■戦前の「小学校修身教科書」から…「克己(こくき)」
高崎正風は、薩摩の武士の家に生まれた。九歳の頃、或朝、食事の時に
「御菜(おかず)がまずい」と言って、食べませんでした。
召使は、何か他に御菜をこしらえようとしますと、隣の間に居た母が来て…
「お前は武士の子でありながら、食べ物にわがままをいいますか…
昔、いくさの時には、
殿様さえ召し上がりものがなかったこともあるという
ではありませんか…どんなに苦しくても我慢をしなければ、よい武士には
なれません…この御菜がまずければ、食べないがよろしい」
と言って、正風の膳を持ち去りました。正風は母の言葉をひどいと思い
ましたが、遂に自分の我がままであったことに気づいて、何度も母に詫び、
姉もまた侘びてくれましたので、許されました。
以後食事について、決して我がままを言うまいと誓いました。
それからの正風は、この誓いを守るばかりでなく、どんな難儀なことでも
よく我慢したので、後にはりっぱな人になりました。
※「てんびんの詩」の少年と母親、姉の姿が浮かんでくる…
何でもかんでも、戦前の教育は悪いと否定せず、
このような道徳・
倫理教育は大いに強化すべきでしょう。
865 【心と体の健康情報】
~子育て~
「自由に、伸び伸びと、個性豊かに…」
米国在住25年、松尾 和先生の講演から…
子育てを一生懸命する中で親が育ちます。どんな親になるかは、
子供が育つことよりはるかに重要なのです…
戦後教育で、子供は自由に、伸び伸びと、
個性豊かに育てるのが良いとされてきました。この米国から入ってきた「自己中心的思想」が、
日本を駄目にしているのです。秩序ある社会の中で暮らしていくには、「自由に伸び伸びと…」
というわけにはいきません。
毎年繰り返される、成人式での騒動がそう…
「自由がいい」
ということは、
「不自由がいけない」
ということになります。
不自由が良くないのであれば、結婚も不自由、
子育ても不自由ということになる。
不自由は嫌だからと離婚し、子育てを放棄してしまう。
会社勤めは、個人の自由を束縛するから、
フリーターのような生き方を選択する。
何不自由なく育ってきた若者たちに、「不自由の中に本当の幸せがある」
ことを、
どうすればわかってもらえるでしょうか?
子育ては大変です…手のかかる子育ての中から、学ぶことが沢山あるのです…
学校教育システムなどというものは、人類の歴史において、
つい最近作られたものです。人類が良かれと思って作った制度やモノも、普及すると、
とんでもない害を及ぼしてしまうものが、幾つもあります。
自動車は大気を汚し、農薬は生命を脅かします。
その一つに義務教育があります。
その教育システムが、家庭の崩壊を招いているのです。
教育の場での「自由に、伸び伸びと、個性豊かに」…
がいけないのです。
”戦前の教育”が日本を滅ぼしたように、”戦後の教育”もまた、今の日本を、危機に陥れているのです。
伸び伸びは「明るくて、積極的で、元気な子」
ということですが、これを”教育者”が言うから善くないのです。
この言葉は「自由」と一緒に米国から、日本の教育界に入ってきた言葉です。
「競争社会に向いた子供が評価される」…そうした米国の自由思想が、日本に持ち込まれ、
自分さえ良ければいいという「個人思想」をあおるのです。
「優しくて、消極的で、弱々しい」性格の子供はどうなるのでしょう?
そんな子供は評価されず、誰からも目をかけてもらえず、いじめられる教育環境なのです。
歴史に残る偉業を成し遂げた人も、子供時代は、性格が暗かったり、病弱だったりして、
目立たなかったのです。
ベートーベンは暗くて嫌な性格でした。松下幸之助は病弱で、宮沢賢治は「伸び伸びと」
のイメージには、ほど遠い性格でした。
演歌歌手の都はるみや伍代夏子も、子供の頃は人前に出ることが大の苦手でした。
「伸び伸びとした子が…良い子」だとする、偏った考え方になってしまうのが、教育の怖いところです。
競争社会には向かない性格の子供であっても、その子が持つ才能を見出し、開花させていく…それが
「子供を育てる」ということではないでしょうか。