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2011年09月 アーカイブ

2011年09月02日

幸せのモノサシ

■一週間で最も心地よい時間は
 
シチズン時計の調査で、全国2千組の夫婦に
「一週間で最も心地よい時間は?」と尋ねたところ…
夫は「土曜日の午後九時」、妻は「月曜の午前10時」 という回答が
一番多かった。                     
夫は、翌日ゆっくりくつろげる週末…
甚平を着て、ビールーを飲みながら、 テレビに見入っている時…
妻は、夫を会社に送り出した、休み明けが心地良い…
 
夫が定年になって、毎日家でのんびりブラブラ…
最初のころは「長い間お疲れさま」と、朝・昼・晩かいがいしく食事の
世話をしたが、近頃は夫が家に居るとどこへも行けず、うっとうしい。
 
一昨年四月の離婚件数が、前年同月を6.1%上回り(石川県
は10.6%増)、「今後増え続けるだろう」 と専門家は予測する。
離婚後に、夫の厚生年金を夫婦で分け合う「年金分割制度」が
スタートして、丸三年になる。
新制度が妻の離婚を後押しして、離婚率を押し上げている
 
 
895 【心と体の健康】
~幸せな人生~ 「幸せのモノサシ」
 
NHKのテレビドラマの話題作、向田邦子原作の「胡桃の部屋・六回」 が終了した。
家族の大黒柱である父がリストラに遭い…そこから家族が崩壊… そして再建していく様を描いている。
見ている私や妻、家族にとって「幸せとは何か?」… 回を追うごとに、考えさせられるドラマでした。
 
国の豊かさを数値で表すものに「GDP」があります。
GDPが測る経済的、物質的豊かさからは、個々の”心の豊かさ” を捕らえることは出来ません。
多くの国が幸せを測るモノサシにした、経済指標GDPが、 必ずしも人々の幸せの実感とは一致しない、という事実がある。
 
私たちにとって「幸せとは?」…GDPに代わる新しい「幸せの指標づくり」を、 世界各国が模索し始めている。
 
■「そもそも人は何に幸せを感じるのか?」
自分の能力を発揮して…お金を稼いだときか…健康か…自由な時間か… 人それぞれの価値観によって、 大きく異なる幸せ。
 
フランスでは、余暇や治安など、安心して暮らせる「生活の質」が幸せの指標になる。
公害など環境問題に苦しむタイでは、「身の回りに緑の多いこと」 が指標になる。
GDP世界161位の最貧国ブータンでは、「物は何にも欲しくない。 家族みんな健康で、 食べていければ十分」と言う。 
伝統文化に触れながら、素朴に暮らしていければ、 幸せなのです。
先進諸国とは異なる価値で、幸せを捕らまえるブータンでは、国民一人ひとりの幸福度を、文化や自然環境で量る「GNH・ 国民総幸福量」という、独自の指標を掲げている。
 
■日本人にとって”幸せ”とは何か?
東日本大震災は、人々に人生における”幸せ”の意義を、問い直すきっかけになった。
家族や友人との結びつきが大切なことに気づき、 今の普通に当たり前の生活がいかに幸せか…今に感謝する心が芽生えてきている。
家族や友人など、ごく身近な人との結びつきが、 日本人の幸せの根本になりつつあのです。
欧米では、個人がどのくらい物や評価を獲得したか、自己実現したか… に重きが置かれるのに対し、日本人は、身近な人に支えられていることに安心と親しみを、 幸せを感じるのです。
 
(1)困ったときに、助けてくれる人がいますか?
  年老いて、一人で生きていけなくなったとき、傍らで看病し、
  支えてくれる人がいますか?
(2)人間として、社会から認められている実感がありますか?  
  自分は、誰かのために役立っていると、感じていますか?
 
                     NHK・クローズアップ現代 「幸せのモノサシ」

2011年09月06日

西欧人の名前の由来

■一字の苗字
 
韓国にはぺ・ヨンジュンとか、イ・ビョンホンなど、一字性がほとんど。
そこで電話帳を繰って、 金沢市にどれだけ一字の苗字があるか、
探してみた…そうしたらあった!
 
[まず、屋号から…]
あいうえお順に繰っていったら、のっけから「(あ) 」という一字の
お店が三軒も出てきた…鍵屋さん、ペットホテル、 そしてラウンジ。
ちなみに、「 (えー)」という婦人服店も一軒あった。
 
繰っていったら、「」という名で、スナック、喫茶、美容院の3軒、
」と「リー」いずれも、 スナックが1軒づつ…期待したほど件数は
なかった。
 
[次に、個人名を繰ったら…]
能(のう)さんとか、高(こう)さんではなく、 単純一字の苗字を探した。
(い)さん、(さ) さん、(ち)さんが一名、(り) さんが二名、
(せ)さんと、(た)さんが、それぞれ3名載っていた。
 
 
896  【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~ことば遊び~ 「西欧人の名前の由来」
 
アラブ人には苗字がない。日本人も欧州人も、昔は貴族を除いて”苗字”がなかった。 庶民の間に苗字が広まったのは、12~13世紀にかけて。
ロシアでは15世紀、スエーデンやノルウェーに至っては、 19世紀になってからである。
 
貴族や領主たちは、国王や高貴な聖職者から下された、 偉そうな苗字を使っていた。
日本でも、臣下が領主の名前の一字を頂いて忠義を誓う…
といったことがよ行われた
 
羽柴筑前守秀吉の場合…浅井攻めの軍功で、 北近江十二万石の城持ち大名り立てられた。
出過ぎたクイは打たれる…古参の家臣の妬みを恐れた秀吉は、田勝家、丹羽長からそれぞれ一字をいただいて、 我が苗字とした。
 
洋の東西を問わず、庶民が名字を考える時は、偉そうな名前を真似たりすると、 にらまれるので、 自らの身分・職業にふさわしい名前を用いた。
 
白髪が特徴の人はホワイトさん、赤毛の人はリード(レッドの古語)など、 自らの身体の特徴を名前にして、人に呼ばせた。
十九世紀のアメリカの詩人ロング・フェロー(ヘンリー)は、
「のっぽ」という意味…彼の先祖は、 背が高かったのだろう。
ブラウン(色黒の顔をした人)のように、あだ名に由来する姓も よく見られる。
 
14世紀初頭…庶民の多くは、100名からなる共同体の中で生活していた。 ウイリアムさんが20人、ジョンさんが15人、ロベルトが10人、リチャードが10人と、 同じ名前の人が多かった。
一人ひとり区別するために、あだ名を付けて呼び合ったのです。
 
職業を名前にしたケースでは、スミス(鍛冶屋)、ミラー(粉屋)などがある… 39代大統領カーターは「大工」である。
暗殺されたケネディの後、大統領に昇格したジョンソンは、
「ジョンの息子」という意味になり、 父親の名前に由来した姓も多く見られる。
 
地名・住まいの方角などに由来する名前では、
ヒルトン(hill+ton/丘の囲い地の住人)がそう。
ブッシュ前大統領は、先祖が大きな藪の近くに住んでいたのだろう…
ヒル(岡)やウエルズ(泉)…日本同様、 住んだ土地から付けた名前が多い。
歴代大統領で庶民的な名前が多いのは、 民主主義国アメリカだからだろう
 
西欧では、聖書に由来した名前が多い…聖母「マリア」、「マイケル(天使の一人)」、 「ジョナサン(ダブィデの友人の名)」 「ディブィッド (イスラエルの王様の名)」などがある。
使徒パウロは英語で「ポール」、天使ミカエルは英語で「ミッチェル」「マイケル」になる。

2011年09月09日

荘子/物を見る目

■くさいものに蓋      「理念と経営/江戸いろは歌留多」
 
「くさいものに蓋をせよ」
お役人の不正も、弱い者いじめも、見て見ぬふりをするがよろしい。
義憤を感じて、正義感から正そうと立ち上がっても、袋たたきの目に
逢うだけ…
不正・腐敗のやからを「くさいもの」にたとえて、陰で軽蔑する。
江戸庶民の心意気は、こうした言葉から伝わってくる。
 
「臭いものに蝿がたかる」
一方、上方は上品で教養があり、建て前ふう…
モノが腐ると蝿がたかる…悪者も類は類をよんで集まってくる。
日創研の田舞代表がよく口にした、「うんこに金蝿」がそう…
 
上方の庶民は、「悪」を見て見ぬふりして涼しい顔…
江戸庶民は、見て見ぬ振りは出来ないし、許せない。
が、”悪”を根本から断ち切ろうにも、出来ないから、方便として
蓋をして、臭いを断とうとする。
                    
 
897 【心と体の健康情報】 
~古典に学ぶ~ 「荘子/物を見る目」
 
ブログ891号では、荘子の「人を見る目」を学んだ。
今回は、荘子の「物を見る目」です。荘子の 「物を見るときの基本的な態度」を、彼の著書に見ることができます。
 
ある人が荘子に相談した。
「私のところに大木があります。その幹はコブだらけで柱に使えず、 その小枝は曲がりくねっていて、造作の役にたちません。
それで、大工は振り向きもしません。まるで、 先生の大ぼらのように、誰も相手にしないのです」
 
荘子は答えた。
「あなたは、野猫やイタチを見たことがないのですか? 
器用で狩りに長け、姿勢を低くして隠れ、 気づかずに近づいてくる獲物に狙いをつけて、 あちこちで獲物をせしめている。
しかし、自分の敏捷性を過信して、ピョンピョン動き回っているうちに、罠にかかってしまうのです」
 
「また、大き過ぎると無用の長物になり、鼠一匹捕らえることができません。
今、あなたのところに大木があって、用いることができずに悩んでおられますが、 その木を広々とした野原に植え替えてごらんなさい。
そこで気ままに休息し、 日陰でのびやかに腹ばいになって眠ることができます。 その大木の幹は太いので、マサカリや斧で断ち切られることもなく、 何者も害をえることができません」
 
「そんなに有用な大木をお持ちになっているのなら、 それを利用して人生を面白くすることができるじゃありませんか」
無用の長物に思われていても、必ず有用な使い方があるのです。物を利用するには、それなりの”工夫” ことを、 説いているのです。
 
象は、力の強さでは誰にも負けないが、 マラソンランナーにはなれない。兎は、足の速さでは誰にも負けないが、 力仕事 はダメです」…人材を育てるときに、口ずさむ言葉です。
 
また小才に長けて話がうまく、 営業で立ち回わるのがうまい社内の人気者っても、 相手を罠にかけたり、罠にはめられたりして、失敗することが多いので、用心しなければならない…荘子の言葉です。
 
部下の中には、使いにくい社員もいれば、 のんびりしていて動作の鈍い社員もいる。
そうした社員を、ダメ社員の烙印を押すことなく、長所を見つけて、 生かしていくことです。 そうすることで 大いに役立つ社員が増え、 社内が活性化するのです
人や物を見る時の基本的心構えを、荘子は教えているのです。
        
                            「理念と経営3月号・荘子に学ぶ」

2011年09月13日

世界の囲碁界、中韓2強時代へ

■囲碁世界戦・優勝の歴史
 
          (世界戦回数)         (優勝回数)
●1988~94    18      日本11、韓国7、 中国0    
  日本黄金時代
●1995~05    56      韓国40、日本 9、中国7
  韓国1強時代
●2006~11    34      中国18、韓国15、日本0
  中・韓2強時代
 
 
898 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「世界の囲碁界、中韓2強時代へ」
 
今朝の読売朝刊…「なでしこ・五輪予選一位通過」と、大きな見出しで、スポーツ覧の半分を占めていた。
一週間前の読売朝刊…「若手育成遅れ、落日の日本」と、大きな見出しの記事があった… 囲碁界の日本の現状を憂えた記事である。
十年前の日本は、世界棋戦における優勝勝率6割と、世界一の囲碁強国だった。
その後、ライバルの中国と韓国に追い抜かれ、2006年以降現在まで、世界戦(国際棋戦)での優勝は” 0”…ライバルに同情される弱小国になった。
囲碁が趣味の私には、淋しくも悔しい記事である。
 
囲碁世界戦が始まったのは二十数年前。
その歴史は、日・中・韓三国の力関係の軌跡である。
日本が強かったのは、草創期・富士通杯での5連覇だけ。
その後長く韓国1強時代を経て、今は中・韓2強の時代になっている。
いまや70カ国・地域に広がりを見せる囲碁。日本には、古代に中国から伝えられ、 信長が囲碁をたしなんだように、武家社会を中心に普及した。
江戸時代には、家元制度による競争の中で、レベルは飛躍的に向上した。
 
戦後の経済成長期には、呉清源をはじめとする逸材が来日。
中国出身の”林海峰”、韓国の”趙治勲”、台湾の”張 栩”などが活躍。 日本棋院は、世界の囲碁界の中心的役割を果たし、  長く中国を指導し、国際普及にも貢献したが、今は立場が逆転している。
日本のゴルフ界は、石川遼に代表される十代後半の逸材が輩出し、国際舞台でも活躍しているが、囲碁界は、 一昨年史上最年少で”名人位”を獲得した井山裕太(22)一人だけ…後に続く新人が現れない。
 
三カ国で最も勢いのある中国は、国際舞台での二十歳前後の若手棋士の活躍が著しい。
囲碁のプロ制度が出来てわずか二十数年。中国棋院は国の後押しによる「国家チーム」。そのエリート集団に入って競い合い、研鑽を積まなければ、世界戦に出場できない。 多くの棋士は、周辺の道場で猛勉強しながら、国家チーム入りを目指している。
 
韓国は、国際ヒーローの出現により国内ブームに火がつき、子ども達がこぞって囲碁を始めた。
道場で集団生活するのは韓国も同じ。十代後半の逸材が毎年のように輩出する。
一方の日本、棋士が毎日のように集団で学ぶことはなく、プロ予備軍の「院生」の活動も土日限定だ。 子どもたちを鍛える環境整備が遅れている。
                            9/6 読売朝刊
 

2011年09月16日

大乗仏教の教え(5)

■天 寿
来月私は、七十歳の古希を迎える。古希とは、 七十歳まで生きるのは、
「古来、稀(まれ)なり」というところからきている。
 
松下幸之助は、九十四歳で亡くなられたが、常々「百二十歳まで生きたい」
と言っておられた。言いはじめは八十を過ぎてから…
当時の国家主席”鄧小平”の招聘で中国へ行ってからです。
 
幸之助は鄧氏との会食で、「八十を過ぎて、自分は長生きし過ぎたようだ」
と話したところ、鄧氏が「いや、中国には天寿 (天からいただいた寿命)
は百六十歳という言い伝えがあります。八十歳は丁度折り返し点!
まだまだですよ」
幸之助は、これが嬉しかったようで、日本に戻ると、
「自分は百二十歳まで生きる」と言い始めたのです。
 
若い頃から病弱だった幸之助。いつも言っていたのは、
「僕は病気から逃げたことなかったで…病気と仲よく付きあってたんや。
病気を恐れとったらあかん…病気は恐れて逃げとったら、あとから追い
かけてくる。病気と親しくなれば、病気のほうから卒業証書をくれるもんや」
 
                                    「木野親之の経営問答」より
 
 
899 【心と体の健康】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(5)」
 
大乗仏教の基本教理は”空”… 「物を実体視するな。差別するな。よしんば差別をしても、その差別にこだわるな!」 と説く
 
私たちは日頃様々なモノを比較して、そのことに”こだわり”生きている。 ある者は、人より自分は「貧しい」と思い込み、 「不幸だ不幸だ」と嘆いている
般若心経の教えでは、「豊かさ」も「貧しさ」も”空”である。
「自分は貧しい」「自分は豊かだ」と思うのは、 何かと比較して実体視することからくる”こだわり”なのです。
 
「荘子」にも、大乗仏教の言う”空” によく似た教えがあります。
『荘子が山中で、枝や葉が生い茂った大木を見た。弟子のきこりが、 その木の前で足を止めても、伐採を命ずることなく、通り過ぎてしまった。
木こりが理由を尋ねると、「あの大木は、節や曲がった枝が多く、 材木には向かない…脳なしの役立たずだ」と答えた。
 
その夜宿の主人は、鵞(が)鳥を殺してもてなそうとした。
召使が主人に尋ねた。「一羽よく鳴くが、 もう一羽は鳴かない。どちらを殺したものでしょう…」
主人は「鳴かないほうを殺せ」と命じた。
 
次の日、弟子が荘子に尋ねた。
「山中の大木は、能無しの役立たずのお陰で、伐られずに済んだが、 鵞鳥は能無しのために殺されてしまった。先生は、有能無能のどちらがよいとお考えですか」
 
荘子は答えた「わしは有能でもない、無能でもない…その中間だ。しかし世間では、 有能か無能かで悩んでしまい、わずらわしさから抜け出せないでいる。
人間の営みを見てごらん…会えば別れ、完成すれば破壊し、角突き合っては傷つき、 高貴の身分になると害に遭遇し、賢者は謀略にかかり、愚者はだまされる。
無能な大木…鳴かない鵞鳥と…違ったものを比較しようとするのが、そもそも間違いなのだ』
 
イエス・キリストは、弟子たちが「誰が偉いのか?」と言い合っていたとき、 黙ってペトロ足を洗い始めた。
そうしたイエスの行為…人の足を洗うのは、 当時は身分の卑しい奴隷仕事でした。あえて自分を、弟子よりも下の愚人になって、偉いの・ 偉くないのと、優劣をつけようとする弟子たちの愚かさを、身をもって示したです。
                              「理念と経営8月号/荘子に学ぶ」
 

2011年09月20日

立山山岳信仰

■立山高原散策
先週、晴天が続いた…ならばと立山アルペンに出かけ、広大な大自然の
散策を楽しんだ。初日は、標高二千メートル、弥陀ヶ原湿原の木道を散策…
緑のじゅうたんを敷き詰めた高原は、黄色く秋色に色づき始めていた。
 
二日目も雲一つない晴天。室堂から立山山頂がくっきり望めた。
雄大な景観を楽しみながら、ミクリガ池から地獄谷へ下る途中、道をチョコ
チョコ横断する、雷鳥親子に出会った。
 
地獄谷は熱湯がたぎり、至るところ火山ガスが噴出…硫黄の臭いが鼻を付く。
カシヤ地獄から六地蔵、雷鳥沢ヒュッテを回って、山道を登ること2時間。
2400メートルの日本一高所にある「みくりが池温泉」に浸かり、足の疲れを
癒した…いい湯だった。
 
 
 
900 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「立山山岳信仰」
 
越中立山は、富士山、白山と共に日本三霊山として知られる、神の住む山です。
立山は雄大な山岳景観、高山植物、雷鳥、そしてアルペンルート、雪の壁など、毎シーズン登山者がにぎわう。
立山のもう一つの顔は、「地獄極楽」信仰の山としての歴史。
 
立山信仰を知るには、ぜひ立ち寄りたい立山町・芦峅寺(あしくらじ)」…お寺ではない…立山登山口「立山駅」の手前、車で15分の所にある村の名前です。
 
その昔、修験道の山・立山に登ってくる修験者たちが、定住し生活するようになった村落である。村には、修験者たちの宿坊や古寺、博物館があり、登山の折に立ち寄りたい観光スポットです。
 
14日の朝、立山に向う途中、芦峅寺の「立山博物館」を見学した。
山岳信仰の歴史と、立山の異界を図示した立山曼荼羅(まんだら)が主な展示物。
 
仏教が日本に伝来する以前は、死者の霊は山へ登っていくとされた。平安初期には、立山は山岳霊場を巡る、修験者の修行場の一つになっていた。
その山中他界観に、仏教浄土(地獄極楽)が結びついて、立山には恐ろしい”地獄”と理想郷の”浄土”、すべての”異界”が存在する山として信仰されるようになった。
 
その立山信仰の歴史物を集めた立山博物館…中でも、立山曼荼羅の地獄極楽が描かれた巨大屏風は必見です。
屏風に描かれた立山…地獄・極楽が詳細に描かれ、とりわけ強調された地獄の凄惨さは、罪を侵した者をおののかせることだろう。
すべての他界が存在する立山…登拝すれば、罪や汚れは取り除かれ、新しく生まれ変われるのです。
 


 
立山山頂真下に広大な地獄谷がある…火口がぽっかり口を開け、熱泉が煮えたぎり、轟音とともにガスが噴き上げる…山頂近くに登ってきた修験者には、まぎれもなくこの世の地獄に見えたことだろう。
 
当時の人々は、地獄に落ちることを恐れた。それを救わんがため、立山曼荼羅が描かれ、立山登拝が奨励されたのです。
山頂に立って、雲海から昇ってくるご来光を拝めば、そこは極楽浄土…己が罪は清められ、思わず手を合わせ念仏を唱える。
 
”芦峅寺”には、全国ここにしかないという、醜悪な老婆の姿をした異形の神「おんばさま」が崇拝されている。
つい最近まで、霊山・霊場はすべて女人禁制だった…これを侵して入山すれば、神の怒りを受け、石や木にされてしまうと言い伝えられてきた。
 
立山登拝が許されない罪多き女性に、救いの手を差しのべ、女人往生が叶えられる芦峅寺の「おんばさま」…”女人成仏”唯一の霊場として、全国の女性信者が訪れる村なのです。


 

2011年09月27日

大乗仏教の教え(6)

■「色即是空」
人は、物や対象をあれこれイメージして、”色”を付けて見ている。
般若心経では、物は”空”であって、確固不変ではない。
物は人によって違って見えるし、違って見えるから、人によって違った
表現がなされるのです。
ニワトリの鳴き声…私たち日本人は「コケコッコー」と鳴くと誰もが思っている。
実際、そのように聞こえる。
ところが、イギリス人やアメリカ人が聞くと、「コッカドゥドルドゥー」になる。
ドイツ人は「キケリキ」、フランス人は「ココリコ」、インド人には「ククルククー」
と聞こえる。
世界中、ニワトリの泣き声は同じはず。ところが、国によって違って聞こえる
のです。どの国も、ニワトリの鳴き声は一つ…確固不変と思っている。
 
次に”太陽”を例に挙げると、日本人は太陽を描くとき赤く塗ります。
アメリカの子どもは黄色く塗ります。日本の子どもは、アメリカの子どもが
描いた太陽を、月と思ってしまう。アメリカやフランスでは、月の色は”白”
が普通です。
                                    ひろさちやの般若心経「22~23講」
 
 
901 【心と体の健康】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(6)」
 
般若心経の「空」なるものを、更に掘り下げてみることにします。
般若心経の「空」は、人によって見え方が違ってくる。
人は「空」なるものに”認識波”を送って、その跳ね返ってきたものを見ています。
 
認識波には個人差があるのです。
心のやさしい人が発する認識波はやさしいので、モノ事がやさしく見えます。冷たい人の心は、冷たい認識波を発するので、モノ事が冷たく見えます。
 
こちらがびくびくした認識波を送れば、”幽霊”が見えてきます。「幽霊なんていない、見えるはずがない」と言う人がいますが、見えている人には見えているし、見えない人には見えないのです。
 
一人が妄想にとらわれて、幽霊を見たと言えば、周りの人もその妄想にとらわれて、恐れおののく。何もないのに、何人もの人が見たと言えば、見えなくても幽霊存在を信じてしまうのです。
 
アンデルセンの「裸の王様」では、家来や見物する大衆には、「空」なるものが、王様の豪華な礼服に見えるのです…これが般若心経に言う「空不異色」です。みんなが「見える、見える」という…こちらからそういう認識波を送るから、見えてあたりまえなのです。
 
「霊のタタリがある」と信じきっている人は、そういう認識波を送っているから、霊のタタリが見えるのです。霊のタタリから逃れたければ、自分の認識波を変えるしかない…霊そのものを無くそうとしてもダメです。
霊に限らず一切のモノ事は、もともと「空」なのです。
 
ひろさちやの般若心経「第20~21講」



2011年09月30日

日本の強み

■二千年、異国に支配されたチュニジア
 
チュニジアに始まるアラブ独裁政権の崩壊…
日本には馴染みの薄いチュニジア…約6百年続いたカルタゴ
支配は、紀元前2世紀ローマに征服されて、徹底破壊。
以後八百年ローマの支配下に…ローマ衰退後、ビサンチン
帝国、イスラムと支配者が変わり、17世紀にはオスマン
トルコ、そしてフランスの植民地へ…
第二次世界大戦後の1956年独立を勝ち取り、民族運動を
指揮したハビ・ブルギバが初代大統領になった。翌年王制を
廃し共和国に…晩年専横政治に陥り、1987年無血クーデ
ターで失脚。
 
新指導者ベン・アリ大統領は、今春、市民革命で追放される
まで、23年間独裁政権の座にあった
 
二つの政権による原理主義押さえ込みと言論弾圧、親族の
経済利権の独占、失業者の増大、貧富の差の拡大が、
国民の不満をつのらせた。一方、アフリカでは最も治安の
良い豊かな国と 言われた。
チュニジアは地中海のハワイ…海岸沿いに高級ホテルや
ヨット ハーバーが並び、ヨーロッパからのバカンス客で
溢れる。
一昨年、首都チェニスを観光した時、若き日の大統領の
写真が、街のあちこち、ビルの壁面いっぱいに張られていた。

チュニジア紀行(1)~(4)参考
 
 
902 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「日本の強み」
 
迷走していた民主党…野田新政権の発足で、ようやく政治空白から脱しつつある。
なでしこジャパンが、自らの強みを発揮して世界の強豪を次々破り、世界一の栄冠を勝ち取ったように、日本は、日本が持つ自らの強みを生かしていくなら、未来は明るいものになるだろう。
(No827「クールジヤパン・魅力的な日本
」参照)
 
日本は建国以来二千六百年、一度も他国に侵略され支配されたことのない、世界稀な歴史を持つ国です。
独自の伝統・文化を積み上げ、現在に至っている。
そうして積み上げられた伝統・文化を世界に発信し、製品に付加していくエネルギー…これが、これからの日本の強みになるのです。
 
中国や韓国は、日本より遥かに長い歴史と文化を有する…とはいえ、新しい王国が誕生し、皇帝や民族が違う系統に変わるたびに、今まで積み上げられてきた政策や文化は、全て否定され、新たな文化を構築してきた…
両国の歴史は、その繰り返しだったのです。ブログ743号
 
対する日本は、万世一系・代々皇室をいただき、時代が変わり、時々の政権が代わっても、文化は変わることなく継承され、積み上げられてきた。
万葉集や古き時代の言語が、現代の日本に引き継がれ、愛されている…このような文化遺産を有する日本は、いかなる国も真似られない、日本独自の強みになっているのです。
 
支配者が入れ替わるたびに、新しい宗教・文化・言語が持ち込まれ、破壊と融合を繰り返してきチュニジア。
第二次世界大戦後にようやく、民族の自立と独立を勝ち取った。
世界の多くの国々はそうした歴史をたどって、現在の国家を築き上げられたことを、知らねばならない。
 
谷崎利男著「日本人の誇り」より

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