■「女・三界に家なし」
私の子供の頃・・昭和三十年代は、家庭内の父親の存在は 絶大で、
男尊女卑の風習が根強く残っていた。
「女、幼少には親に従い、嫁しては夫・姑に従い、老いては子に従う」
過去何百年、女性の地位は低かったのです。
当時、女性は二十歳を過ぎると、早く嫁に行けと、親が決めてきた
相手と所帯を持たされた。
「三界に家なし」・・私の姉も、戻る家はないと諭され、家を出たのです。
それ以外の選択はゆるされず、勉強好きだった姉も、女に学問は不要
と言われ、大学へは行かせてもらえなかった。
938 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~女(男)の言い分~ 「三下り半」
江戸は長屋夫婦・・些細なことから喧嘩になり、そのうちに取っ組み合いの大喧嘩。
「お前のようなやつの顔は、もう見たくない」
『あたしも、お前さんの顔なんかあきあきだ』
互いに口から出まかせ、言いたい放題のことを言い合って、挙句の果てに、亭主が三下り半を叩きつけて、とうとう別れることになってしまった。
女房が、髪の乱れをなおし、顔には薄化粧をほどこして、着物を着替え、帯を胸高に締めて・・
『そんならお前さん、あたしゃ出ていくからね・・長い間お世話になりました。くれぐれも体には気をつけておくれよ』
と、涙を浮かべて、しおらしげに別れを告げるので、亭主、思わずホロリとなるが、今さら引き止めるわけにいかず、もぞもぞしていると、やがて風呂敷包みを小脇に、女房が玄関の戸を開けて、出ていこうとする。
亭主、あわてて「そこから出ていくやつがあるか!」と叱るので、
今度は裏口から出ていこうとすると・・
「そこからも、出ていくことはならん!」と言う・・
『そんなこと言うなら、あたしゃ出るところがない』とこぼすと・・
「そんなら、そのままここにいるがいい・・」
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「夫婦喧嘩犬も食わぬ」と言うが、落ち着くところに落ち着いて、まずは一件落着。だが、舌戦こうじて三下り半を書くということになれば、事はきわめて重大だ。
女房は「亭主は、私のことが嫌いなんだ・・そんなら、別れてやる」と逆上し、家を出ようとするが、戻る当てがない。
亭主は、男のコケンが邪魔をして、振り上げたこぶしを下ろせない・・
言い過ぎたと、心でシマッタと思っても、意地を張り、筋を通そうとする。
夫婦どちらかが、「言い過ぎた・・悪かった・・許しておくれ」と詫びるなら、しばらくすれば納まるものを・・
三下り半とは、亭主が女房に叩きつける、三行半に書かれた離縁状のことで、理由のいかんにかかわらず、亭主が自筆の離縁状を女房に渡しさえすれば、その時点で離縁は成立するのです。
尚、夫が無学・無筆のときは、筆で三本半の棒線を引いて、爪印を押せば成立する。
昭和初期の頃まで、こうした風習が残っていた。
男尊女卑の江戸時代には、中国の「七去」の思想に習い、夫婦関係は主従の関係に等しく、亭主にどんなひどい仕打ちをされようとも、じっと我慢するしかなかった。
それでいて、女房の方から亭主に離縁を申し出ることは、許されなかった。
そんな不幸な女性が、嫌な亭主と離別できる唯一の方法は、”駆け込み寺”に逃げ込むことだった。
当時、寺法によって、女性は保護され、有髪のまま尼にならずに、寺で三年勤行すれば、自動的に離婚が成立したのです。
山住昭文「江戸のこばなし」