« 県民性(5) | メイン | 県民性(6) 「うどんとソバ」 »

般若心経 「波羅蜜多」

■「彼岸」に渡るには・・

 

法然上人は浄土宗の開祖です。父親は美作国(岡山県)の

押領使でしたが、法然9歳の時夜討に殺されてしまった。

死の間際、「決して父の仇を討とうとするな」と遺言した。

 

法然はこの遺言を守り、出家した。

当時、仇討は立派な行為だった。しかし、それで問題は

解決しません。子が父の仇を討って、目的を達すれば、

相手の子はまた、父の仇を討とうとするでしょう。

 

印度の「ダンマパダ」という仏教経典には、「この世において、

怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みのやむこと

がない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である」と

説いている。これが般若心経の教えです。


                                     ひろさちやの般若心経・第九講

 

 

917 【心と体の健康】

~般若心経~ 「波羅蜜多」

 

「般若心経」…正しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」…その中にある「波羅蜜多」を訳すと「彼岸に渡る」の意味になる。

大きな川があります。川のこちら側が”此岸(しがん)”で、私たち凡夫の住む煩悩の世界です。


川の向こうは”彼岸”で、悟りの世界であり、仏の世界です。

私たちは何れ、此岸から彼岸に渡らなければなりません。

どうしたら「到彼岸」できるか…を教えるのが仏教であり、般若心経なのです。                    (ひろさちやの般若心経・第9講)

 

人間は”貪(むさぼ)る欲”、煩悩に惑わされる。それでは幸せになれないので、仏教では「布施をしなさい」と教える。

布施とは”与える”こと…与えると”徳”になり、貰うと”得”になる。

”徳”とは、人のために一切の見返りを求めず尽くすこと…

そうするといずれ形を変えて自分に返ってくる。

”得”は、思わぬ儲けがあったとき「得をした」と言うように、

一時的なもので、その幸せは長く続きません。


”本当の徳”というのは、「日々の積み重ね」である…凡事徹底の積み重ねが人生を変えていく。

”徳”を積むか、”得”を積むかで、まったく違った人生になる。

”徳”という字は、「人が行う十四の心」と書く。
十四とは、八正道の八と、六波羅蜜の六を合わせた数字である。

●八正道とは…

正見(正しく見る)、正思(正しい考え)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい願い)、正定(迷いのない境地)をいい、人格を完成するために実践する正しい道をいう。

●六波羅蜜とは…

布施(ほどこす)、持戒(つつしむ)、忍辱(しのぶ)、精進(はげむ)、禅定(静める)、智慧(学ぶ)をいい、菩薩さまが実践すべき徳目をいいます。

                                                                    坂爪捷兵「和尚が書いたいい話」

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1557

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「県民性(5)」です。

次の投稿は「県民性(6) 「うどんとソバ」」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36