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竹中半兵衛の苦言

■親の教え                              「ファイティング原田」
                                   
子供の頃、父がよく私に言って聞かせたことがある。
「男が世に出るのに、三つの方法がある」と…
 
一つは  「勉強して 学者になるか…」
二つは  「ゼニ儲けをして 金持ちになるか…」
三つは  「一つのことに一生かけて 栄光をつかむか…」だ
 
更に付け加えて、「男だったら 人前で涙を流すな!」
 
      
882 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~故事から学ぶ~ 「竹中半兵衛の苦言」
 
人はみな合戦のことを問ふに、
 その問ふべき要領は問わず、
 問はですむべきことを多く尋ぬる故、
 重ねての功にならざるなり。
 答ふる者もまた然り。
 されば良話も用に立たざること甚だ多し』  
 
「合戦の結果についてよく議論しているが、 肝心な要点についてはなにも質問しないで、どうでもいいことばかり聞いてくる。
こんなことを繰り返しても、なにも得られない…」
 
これは答えるほうにも責任がある。愚問をまともに取り上げて、相手にするからだ。だから、せっかくいいテーマを取り上げても、 なにも残らない愚問愚答に終わってしまうのだ。 
国会での討論や、我が社の会議にも思い当たる節がある
 
竹中半兵衛は歴史に残る名軍師です。初めは美濃の斉藤道三の孫”龍興” に仕えた。しかし龍興は愚将… 半兵衛はしばしば諫言するが、半兵衛の容姿が女性的だためか、龍興は諫言を聞こうとせず、逆に寵臣と共にからかったりした。
 
半兵衛は、一計を案じて単身クーデターを起こし、”城” 乗っ取りに成功…その後直ぐ、城主に城を返している。
これを知った信長…木下藤吉郎に「半兵衛を信長の家来にするように…」と命じた。
交渉に応じた半兵衛…「わしは信長が嫌いゆえ、 家来にはならぬ…秀吉殿に期待はするが、 すぐには秀吉の天下にならないだろう…秀吉殿の家来として、当面は信長殿を補佐することにしよう」と言って、受諾した。
 
さすが名軍師は違う…
ちゃんと先を見て、ものを言っている(先見性)
一方、現実もきちんと把握して、交渉に応じている (判断力)
今、何をなすべきかを心得ている(決断力・実行力)
 
半兵衛が、名軍師と言われるようになったのは、秀吉の作戦参謀になってからである。
信長にはさほ貢献していない。信長時代は「秀吉のためのエネルギーを充電る期間」として利した…これも巧妙な処世術である。
 
ところで、冒頭の斉藤家における逸話は、愚将”龍興”の機嫌をとるために、 重臣たちは合戦の結果が思わしくなくても、互いに”痛いところ”を突くような議論を避けたのです。
結果、痛くも痒くもない話題ばかりする… それが聡明な半兵衛には、我慢できなかったのです。
                             童門冬二「戦陣たちの名言録」

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