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「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」
(しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき)
「色は空(くう)に異ならず 空は色に異ならず 色は即ちこれ空なり
空は即ちこれ色なり」
「色」とは…壊れることを前提にこの世に存在し、起こるべきすべての
物質的現象をいう。
「空」とは…見るもの、感じるもの、想うもの、
更には知ったり判断したり
するすべてのものには、実体がない…それを”空”
という。
「実体」とは、永遠に変わらない本質的・根源的なもを言い、すべての
存在には実体がなく、実体がないのが、すべての存在の本質になる。
つまり、世の中に存在するすべてのものは変化していく。
変わらないものはないのだから、ものごとを”こだわり”をもって見ては
ならない…般若心経の教え、基本理念です。
喜びも悲しみも苦しみもすべて、一人ひとり受け止め方も、感じ方も
違う…モノサシなどなく、実体がない。たえず変わっていくものだから、
そのことに捕らわれずに、生きていくことです。
885 【心と体の健康】
般若心経第7節に、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」がある。
アンデルセンの童話「裸の王様」は、般若心経の”空”
を理解するのにピッタリの物語です。
とりわけ「空不異色」の意味をうまく説明している。
王様の豪華な服が”見える”…とみんなが言えば、服が見えるような”
幻覚”に陥ります。
この童話でアンデルセンは「誰も見えなかった」
と言っているが、仏教の教え般若心経では…その服を”空”
ととらまえ…ありありと見えるのです。
『おしゃれをすることが大好きな王様の元に、
二人の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来た。
詐欺師「王様…私共は馬鹿や身分の低い者には見えない、不思議な布地を織ることができます」…
王様は大喜びで注文した。
機を織っている出来栄えを見に行ったところ、目の前にあるはずの布地が、
王様には見えない…
王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当のことは言えず、見えもしない布地を褒めちぎった。
家来もまた、自分には見えないものの、そうとは言い出せず…褒めちぎった。
王様は、見えない衣装を身にまとい、パレードに臨んで、国民に手を振った。
見物人もまた、馬鹿と言われたくないので、王様の衣装を誉めそやした。
と…見物していた子どもが、「王様は裸だよ!」と叫んだ。
すると、次々と「王様は裸だ」との声が聞こえてくる。
「馬鹿や身分の低い者には、見えるはずがない」
と信じきっている王様…パレードを続けた』
「あの人は、まるで”裸の王様”だ…」と言うことがある。
少し前になるが、過去の事例では、芸能界では暴言事件の”島田真助”、
著作権詐欺事件の”小室哲也”などが思い起こされる…
北海道・ミートホープ牛肉偽装事件…同社の常務が、社長の詐欺まがいの行為に堪りかねて、かん言したが改めず、思い余って保健所や役所に内部告発した…
が、取り合ってもらえない。新聞社に持ち込んでようやくニュースになり、
世間に知られるようになった。
ミートホープ社を知る管轄の役所も、従業員も、みんな裸の王様になっていた。
一代で成功した経営者にありがちな「ワンマン、傲慢」…
彼らにはそれなりの自信と自負、思い込みがあって、
「自分は優れている」「自分が今やっていることは正しい」と信じて疑わない。
誰にも弱点はある…イエスマンに囲まれ、
弱点を指摘する部下がいないと…暴走して、世間を騒がせる事件に発展してしまう。苦労して手に入れた、地位や名誉、
財産がガラガラ崩れていく…”裸の王様”
である。
どうにもならなくなってから、涙を流し、反省しても手遅れ…
周りからヨイショされ、”裸の王様”
になっていることに、早く気づかなければならない。
ひろさちやの般若心経「第21講」