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2012年02月 アーカイブ

2012年02月03日

心をコントロールする術

剣道・精神修養における「四戒」

剣道の精神修養には、驚き疑い恐れ惑いの「四戒」がある。


自分より強い相手と対峙する時、恐れを感じて恐くなります。

恐いと思った瞬間スキが生じ、それが弱点になります。

また、相手の方が「コテ打ちやメン打ちが得意」と思ったら、

心に惑いが生じ、弱さになります。


己に勝つには、逃げず・恐れず「四戒」と向き合わなければ

なりません。そのためには、勝つためのトレーニングではなく、

己を鍛えるトレーニングでなければなりません。


試合に臨むときは「四戒」を捨て、恐がらず平常心で、

”精神力”という鎧をまとって、ベストを尽くします。

反対に、相手の「四戒」を見抜き、その弱点を突いていけば、

勝利はあなたのものです。


936 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

「心をコントロールする術」

今日のテーマ「心をコントロールする術」は、日本武道・・剣道の有段者に、その例を見ることができます。

剣道には、武士の考え方や生き方が息づいています。剣道に必要なものは、闘争心ではなく、落ち着いた精神や心の持ち方です。


江戸初期、最高の剣士と恐れられた柳生宗矩(むねのり)の「兵法家伝書」には、
敵を切るにはあらず・・卒尓に仕掛けずして、手前を構へて、敵に切られぬやうにすべし」「武士たるものは、剣をいかに用いるべきか・・そのために、いかに心を養うか」とある。


日本武道の剣道や合気道は、相手を倒すことよりも、相手の気合いや力をいかに取り込み、封じ込めるかに心を砕いて、自分自身をみつめ、鍛錬する・・日頃から己を律し、ひきよう者と言われない人間、「己に克つ」ことを価値観に据えて、日々稽古に励むのです。


打ち克つべきは敵ではなく、内なる己にある・・相手を倒すための強さではなく、己の人間としての強さこそ重要なのです。

この考え方が武士道の基本になり、精神的成長を何より大切にして、心技一体の精神を育んでいく・・それが脈々と受け継がれているのです。


話はそれるが、1月29日アメリカ男子ゴルフツアーの最終ラウンド・・
石川遼は、通算9アンダー13位で終えた。バランスの良いプレーで、上位をうかがう戦いができたのです。

「四日間、自分の技量に合った攻めに徹し、一か八か勝負したい欲求を極力抑え、難しい位置にあるピンは狙わない安全策をとった。
ドライバーを曲げても、2打目以降に集中し、
確実にパーをセーブ。
大会を通じて”感情技量”の均衡がとれ、自分をコントロール出来た」と試合後石川遼は語った・・一皮むけたようです。
     (1/31読売朝刊)


剣道の基本は「礼に始まり礼に終わる」。相手を常に尊敬し、礼をきちんと守り、謙虚であること・・人間形成のうえで最も重要なことです。

剣道は、稽古で己の技を磨くことも大切だが、道場は自分の心技を鍛える所・・常に清掃し、きれいにしておく。防具や竹刀の手入れも怠らない・・これも稽古です。


精神を正しくし、心を磨くことを同時にやらなければ、剣道の技は身につかず、一流の剣士にはなれません。

剣道の勝負はあくまで”手段”である。”勝つ”ことだけが目的ではない。試合相手と自分が、共に”協力”して試合をつくりあげていく・・その精神が大切なのです。


外来のボクシングやレスリングは、勝つことを目的に闘い、”闘争心”こそがパワーの根源であると信じられてきた。

日本の剣道や弓道とは何かが違う・・武道とは一体何なのか?
答えは「人間形成の道場」である・・武道を通して強く立派な人間を目指すのです。

スポーツは、小さい人と大きい人が闘うと、普通は身体の大きな人が有利になる。剣道は、身体の大きさも老若も問わない。また、剣道の高段者は、他のスポーツと違って、歳をとっても、弱くなることはない・・むしろレベルアップしていく。体力やスピードは衰えるが、精神面がそれを埋め合わせ、更に高まっていくのです。

高段者ともなれば、長年に渡る心の修行で、相手の動きが見えるようになる。難行苦行の末悟りをひらいた禅僧と、相通じるものがある。

                                                                              NHK・BS「武士道」より

2012年02月05日

■江戸小噺「嫁の乳」

江戸小噺「嫁の乳」


息子の嫁が、義父の月代(さかやき)を剃ってやっていたが、

やがてヒゲを剃るときに、はだけた胸からのぞいた、

ふくよかな嫁の乳房が、剃るたびごとに唇に触れんばかりにして、

眼の前を行ったり来たりするので、たまらない。

とうとう我慢しきれずに、いきなりパクリとしゃぶりついてしまった。


たまたま、それを見ていた息子が眼をむいて、

「息子の嫁の乳をしゃぶって、どういう了見だ!」と怒りだすと、

  父親、開き直って・・

『そういうお前だって、俺の女房の乳を五年も近くしゃぶり続けて

  いたではないか・・』

                                              山住昭文「江戸のこばなし」

2012年02月07日

昭和天皇

「仁・義・礼・知・信」


日本人に親しまれる以下の五字は、”儒教”の根幹をなす重要な

言葉です。人の道を正しく生きるための大切な「五常の徳」として、

始祖である”孔子”と、後の”孟子”などによって確立されたものす。


」 他者を思いやる心

        相手の立場や気持になって考える

」 正と不正を見分ける意志

        人として行いは正しく、そのための犠牲もいとわず

」 先人や慣習を敬う心

        謙虚にでしゃばらず、鼻にかけず、人を見下さない

」 目的を実現する力

         知識や経験をもとに、智恵と判断力、洞察力を磨く

」 己を信じ、他者を信頼する誠実な心

         誠意をもって自分を偽ることなく、約束を守る


937 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~子育て~ 「昭和天皇」

私たち戦中・戦後派にとって、昭和天皇は父親のような存在でした・・
昭和天皇は、生涯国民から敬愛の念で尊ばれました。

国民に写るそのお姿は、謙虚さと高貴さにあります。
一言で言えば「至高の徳性」にあります。


昭和天皇は明治34年、大正天皇のご長男として誕生されました。

生まれて僅か三ヶ月の頃、親元を離され、一民間人の”川村伯爵”の許に預けられました。2年ほど、将来帝王となるべき、しつけ教育を受けられたのです。

川村伯爵は、薩摩出身の軍人さんで、しつけは大変厳しいものだったという。その教育方針は・・

一.健康な御体に育て、持てる天性を曲げぬこと

ニ.ものに恐れず、人を尊ぶ性格を養うこと

三.困難に耐え、我がままを言わぬ習慣をつけること


その後、学習院の初等科に入られましたが、当時の院長は”乃木希典”・・乃木大将は、道徳の見本のような人物です。

そのもとで厳しく鍛えられたことが、後の昭和天皇のお人柄を育まれることになった。

・幾つかエピソードを取り上げると…

当時の東宮御所から学習院までは、わりと近かったのですが、将来天皇になられる方ですから、馬車で送り迎えをしていました。それを見た乃木院長…「雨の日でも晴れた日でも、必ず歩いて通って下さい」と、馬車に乗るのを止められた。


冬になると、当時のことですから、みんなすぐ火鉢にあたろうとしました。それを見た乃木院長、「寒いからと火鉢にかじりついていてはいけません。運動場をかけっこされたら、暖かくなります」と言われたという。


後になって、昭和天皇自ら「贅沢はいけない…質素にしなければならない」と、乃木院長に厳しくしつけられたことを、懐かしそうに語っておられたそうです。

学習院小学校卒業後は、東宮御所内の学問所で、中・高一貫教育を受けられた。その七年間の教育の柱は「倫理」と「歴史」。正しい倫理観と、正しい歴史観を身につけることが、国の行く末を誤らなくする、重要な教育課題だったのです。

私たちにとっても、「倫理観」と、先代から受け継がれた「創業の精神」と「歴史認識」が大切なことは、言うまでもありません。


この間の教育はまことに厳しく、凄いものだったという。

明治天皇と大正天皇が、将来君主となられる天皇をお育てするため、いかに心を用いておられたかを物語る逸話です。

                                                                                                 「論語の友」

2012年02月10日

三下り半

「女・三界に家なし」


私の子供の頃・・昭和三十年代は、家庭内の父親の存在は 絶大で、
男尊女卑の風習が根強く残っていた。

「女、幼少には親に従い、嫁しては夫・姑に従い、老いては子に従う」
過去何百年、女性の地位は低かったのです。

当時、女性は二十歳を過ぎると、早く嫁に行けと、親が決めてきた
相手と所帯を持たされた。

「三界に家なし」・・私の姉も、戻る家はないと諭され、家を出たのです。

それ以外の選択はゆるされず、勉強好きだった姉も、女に学問は不要
と言われ、大学へは行かせてもらえなかった。

938 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~女(男)の言い分~ 「三下り半」


江戸は長屋夫婦・・些細なことから喧嘩になり、そのうちに取っ組み合いの大喧嘩。

「お前のようなやつの顔は、もう見たくない」

『あたしも、お前さんの顔なんかあきあきだ』

互いに口から出まかせ、言いたい放題のことを言い合って、挙句の果てに、亭主が三下り半を叩きつけて、とうとう別れることになってしまった。


女房が、髪の乱れをなおし、顔には薄化粧をほどこして、着物を着替え、帯を胸高に締めて・・

『そんならお前さん、あたしゃ出ていくからね・・長い間お世話になりました。くれぐれも体には気をつけておくれよ』

と、涙を浮かべて、しおらしげに別れを告げるので、亭主、思わずホロリとなるが、今さら引き止めるわけにいかず、もぞもぞしていると、やがて風呂敷包みを小脇に、女房が玄関の戸を開けて、出ていこうとする。


亭主、あわてて「そこから出ていくやつがあるか!」と叱るので、
今度は裏口から出ていこうとすると・・

「そこからも、出ていくことはならん!」と言う・・

『そんなこと言うなら、あたしゃ出るところがない』とこぼすと・・

「そんなら、そのままここにいるがいい・・」

**********************************************

「夫婦喧嘩犬も食わぬ」と言うが、落ち着くところに落ち着いて、まずは一件落着。だが、舌戦こうじて三下り半を書くということになれば、事はきわめて重大だ。

女房は「亭主は、私のことが嫌いなんだ・・そんなら、別れてやる」と逆上し、家を出ようとするが、戻る当てがない。

亭主は、男のコケンが邪魔をして、振り上げたこぶしを下ろせない・・

言い過ぎたと、心でシマッタと思っても、意地を張り、筋を通そうとする。


夫婦どちらかが、「言い過ぎた・・悪かった・・許しておくれ」と詫びるなら、しばらくすれば納まるものを・・


三下り半とは、亭主が女房に叩きつける、三行半に書かれた離縁状のことで、理由のいかんにかかわらず、亭主が自筆の離縁状を女房に渡しさえすれば、その時点で離縁は成立するのです。

尚、夫が無学・無筆のときは、筆で三本半の棒線を引いて、爪印を押せば成立する。


昭和初期の頃まで、こうした風習が残っていた。

男尊女卑の江戸時代には、中国の「七去」の思想に習い、夫婦関係は主従の関係に等しく、亭主にどんなひどい仕打ちをされようとも、じっと我慢するしかなかった。

それでいて、女房の方から亭主に離縁を申し出ることは、許されなかった。

そんな不幸な女性が、嫌な亭主と離別できる唯一の方法は、”駆け込み寺”に逃げ込むことだった。

当時、寺法によって、女性は保護され、有髪のまま尼にならずに、寺で三年勤行すれば、自動的に離婚が成立したのです。

                                                                         山住昭文「江戸のこばなし」

2012年02月13日

老いを考える

老いを考える


ビデオ撮りしておいた、山田太一原作NHK土曜ドラマ「キルトの家」
を、先週土曜夜じっくり見た。「キルトの家」は、団地で一人暮らしを
している、寂しい老人たちの物語です。

近い将来避けて通れない”老い”・・自らの将来の姿を客観的に
見つめ、考えさせるドラマでした。


三十年前を振り返ると、金沢の近郊に次々立派な団地が 造成され、
郊外は活気にあふれていた。

私が生まれ育った、武家屋敷のある長町界隈は、土地を求め、

家を新築して引っ越していく人で、空き地と有料駐車場ばかりの
町になった。

挙句は少子化で、市中心部の三つの小学校は一つに統合され、

私が通った長町小学校も廃校になった。

あれから三十年・・今は、郊外の団地が、老人ばかりが住む、
ひと気のない、寂しい町になってしまった。


939 【心と体の健康】

~幸せな人生~ 「老いを考える」


超高齢化社会になって、定年後に、現役時代に匹敵する長さを生きる人が、大多数を占めるようになった。

老いの先に必ずやってくる”介護”・・その介護が今、社会問題の一つになっている。

家族の中に、介護を要する年寄が生じた時、多くの家庭で「誰が介護するのか」が問題になり・・なすり合いの嵐が吹く。

結婚すれば子どもができる・・子どもが生まれたら育児をするのは当たり前と思っている。同様に、家族に年寄がいれば、介護は避けて通れない…その時になつて困ることなど、ないはずである。


ところが、覚悟ができていない。「介護は大変な問題だ」と、介護する側に都合のいい、あるいは都合の悪いイメージで、片付けられてしまう。

介護老人を抱えたばっかりに、家庭内がおかしくなったと、被害者意識に陥るのです。

誰であれ、老いは必ずやってくる・・介護も必ずやってくる。”老いる”とは、一人で出来ることが一つずつ減っていき、人の手を借りなければ日常の生活ができなくなる・・あたり前のことなのに・・私たちは”老い”を社会問題として語ろうとする…それには、理由が三つあります。


一つは、老いが”介護する側”からばかり、語られることにある。

”介護される側”の年寄は、「迷惑をかけて申し訳ない」という意識があり…また、家族が無理をしているのが分かるので…「ああしてほしい、こうしてほしい」とは、申し訳なくて言えないのです。


わずかでも、不服を言おうものなら、「少しは、介護する私たちのことも考えて!」と言い返され・・争いになる。介護される側は、何も言わない方がいいと、口をつぐんでしまうのです。


介護される年寄は、家族に老いを語りにくい。だからどうしても、介護する側の問題として語られてしまう。

介護に多くの時間を割かれ、会社を辞めざるを得なくなって、暮らしにひずみや無理が生じるケースが多いからです。


介護に疲れ、人の助けを求めようにも、解決策が見当たらず、悩むことになる。
介護に解決策はない! 介護などなければいいと思っても、どうなるものでもない。

介護を問題として見るのではなく、”課題”としてとらまえ、介護することに意義を見出していくことです。(つづく)

                                                大谷大教授・鷲田清一「老いといういのちの相」


少子化が、介護家庭に重くのしかかってくる。

私の親の代に比べ、何倍も老人介護が困難なものになっている。

両親と同居していた私・・妻は、私の事業を手伝う傍ら、父母に付き添い、亡くなる最後まで世話をやいてくれた。幸いなことに、当時、私の姉と妹が金沢にいて、交代で介護したのです。


次は、私たち夫婦の番です・・介護してくれる家族は?
息子の”嫁”一人の肩に、私たち夫婦と、実家の両親(三姉妹の長女)、四人の介護が重くのしかかる・・夫は当てにならない。周りを見渡しても、長男の嫁と、嫁いだ娘・・二人以外に、親を介護できる家族はいないのです。

2012年02月16日

みっともない日本人

ユーモアに欠ける日本人


バカなことを言って、「いい歳をしてみっともない、恥ずかしく
ないのかい」と言われそうで・・

西欧人は、生真面目な日本人を、「笑の知らぬ民族」だと

思って いる。

日本の政治家のジョーク下手、ユーモア音痴はどうしようもなく、
外交交渉に円滑さを欠き、日本に不利益をもたらしている。


いやいや、日本には漫才や落語などの笑いの文化があり、

江戸小噺あり、川柳ありで・・認識不足だ・・と憤慨してみても、
考えてみれば、私たちの日頃の会話には、 潤滑油となる
こうした”笑い”の文化は、存在しないのです。

せいぜい「おじん駄洒落」を連発して笑われる、中年のおじさん
がいるくらいでしょう。


940 【吉村外喜雄の]なんだかんだ】

「みっともない日本人」


外国に旅行するとき、国によって習慣・風習が異なることを知っていないと、大恥をかくことになる。

私がそうだが、多くの日本人は、西欧人と話すのが苦手です。
相手が話す内容
が分からなくて、「愛想笑い」でごまかしてしまう。
それが外国人の誤解を招き、
笑いものになるのです。


言語の壁は、日本人をジョーク下手にしている。西欧人のジョークは、日常会話の
コミュニケーションの中から培われたもので、日本人がいきなりジョークで笑を誘ってみても、うまく言えないし、言っても受けません。


実際にあった話です・・・アメリカの客室乗務員から、飴のサービスを受けた日本の有名な俳優が、うっかり飴を床に落とした。

そこですかさず大声で、「あっドロップがドロップ・・ドロップアンド、ドロップ」と叫んだ。
本人はジョークのつもりだが、アメリカで飴はドロップと言わず、キャンディーである。飴1コ落としたくらいで、大騒ぎする日本人を見て、皆あきれ顔。


日本人が、欧米の高級レストランで、ワイン・リストを見る前に、「とりあえず、ビールお願いします」と頼むのもみっともない・・注文する時、「とりあえず」と言うのは日本人だけ。

ビールは、ディナーの食前酒に入らないし、食事の前からウイスキーを水割にりして、お替りするのも下品である。


髪を金色に染めた日本人の若者も、欧米では笑いもの。まつ毛と眉毛、ヒゲが黒、顔はモンゴリアン・・頭の色と顔色のバランスが悪く、田舎者のお洒落に見えてしまう。(ダルビッシュ有は例外で、かっこいい)


また、お洒落のつもりでポケットチーフを背広の胸に入れ、会議やビジネスの席に出る日本人(私がそうだった)・・欧米人には、まるで田舎者。
欧米でポケットチーフを胸にさすのは、デートの時や、パーティ、ディナーの時だけである。
                    はかま満緒「世界が嗤う日本のジョーク」


下品と言えば、スープを「ズズッ~」とすすり、くちゃくちゃ音を立てて食べる日本人。ソバを麺つゆに浸けて、ズズ~ッとすする日本の食文化が、西欧人に嫌われるのです。

レストランも心得ていて、日本人の団体客は、別室か他のお客様から離れた店の隅に案内する。

また、相手を指をさしたり、手の平を上にして手招きする行為は避けなければならない・・相手を見下していると思われ、不快な気分にさせるのです。

2012年02月20日

老いを考える(2)

小話「老人の願望」


90歳の老俳優が、若い女優から強姦の罪で訴えられた。

被告が罪状を認めたので、検事は甚だしい高齢を考慮して、

禁錮二年を求刑した。


親しくしている友人が訪ねてきて、「なぜ罪状を認めたんです?

あなたが無実なことは、みんなわかっているのに・・」

『いや、いいんだ・・わしは、そういう疑いをかけられたのが、

  嬉しくて嬉しくて、たまらないんだから!』



939 【心と体の健康】

~幸せな人生~ 「老いを考える(2)」


誰しも若いうちは、「老いる」とか「死ぬ」とかの問題には触れたくありません。今日は、いずれ向き合わなければならないこの問題を、前号に続いて考えてみたいと思います。

私たちは、”老い”を社会問題にしてしまっている…それには、三つの理由があります。

一つは”老い”が、介護する側ばかりから、語られていることにあります。

介護に解決策はありません。介護などなければいいと思っても、どうなるものでもない。介護を”問題”として見るのではなく、”課題”としてとらまえ、介護することの意義を見出していくことです。


二つ目の理由は、現代社会には”老い”を受け入れる、老いの文化が未成熟なことが挙げられます。

戦後、右肩上がりの豊かな社会を生きてきた私たち世代…より多くの富や知恵を生み出した人、より多く社会に貢献した人に”価値”があり、老いて年金に頼るだけの人には、価値が見出せないのです。


自営業や農林業に携わる人に定年はない。漁師の場合、現役時代は海に出て、体力が劣ったら陸に上がって、獲を受け取る側に回る。
それも無理になったら網を繕い、終いは家で孫の世話・・死ぬまで働き手として重宝がられるのです。


勤労者にはそうした場所がない。定年で一日中家にいようものなら、うっとうしがられるだけ。今後の生活を考えると・・お金は使えない。
毎日どのように時間をつぶせばいいのか・・悩むことになる。
それで、定年後二十年も三十年生きていけというのは残酷です。


三つ目の理由は、出産、子育て、病気の看護、介護、死の看取り・・
生活に欠かせない多くのことを、家族でも隣近所でもない、国や行政にゆだねる社会になってしまったことです。
一個人、一家族だけでは何もできない世の中になったのです。


NHK朝ドラ「カーネーション」のように、昔は隣近所互いに世話をやき、助け合って暮らしていた。皆、どのせんじ薬で腹痛が治るとか、熱が下がるとか、ある程度知っていた・・そういう生活の知恵があった。

だから、病院に行くのは、すごい大病の時だけだった。介護も看取りも家でやった。誰かが亡くなったら、町内で葬式まで世話をする・・精進料理を作ったり、参列者をもてなしたり・・


今はどうでしょう・・自分たち、家族や隣近所でやっていたことを、すべて行政任せ・・出産は病院で、子育ては保育園、教育は学校、医療は病院で、介護は介護施設で、そして葬儀は葬儀社。


お互い”いのち”の世話をし合うことをやらず、出来ない世の中になった。なんでもかんでも国や行政に頼り、あれが足りない、これが欲しいの大合唱。

晩ご飯は、調理済みの肉・魚、お惣菜をスーパーで買ってきて並べるだけ。 近頃は、おせち料理も出来あいを並べる。 自分や家族だけでは、子どもを産み育てることの出来ない、世の中になったのです。

                             
                                            大谷大教授・鷲田清一「老いといういのちの相」

2012年02月24日

みっともない日本人(2)

西欧のジョーク


第二次世界大戦で、ユダヤ人のホロコーストを指揮した

アイヒマンは、戦後アルゼンチンへ逃亡し、潜伏した。

しかし、イスラエルの地下組織の執念の捜査により、

捕えられて、誘拐されてしまう。


イスラエルで行われた裁判の判決は当然ながら・・死刑。

判決が決まった後、裁判長はアイヒマンに・・

「最後に何か望むことはないか」と促した。


アイヒマンは少し考え、『ユダヤ教に改宗したい』と語った。

これには裁判長も驚いた。
ユダヤ教に改宗するとは、ユダヤ人になることと同義だからだ。


困惑した裁判長は、アイヒマンにその理由を尋ねた・・

アイヒマンは、にやりと笑って答えた。

『これでまた一人、ユダヤ人が殺されることになりますから・・』



942 【吉村外喜雄の]なんだかんだ】

「みっともない日本人(2)」


何年か前、ニューヨークのホテルのエレベーターで、中年のアメリカ紳士と乗り合わせた。

「こんばんわ」と愛想よく言うので、私も「こんばんわ」と言い返した。

降りるときに「おやすみなさい」と言うと、アメリカ人「いい夢を見てください」と笑顔で手を振った。


日本のホテルで・・日本人同士が二人乗り合わせたら・・
心の中では<こんばんわ>と言うが、声にならない。
お互い黙ったまま上を向いて、階数のランプをジッと見つめている。
相手が降りて、ホッとする・・こんな経験ありますよね。


アメリカでは、押しボタンの前に立った人が「何階ですか?」と、
後ろの人に声をかける。ボタンを押すごとに「ありがとう」が返ってくる。

日本では・・
「何階ですか?」・・同乗者『6階』・・「はい」、『9階』・・「はい」

ありがとうの言葉が返ってこない。私はエレベーターボーイじやない・・
不愉快です。
なぜ、日本はこうなんだろう。


ニューヨークの路上で、すれ違いざま、肩が触れた・・「エクスキューズミー」と、即座に謝りの言葉が返ってくる・・ハッとして、何か返事しようとするが、言葉が出てこない・・恥ずかしい思いをしてしまう。

東京で・・同様に肩が触れても、双方無反応・・チラッと見て通り過ぎていく。

「知らない人に、とっさに詫びる」習慣がない。 だから、すれ違いざまに声をかけられたら、返す言葉が出てこないのです。


なぜそうなのか・・日本は単一民族・・アウンの呼吸で、言葉なしでも「分かり合える」ところがある。

一方のアメリカは、多民族国家・・今の自分の思いをしっかり相手に伝えないと、いきなり後ろから撃たれるかもしれない。話しかけるのは、「私は、あなたに敵意はない」と、呼びかける意味があるのです。

 
                                                     はかま満緒「世界が嗤う日本のジョーク」

2012年02月28日

世界がもしも100人の村だったら

孫子の兵法

毎週月曜と火曜”BS日テレ”PM6時、中国歴史ドラマ「孫子の兵法」

をビデオ撮りして、欠かさず見ている。

映画「赤壁」を思わせる、雄大なスケールと、戦略・兵法を駆使した

あらすじにはまっている。


孫子の兵法といえば・・

彼を知り  己を知れば  百戦して殆うからず

は、よく知られているが、大切な意味が隠されている。

彼を知らずして  己を知れば  一戦一負す。

  彼を知らず  己を知らざれば  戦うごとに必ず殆うし


たとえ相手を知らなくとも、己をよく知るなら、勝敗を五分に持って

いけるだろう。しかし、相手を知らず、己の姿も知らないのであれば、

戦うたびに必ず敗れる・・と断言しているのです。


943 【吉村外喜雄のなんだかんだ】

~幸せな人生~

「世界がもしも100人の村だったら」


東北大震災から一年になる。
今、改めて噛みしめたい、私たちへのメッセージです。


2001年3月、世界銀行の元同僚から一通のメールが届いた。

受け取ったのは、世界銀行で人事マネージャーとして活躍。
現在、人事コンサルト・ソーシャルファシリテーターの中野裕弓氏。
彼女は、受け取ったメールを翻訳して、日本中に広めたことで知られる。

以下は、流したメッセージの原本です。


もし、全世界を人口100人の村に縮小するとしたら・・どうなるでしょう。

その村には・・57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。

52人が女性で、48人が男性です。70人が有色人種で、30人が白人。

30人がキリスト教徒で、70人がそれ以外の宗教です。

89人が異性愛者で、11人が同性愛者。


6人が世界の富の59パーセントを所有し、その6人ともがアメリカ国籍。

80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字を読めません。

50人は栄養失調で苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人は今、生まれようとしています。

1人は…そうたった1人…大学の教育を受け、そして1人だけがコンピューターを所有しています(※2000年当時)。


もしこのように縮小された全体図から、私たちの世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること・・自分と違う人を理解すること。

そして世界の事実を知るための教育がいかに必要かは、火を見るより明らかです。

もしあなたが今、朝目覚めた時、健康だなと感じることが出来たなら…
あなたは、今週生き残ることができないであろう、100万人の人たちよりも、恵まれています。


もしあなたが、戦いの危険や・・投獄される孤独や・・獄門の苦悩・・あるいは飢えの悲痛を、一度も経験したことがないのなら…世界の5億人の人たちより、恵まれています。

もしあなたが、しつこく苦しめられることや・・逮捕・拷問・・または死の恐怖を感じることなしに、教会のミサに行くことができるなら…世界の30億人の人たちより、恵まれています。


もし冷蔵庫に、食料があり・・着る服があり・・頭の上には屋根があり・・寝る場所があるなら…あなたは、この世界の75パーセントの人々より、裕福です。

もし銀行に預金があり・・お財布にお金があり・・家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら…あなたは、この世界の中で最も裕福な、上位8パーセントのうちのち1人です。


もしあなたの両親が、共に健在で、そして二人がまだ一緒なら…それはとても稀なことです。

もし、このメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間、2倍の祝福を受けるでしょう。

何故なら、あなたのことを思って、これを伝える誰かがいて、その上あなたは全く字が読めない世界中の20億の人々より、ずっと恵まれているからです。

このメッセージを、人に伝えてください。そして、その人の一日を照らしてください。

                (100人の村は、十年くらい前、千田昌利さんのメールで知りました)

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