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昭和天皇

「仁・義・礼・知・信」


日本人に親しまれる以下の五字は、”儒教”の根幹をなす重要な

言葉です。人の道を正しく生きるための大切な「五常の徳」として、

始祖である”孔子”と、後の”孟子”などによって確立されたものす。


」 他者を思いやる心

        相手の立場や気持になって考える

」 正と不正を見分ける意志

        人として行いは正しく、そのための犠牲もいとわず

」 先人や慣習を敬う心

        謙虚にでしゃばらず、鼻にかけず、人を見下さない

」 目的を実現する力

         知識や経験をもとに、智恵と判断力、洞察力を磨く

」 己を信じ、他者を信頼する誠実な心

         誠意をもって自分を偽ることなく、約束を守る


937 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~子育て~ 「昭和天皇」

私たち戦中・戦後派にとって、昭和天皇は父親のような存在でした・・
昭和天皇は、生涯国民から敬愛の念で尊ばれました。

国民に写るそのお姿は、謙虚さと高貴さにあります。
一言で言えば「至高の徳性」にあります。


昭和天皇は明治34年、大正天皇のご長男として誕生されました。

生まれて僅か三ヶ月の頃、親元を離され、一民間人の”川村伯爵”の許に預けられました。2年ほど、将来帝王となるべき、しつけ教育を受けられたのです。

川村伯爵は、薩摩出身の軍人さんで、しつけは大変厳しいものだったという。その教育方針は・・

一.健康な御体に育て、持てる天性を曲げぬこと

ニ.ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと

三.困難に耐え、我がままを言わぬ習慣をつけること


その後、学習院の初等科に入られましたが、当時の院長は”乃木希典”・・乃木大将は、道徳の見本のような人物です。

そのもとで厳しく鍛えられたことが、後の昭和天皇のお人柄を育まれることになった。

・幾つかエピソードを取り上げると…

当時の東宮御所から学習院までは、わりと近かったのですが、将来天皇になられる方ですから、馬車で送り迎えをしていました。それを見た乃木院長…「雨の日でも晴れた日でも、必ず歩いて通って下さい」と、馬車に乗るのを止められた。


冬になると、当時のことですから、みんなすぐ火鉢にあたろうとしました。それを見た乃木院長、「寒いからと火鉢にかじりついていてはいけません。運動場をかけっこされたら、暖かくなります」と言われたという。


後になって、昭和天皇自ら「贅沢はいけない…質素にしなければならない」と、乃木院長に厳しくしつけられたことを、懐かしそうに語っておられたそうです。

学習院小学校卒業後は、東宮御所内の学問所で、中・高一貫教育を受けられた。その七年間の教育の柱は「倫理」と「歴史」。正しい倫理観と、正しい歴史観を身につけることが、国の行く末を誤らなくする、重要な教育課題だったのです。

私たちにとっても、「倫理観」と、先代から受け継がれた「創業の精神」と「歴史認識」が大切なことは、言うまでもありません。


この間の教育はまことに厳しく、凄いものだったという。

明治天皇と大正天皇が、将来君主となられる天皇をお育てするため、いかに心を用いておられたかを物語る逸話です。

                                                                                                 「論語の友」

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