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老いを考える(2)

小話「老人の願望」


90歳の老俳優が、若い女優から強姦の罪で訴えられた。

被告が罪状を認めたので、検事は甚だしい高齢を考慮して、

禁錮二年を求刑した。


親しくしている友人が訪ねてきて、「なぜ罪状を認めたんです?

あなたが無実なことは、みんなわかっているのに・・」

『いや、いいんだ・・わしは、そういう疑いをかけられたのが、

  嬉しくて嬉しくて、たまらないんだから!』



939 【心と体の健康】

~幸せな人生~ 「老いを考える(2)」


誰しも若いうちは、「老いる」とか「死ぬ」とかの問題には触れたくありません。今日は、いずれ向き合わなければならないこの問題を、前号に続いて考えてみたいと思います。

私たちは、”老い”を社会問題にしてしまっている…それには、三つの理由があります。

一つは”老い”が、介護する側ばかりから、語られていることにあります。

介護に解決策はありません。介護などなければいいと思っても、どうなるものでもない。介護を”問題”として見るのではなく、”課題”としてとらまえ、介護することの意義を見出していくことです。


二つ目の理由は、現代社会には”老い”を受け入れる、老いの文化が未成熟なことが挙げられます。

戦後、右肩上がりの豊かな社会を生きてきた私たち世代…より多くの富や知恵を生み出した人、より多く社会に貢献した人に”価値”があり、老いて年金に頼るだけの人には、価値が見出せないのです。


自営業や農林業に携わる人に定年はない。漁師の場合、現役時代は海に出て、体力が劣ったら陸に上がって、獲を受け取る側に回る。
それも無理になったら網を繕い、終いは家で孫の世話・・死ぬまで働き手として重宝がられるのです。


勤労者にはそうした場所がない。定年で一日中家にいようものなら、うっとうしがられるだけ。今後の生活を考えると・・お金は使えない。
毎日どのように時間をつぶせばいいのか・・悩むことになる。
それで、定年後二十年も三十年生きていけというのは残酷です。


三つ目の理由は、出産、子育て、病気の看護、介護、死の看取り・・
生活に欠かせない多くのことを、家族でも隣近所でもない、国や行政にゆだねる社会になってしまったことです。
一個人、一家族だけでは何もできない世の中になったのです。


NHK朝ドラ「カーネーション」のように、昔は隣近所互いに世話をやき、助け合って暮らしていた。皆、どのせんじ薬で腹痛が治るとか、熱が下がるとか、ある程度知っていた・・そういう生活の知恵があった。

だから、病院に行くのは、すごい大病の時だけだった。介護も看取りも家でやった。誰かが亡くなったら、町内で葬式まで世話をする・・精進料理を作ったり、参列者をもてなしたり・・


今はどうでしょう・・自分たち、家族や隣近所でやっていたことを、すべて行政任せ・・出産は病院で、子育ては保育園、教育は学校、医療は病院で、介護は介護施設で、そして葬儀は葬儀社。


お互い”いのち”の世話をし合うことをやらず、出来ない世の中になった。なんでもかんでも国や行政に頼り、あれが足りない、これが欲しいの大合唱。

晩ご飯は、調理済みの肉・魚、お惣菜をスーパーで買ってきて並べるだけ。 近頃は、おせち料理も出来あいを並べる。 自分や家族だけでは、子どもを産み育てることの出来ない、世の中になったのです。

                             
                                            大谷大教授・鷲田清一「老いといういのちの相」

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