■勝海舟の先祖は、「武士の株」を買って武士になった
江戸も中期になると、生活に困った武士が、職業上の特権”侍の株”を
売って武士をやめ、金持ちの町人・農民が、その株を買って、武士に
なるケースが珍しくなくなった。
身分が金銭で売買され、士農工商が徐々に崩れ始めたのです。
江戸城無血開城で歴史に名を残す”勝海舟”。曽祖父は、越後の貧農の
生まれだった。年少の頃失明して、按摩となって江戸に出て、努力して
盲人の最高位”検校”になった。
高利貸をして貯めた金で、旗本”男谷”家の名跡を買い、長男に
”男谷平三”と名乗らせた。
払った金は三万両というから、途方もない大金である。
平三の三男”小吉”も、三河以来の直参”勝”家の株を買い、養子に
なった。その子が”勝海舟”である。
五稜郭で奮戦した海軍副総裁”榎本武揚”の父も農家。
広島から江戸に出て、千両で”榎本”家の株を買って、武士になった。
ほうじん「江戸の台所事情」より
886 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~故事から学ぶ~
「干ばつをしのいだ男の知恵」
平安時代の「今昔物語集」から…
古今、庶民の暮しにおいて、”飢饉”ほど忌まわしく辛いものはない。
干ばつは天変地変…いかんともしがたく、どうにもならない…
天を仰いで神頼みをするのみ。
ところが、干ばつに見舞われたというのに、
平然と稲作を営む男がいた。
その男の名は”
高陽(かやのみこ)親王”。
親王は自ら建てた寺の領地に、
田を所有していた。
干ばつになり、彼の田も水不足に陥った。
しかし親王は、類い希なる”知恵と技能”
でもって、
この難局をくぐり抜けることができたのです。
高陽親王は、木工細工の名手として知られていた。彼は思案の末、その技能を生かし、
人形をつくって田の中に立てた。
その人形は、童が器を持った姿で立っている。
その器に水を入れると、人形はまるで生きているかのように手を動かし、器に入った水を自らの顔にかけた。
この人形は、当時の人には珍しい「カラクリ人形」だったのです。
娯楽のなかった時代…近隣の人は、その人形の動作を面白がり、
各々水を持って、高陽親王の田に集まってきて、
次々と人形の持つ器に水を入れる。
人形は、その水を自分の顔にかけた。
顔にかかった水は人形の体を伝い、田に流れ込んだ。
来る日も来る日も人は列をなし、人形の持つ器に水を注いだ。
そのたびに、水は親王の田に流れ、干ばつにもかかわらず、彼の田は水で潤った。干ばつで水が乏しくても、人は匠の技を見たがり、人形の仕草を面白がって、貴重な水を親王の田に持参し、人形に注いだのです。
この姿を現代に置き換えたとき、似たようなケースがあった。
世の中が不況の真っ只中の2001年…誰もが財布の紐を固くしていたとき、
その年オープンしたばかりのディズニーシーには、
連日押すな押すなの長蛇の列。
人々は、新しいデズニーのテーマパークに楽しみを求めて、
アミューズメントに惜しげもなくお金を使ったのです。
「世の中が不況だから、モノが売れない」…そう思ってあきらめるのは、
干ばつだから仕方がないとあきらめ、
何の工夫もしないのと同じことになります。