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儒学者・佐藤一斎

■佐藤一斎「言志四録」名
 
「少なくして学べば 則ち壮にして為すこと有り 
   壮にして学べば  則ち老いて衰えず 
     老いて学べば 則ち死して朽ちず  」
 
「春風を以って人に接し 秋霜を以って自らつつしむ 」
 (他人には優しくし、自分には厳しくする)
 
「一燈をささげて暗夜を行く 暗夜をうれうることなかれ 只一燈を頼め」
 
「太上は天を師とし 其の次は人を師とし 其の次は経を師とす 」
 
「怠惰の冬日はなんぞ  その長きや 
 勉強の夏日はなんぞ  その短きや 
     長短は我に在りて 日に在らず   」
(一生が長いか短いかは、己の心掛け次第だ)
 
 
862 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 「儒学者・佐藤一斎」
 
佐藤一斎(1772~1859)は江戸末期、美濃国 (岐阜県)岩村の藩主・松平家儒学者です 江戸で大学頭の職にった” 林家”に、 藩主の息子が養子入りし、名前改め”述斎”と称した。
 
林述斎はなかなかの政治家で、老中”松平定信”に働きかけて、 林家の私塾「昌平坂学問所」を、幕府公認の大学に取り立ててもらった。 忙しくなった述斎は、で子どもの頃学友だった”佐藤一斎”に学問 所を任せ、指導を頼んだ。
 
一斎はその学問所で、三千人もの多士済々の門弟を育てた。
学問所からは、山田方谷や佐久山、 渡辺崋山などの偉人を輩出している。
 
一斎、42歳から11年間、「言志録264条」を書き記し、
57歳から10年の歳月をかけて「言志後録255条」を書いた。
更に、67歳から78歳までの12年間に 「言志晩録292条」を、 そして4冊目の「言志耋(てつ)録」は、 80歳の時に起稿し、2年間で340条を書き上げている。
 
当時から見て、平均寿命が3倍近く伸びた今日でも、60歳を過ぎれば、 第一線から退くのが普通なのに、88歳で没するまで、知力や気力が衰えることなく、 学問主宰した… すごい学者がいたものです。
 
この「言志四録」、一斎の学問の修養・工夫からにじみでた”随想録” で、人間としどうあるべきか、 どう生きるべきかを指南した”人生の書”として、 時代を超えて、 多くの人に読み継がれてきた。
 
西郷隆盛は、 一斎が著した4冊「言志四録101条」 を座右の銘にし、大塩平八郎も、 自らの行動の指針にした。
一斎の教えは、幕末から維新にかけて、日本をつくった指導者たちに、 大きな影与えたのです。
また、松平家の依頼を受けて、一斎が書いた 「重職心得箇条」、(今でいう「管理職心得」)には、
多忙とは 怠け者の遁辞(とんじ) である。
今日すべきことを今日しなかったら、 明日は必ず多忙である
という耳痛い一節がある。
 
                           「生涯学習研究事典」 「童門冬二/歴史に学ぶ知恵」

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