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原発に依存しない社会へ

脱原発へ一歩


5月5日、子どもの日の午後11時3分、北海道電力泊原発3号機が、

定期検査のため運転停止した。

国内にある54基の原発が、1970年以来42年ぶりに、すべて停止した。

原発が運転再開するめどは立っておらず、昨年3月の福島第一原発

事故を経験した日本は、発電量の三割を占める原発の運転ゼロが続き、
前例のない事態になった。


原発の安全性に不信を抱く市民グループは、「原発ゼロ」を掲げ、

全国各地で集会やデモを行っている。

能登の北陸電力志賀原発も、沖合に新たな活断層が見つかるなど、

市民グループが街頭で、再稼働反対を呼びかけている。

                                                                        5月6日中日朝刊


967 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「原発に依存しない社会へ」

東北大震災から一年・・地震と津波と原発事故の三重苦・・いまだに、その苦しみかられられずにいる。

地震に見舞われるまで、私たちの社会は、原発にすっかり依存していることに気づかず、原発に頼っていることが”誤り”であるとは、考えもしなかった。

気づいてみれば、アメリカの104基、フランスの59基に次いで、世界で三番目に多い54基の原発を、人口が密集する狭い国土の日本が保有しているのです。

放射線被害が及びにくい広大な土地のアメリカでもなく、地震の少ないフランスでもない・・私たちが住む日本で。


原発に隣接して、人口が密集する町や村があり、世界で発生する地震の一割がこの日本で起きている。更に困ったことには、津波が押し寄せる海沿いに施設の全てがある。

放射性廃棄物を処分しようにも、技術が確立されていなく、保管場所もない・・放射能を浴びた残材の処理も、宙に浮いたままです。


そうしたことを、地震の後、国民は思い知らされたのです・・以前から、専門家が危惧していたことが、「まさか」の現実になって、起こってしまったのです。

地震から一年を経過した今になって、想定していた何倍もの大きな地震と津波が、過去に何度も起きていたことが、地質学者や地震博士の調査で明らかになった。

全国各地で、巨大地震と津波の痕跡が次々と発見されたのです。

「想定外だった」の一言で、すべてをやり過ごそうとする無責任さ・・
無関心さ。

私たちは、大きな誤りを冒していたことに、気づかなければならない・・
津波被害も原発事故も、”人災”だったことを・・死者を弔うためにも、誤りの問題点を明らかにし、次の災害への備えを十分にし、「原発に依存しない社会」をどう実現していくか・・今後の課題です。

                                                                                    同朋新聞「時言」

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