■「屁の河童」の語源は?
”たやすく出来る”ことを「屁の河童」と言うが、なんとも可笑しな
言葉です。語源をだどっていくと、「木っ端の火」になる。
子どもの頃、毎朝かまどの前にしゃがんで薪をくべ、ご飯を炊く
のが私の役割でした。
最初、火種に木屑を入れて、燃え上がったところへ薪をくべる。
この”木っ端”は、パッと燃え上がるが、すぐ燃え尽きてしまう
ので、手早くしないと間に合わない。
そこで江戸の庶民は、”はかない”ことを「木っ端の火」と言った。
いつしか、江戸っ子特有の洒落で、「河童の屁」と言うようになった。
このままでは面白くないので、”逆さ読み”して「屁の河童」になり、
言葉の意味も”ひっくり返って”、「たやすく出来る」ことを言うとき
に使われるようになり、今に受継がれているのです。
920 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「回 文」
子どもの頃、友達に「手袋を逆さに読んでみて…」と言われ、ぶたれた記憶がある。
報道ネタのネタは…「種」、ドヤ街のドヤは…「宿」、ダフ屋のダブは…「札」、ショバ代のショバは…「場所」など、本来の意味を逆さに読ませる「さかさことば」が沢山ある。
何気なく使っている「さかさことば」…警察の家宅捜査を「ガサ入れ」と言うが、ガサは”探す”のサガを逆さ読みしたものです。また、タバコを「モク」と言うのは、煙がモクモク出る意味ではなく、「雲」を逆さに読んだものです。
ことば遊びに、上から読んでも下から読んでも同じ文になる、「回文」がある。先月、落語の大御所談志が死んだが、左右どちらから読んでも「だんしがしんだ」になる。
『竹屋が焼けた』 『ダンスが済んだ』 『わたし負けましたわ』 『確かに貸した』 『塀のあるあの家』 『新聞紙』など、面白い回文が沢山あります。
食べ物にからんだものでは、『今夜チャンコ』 『夜 ニンジン煮るよ』 『八百屋』 『いわし味わい』 『長崎屋の焼き魚』などがあります。
興味を持ったのは、粟津付近の旧国道八号線を仕事で通っていた時、ふと目に入ったモーテルの野立て看板「AKASAKA」…左右、どちらから読んでも「アカサカ」になる。
江戸時代、よい初夢を見たいと、枕の下に宝船の絵を入れる習慣があった。その絵に、桃山時代に詠まれた、回文の歌が書かれていた。
『長き夜の 十の眠りのみな目覚め 波乗り船の 音の良きかな』
『池の名は しらずめずらし 花の景』 『遠の音は のどかな門の 羽根の音』 『長きかな 春日の昼は 長きかな』
何れも昔の回文は、上品で静かで奥深かかった。
平安後期の詠に、『むら草に 草の名はもし 備はらば なぞしも花の 咲くに咲くらむ』があり、江戸初期の狂歌には、『むら芝で 見つつ摘み草 名は知らじ 花咲く見つつ摘みて走らむ』という名歌がある。
江戸回文では、『長き日に 子猫と子猫ニ匹かな』 『飯にお煮〆(しめ)』 『ご意見がしみてしてみし寒稽古』 『かたきが来たか』など、庶民に親しまれた回文が沢山作られた。
さて、「子子の子の子子子、子子の子の子子子」を、どう読みますか?
ことば遊びのネタに、よく使わせてもらった。
答は「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」…鎌倉時代の作品です。