社「日露戦争」より
969 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ ~ 「日露海戦と対馬島民-2」
東洋の野蛮なサルの国と、殺されるのを覚悟で上陸したロシア兵士たち・・島民から家族のような不眠不休の介護と、精一杯の親切、温かいもてなしを受け、皆感激の涙を流したと、記録に残されている。
翌29日夕方、本土の捕虜収容所に移送するため、日本海軍の船が回されて来た。
27時間の3日間にも満たない短い間であったが、ロシアの水兵たちは、広場に整列し、村人に最敬礼して、「スパシーボ(ありがとう)」を何度も繰り返して、感謝の涙で顔をくしゃくしゃにした。
兵士たちは、金貨と銀貨を数十枚、お礼に差し出したが、「金品を受け取ってはならぬ」という役所のお達しがあり、村人は固辞・・それでも村を離れる時、無理やり置いていったという。
沖に迎えに来た海軍の輸送船まで、漂着した時のボートに乗って浜を離れた。途中何度も振りかえり、一斉にオールを直立させて、深い謝意を表したという。
村人もまた、波間に見えなくなるまで、手がちぎれるほど振り続けた・・
後に、村人たちの対応を聞いて感動した東郷は、「戦争で死の海となった対馬が、敬愛の海になった。その義はなんと気高いものであろうか」と、書物に書き残している。
現在、日本海を見下ろす岬に、東郷直筆で彫られた記念碑が、訪れる人もなくひっそり立っている。
この海戦を遡る15年前・・紀伊半島南端の串本大島沖で、トルコ軍艦が嵐に合って難破・沈没した。
生き残りの兵士69名を、村民が命がけで救った実話は、今日も美談として私たちに受け継がれ、トルコでは教科書に載せているという。
トルコが親日的なのは、こうした過去の歴史によるものです。
一方、日露海戦における対馬島民の美談は、現在日本でもロシアでも、学校で教えることはなく、歴史から忘れ去られてしまっている。