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三下り半

「女・三界に家なし」


私の子供の頃・・昭和三十年代は、家庭内の父親の存在は 絶大で、
男尊女卑の風習が根強く残っていた。

「女、幼少には親に従い、嫁しては夫・姑に従い、老いては子に従う」
過去何百年、女性の地位は低かったのです。

当時、女性は二十歳を過ぎると、早く嫁に行けと、親が決めてきた
相手と所帯を持たされた。

「三界に家なし」・・私の姉も、戻る家はないと諭され、家を出たのです。

それ以外の選択はゆるされず、勉強好きだった姉も、女に学問は不要
と言われ、大学へは行かせてもらえなかった。

938 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~女(男)の言い分~ 「三下り半」


江戸は長屋夫婦・・些細なことから喧嘩になり、そのうちに取っ組み合いの大喧嘩。

「お前のようなやつの顔は、もう見たくない」

『あたしも、お前さんの顔なんかあきあきだ』

互いに口から出まかせ、言いたい放題のことを言い合って、挙句の果てに、亭主が三下り半を叩きつけて、とうとう別れることになってしまった。


女房が、髪の乱れをなおし、顔には薄化粧をほどこして、着物を着替え、帯を胸高に締めて・・

『そんならお前さん、あたしゃ出ていくからね・・長い間お世話になりました。くれぐれも体には気をつけておくれよ』

と、涙を浮かべて、しおらしげに別れを告げるので、亭主、思わずホロリとなるが、今さら引き止めるわけにいかず、もぞもぞしていると、やがて風呂敷包みを小脇に、女房が玄関の戸を開けて、出ていこうとする。


亭主、あわてて「そこから出ていくやつがあるか!」と叱るので、
今度は裏口から出ていこうとすると・・

「そこからも、出ていくことはならん!」と言う・・

『そんなこと言うなら、あたしゃ出るところがない』とこぼすと・・

「そんなら、そのままここにいるがいい・・」

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「夫婦喧嘩犬も食わぬ」と言うが、落ち着くところに落ち着いて、まずは一件落着。だが、舌戦こうじて三下り半を書くということになれば、事はきわめて重大だ。

女房は「亭主は、私のことが嫌いなんだ・・そんなら、別れてやる」と逆上し、家を出ようとするが、戻る当てがない。

亭主は、男のコケンが邪魔をして、振り上げたこぶしを下ろせない・・

言い過ぎたと、心でシマッタと思っても、意地を張り、筋を通そうとする。


夫婦どちらかが、「言い過ぎた・・悪かった・・許しておくれ」と詫びるなら、しばらくすれば納まるものを・・


三下り半とは、亭主が女房に叩きつける、三行半に書かれた離縁状のことで、理由のいかんにかかわらず、亭主が自筆の離縁状を女房に渡しさえすれば、その時点で離縁は成立するのです。

尚、夫が無学・無筆のときは、筆で三本半の棒線を引いて、爪印を押せば成立する。


昭和初期の頃まで、こうした風習が残っていた。

男尊女卑の江戸時代には、中国の「七去」の思想に習い、夫婦関係は主従の関係に等しく、亭主にどんなひどい仕打ちをされようとも、じっと我慢するしかなかった。

それでいて、女房の方から亭主に離縁を申し出ることは、許されなかった。

そんな不幸な女性が、嫌な亭主と離別できる唯一の方法は、”駆け込み寺”に逃げ込むことだった。

当時、寺法によって、女性は保護され、有髪のまま尼にならずに、寺で三年勤行すれば、自動的に離婚が成立したのです。

                                                                         山住昭文「江戸のこばなし」

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