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2011年05月 アーカイブ

2011年05月06日

禅僧・関 大徹 「おいしくいただく」

■日本人の食生活
 
「ユッケ」0111中毒事件…販売店・卸元だけでなく、厚生省も責任を問われ
る事件に発展している。日本人が馬刺しやユッケを好んで食すようになった
のは二十数年前から…ここに来てようやく、生肉の怖さを知ったのです。
 
日本人の食文化で「肉」は、 七世紀に天武天皇が肉食禁止令を出して以来、
つい最近の四十数年前まで、一千三百余年の長き渡って、 庶民の食卓に
乗る一般的食べものではなかった。
 
その間の穀物主体の食生活が、日本人の腸の長さを、北欧人の倍の長さ
(14メートル)…ずん胴・短足の体形にしていったのです。
江戸時代は、 薬として鹿や猪を食べることもあったが、 明治になって文明
開化が進み、 牛鍋が庶民の間で流行るようになった。
昔から肉を常食しているお隣の韓国…肉料理の種類は豊富で美味しい。
 
農水省によれば、1960年代の一人当たりの肉の消費量は、年間5キログ
ラムだったが、その後の食生活の洋風化により、40年後の2002年には、
28キログラムと”5倍以上”になった。
 
 
861 【心と体の健康情報】
 
~禅僧・関 大徹~「おいしくいただく」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅僧の日課、お勤めの後は作務と、まったく休む間もない。
そのわずかな休憩時間も、地べたに寝そべったり、無駄口を叩いたりする者はいない。樹の根っこや石の上に腰をおろし、 端然と坐っている。
 
体の動かぬときは心の動くときである…貴重な時間を一時も無駄にしない。
作務は「動中静の工夫」であり、休憩は「静中動の工夫」 である。
そして毎夜、開枕(就寝)の時間になると「夜坐(夜中の座禅)」に出る。
 
そうした中でいただく三度の食事は、この上なくありがたかった。
麦八分の粥もご飯も、塩辛い味噌汁も、三百六十五日同じ献立でありながら、その都度新鮮でおいしかった…飯がうまいとは、 このことなのである。
おいしい料理とは、材料や調味料や料理人の小手先にあるのではなく、いただく側の受け止め方しだいなのです。
 
禅には「一日為さざれば、一日食わず」という言葉がある。
それをどうであろうか、「一日為してこそ、食うものが食える」と読み変えてはどうか。
大根も人参も、折角いただくからには、せいいっぱいおいしくいただいてやるのが、人間としての勤めであろう。
 
ところで今の日本の食生活は、贅沢極まりない。しかしながら、米や小麦・大豆など、 日本の食卓に乗る食品の自給率は40%にも満たない。
将来世界の人口が増えたとき、穀物や肉・野菜など、今と変わらぬ輸入が可能だろうか?  
諸外国が自国の消費で手いっぱいになり、日本に輸出する余力がなくなったら、 日本はどうするのだろう…今、こんなことを心配している。
 
以下、月刊致知「三農七陶」から…都会を捨て、田舎に移り住んで、 農業を覚えながら暮らしている夫婦の言葉です。
 
都会に住んでいた頃は、お腹が空いたから食べるという感覚しかなく、感謝も何もなかった。
今は自分で畑を耕し、野菜を育て、芋や豆を食べていると、食べるたびに”生命”を感ずる…
地球や大自然に感謝しながら食べる…とても美味しいのです…毎日の食事は粗末ですが、 食材の新鮮さがたまらなく美味しい。
 
町に住む人たちは、お百姓さんのご苦労など知る由もなく、「旨いの、まずいの」 と食べ物を粗末にする。
たらたら文句を言いながらの食事では、どうしても脂っ濃い味の濃い食事になってしまう。
悪感情が消化を妨げ、内臓を疲れさせる。そんなふうだから、折角口に入れても、 味も解らないまま、食事をすることになる。
 
「食べる」ということは、「生きる」ということにつながる、何にも増して神聖な行為なのです。 どんな味付けをして、どんなものを口に入れ、どんな心で、どんな食べ方をするか…その一つひとつがとても大切なのです。
 
テレビを見ていると、ひたすら美味なもの珍味なものを求め、 食べ歩いて視聴者を引きつけようとする番組が多い。
そこに出てくる食べ物は、私達が言う神聖な食べ物ではないのです。

 

2011年05月09日

儒学者・佐藤一斎

■佐藤一斎「言志四録」名
 
「少なくして学べば 則ち壮にして為すこと有り 
   壮にして学べば  則ち老いて衰えず 
     老いて学べば 則ち死して朽ちず  」
 
「春風を以って人に接し 秋霜を以って自らつつしむ 」
 (他人には優しくし、自分には厳しくする)
 
「一燈をささげて暗夜を行く 暗夜をうれうることなかれ 只一燈を頼め」
 
「太上は天を師とし 其の次は人を師とし 其の次は経を師とす 」
 
「怠惰の冬日はなんぞ  その長きや 
 勉強の夏日はなんぞ  その短きや 
     長短は我に在りて 日に在らず   」
(一生が長いか短いかは、己の心掛け次第だ)
 
 
862 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~ 「儒学者・佐藤一斎」
 
佐藤一斎(1772~1859)は江戸末期、美濃国 (岐阜県)岩村の藩主・松平家儒学者です 江戸で大学頭の職にった” 林家”に、 藩主の息子が養子入りし、名前改め”述斎”と称した。
 
林述斎はなかなかの政治家で、老中”松平定信”に働きかけて、 林家の私塾「昌平坂学問所」を、幕府公認の大学に取り立ててもらった。 忙しくなった述斎は、で子どもの頃学友だった”佐藤一斎”に学問 所を任せ、指導を頼んだ。
 
一斎はその学問所で、三千人もの多士済々の門弟を育てた。
学問所からは、山田方谷や佐久山、 渡辺崋山などの偉人を輩出している。
 
一斎、42歳から11年間、「言志録264条」を書き記し、
57歳から10年の歳月をかけて「言志後録255条」を書いた。
更に、67歳から78歳までの12年間に 「言志晩録292条」を、 そして4冊目の「言志耋(てつ)録」は、 80歳の時に起稿し、2年間で340条を書き上げている。
 
当時から見て、平均寿命が3倍近く伸びた今日でも、60歳を過ぎれば、 第一線から退くのが普通なのに、88歳で没するまで、知力や気力が衰えることなく、 学問主宰した… すごい学者がいたものです。
 
この「言志四録」、一斎の学問の修養・工夫からにじみでた”随想録” で、人間としどうあるべきか、 どう生きるべきかを指南した”人生の書”として、 時代を超えて、 多くの人に読み継がれてきた。
 
西郷隆盛は、 一斎が著した4冊「言志四録101条」 を座右の銘にし、大塩平八郎も、 自らの行動の指針にした。
一斎の教えは、幕末から維新にかけて、日本をつくった指導者たちに、 大きな影与えたのです。
また、松平家の依頼を受けて、一斎が書いた 「重職心得箇条」、(今でいう「管理職心得」)には、
多忙とは 怠け者の遁辞(とんじ) である。
今日すべきことを今日しなかったら、 明日は必ず多忙である
という耳痛い一節がある。
 
                           「生涯学習研究事典」 「童門冬二/歴史に学ぶ知恵」

2011年05月12日

禅僧・関 大徹 「心…便所掃除も修行の内」

■つれあいにモノ申す                              中日新聞
 
[産地物にかぎる]
干物が大好きな夫が、産地からアジの干物を30枚もお取り寄せ。
夕食の時「やっぱり産地直送は違う…絶品、うまい!」
私は言えませんでした…
2日前にスーパーで買ったのを、先に焼いたのです。
 
[平坦な坂道が好きな主婦]
三十数年前に、私たち夫婦が挙げた結婚式で、友人が…
「人生には上り坂、下り坂、そしてまさかの坂道がある」 スピーチした。
 私の結婚生活を振り返ってみると、「まさかの坂」ばかり…
 さすがに最近は「とさか」に来ています。
                    
[…っぱなし]
開けっぱなしの戸、脱ぎっぱなしの服、食べっぱなしの食卓、
ほうりっぱなしの妻…さて、この後はどうなる?
 
 
863 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 
「心…便所掃除も修行の内」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
どこの禅寺も掃除が行き届いている。もし、 掃除の出来ていない禅寺があるとたら、それは禅寺でも何でもなく、ただの居住空間にすぎない。
禅寺がすがすがしいのは、 坊さんが経を読む以上に当たり前のことであり、何も驚くにはあたらない。
 
それよりも、禅寺を見ていただくなら、もう一つ確かなところを見てほしい。 それは便所である。禅寺の便所は、ただ排便をするという、 人間の生理的欲求に応えるだけでなく、”修行の場所”なのである。言葉はきたないが、禅宗では、糞を垂るのも修行である。
 
便所は、隅から隅まで磨きあげ、小のほうの便器に、 青々とした杉の葉が入れてある。
現在、永平寺の貫主であり、曹洞宗管長でもあった秦慧玉(はたえぎょく) 禅師は、十三歳の年から正眼僧堂で修行をされ、それが身にしみていたらしい。
永平寺へあがって、副貫主になられてからも作務を怠らず、 とりわけ便所掃除は入念にやっておられる。
 
吉峰寺を再興された田中仏心和尚も、永平寺の便所掃除を、 亡くなるまで続けれた。旅に出るときは、 便所掃除用の雑巾を油紙に包み、どこの家、どこの宿泊まっても、夜間こっそり便所掃除をしたという。
仏心和尚にとっては、行く先々みんな修行場所だったのである。
便所掃除をしない禅僧など、禅僧とは言えないのである。
 
吉峰寺で、嫁入り前の娘を預かったことが何度かある。
私が便所掃除をしていのに驚いて、自分もしなければと手伝い始めた。
嫁入りするときに、余計な道具は要らない…雑巾が二枚あればよい。
一枚は普通の、一枚は便所掃除用の…。
 
そうして、陰ながら人様に気持ちよく過ごしていただくために、労を惜しまぬ嫁になれば、これにまさる幸せはあるまい。
一般の人にも同じことを言いたい…特に、社長とか管理職にある人に、 その心構えがほしいのです。

2011年05月17日

思い込みの怖さ

■企業の社会的責任            論語の友 「人間の心」から
 
0111中毒事件…「ユッケ」が原因の中毒事件、あるいは、O111が原因
の死亡事件、何れも過去40年、世間を騒がせる事件は起きていない。
こうした経緯が、「生肉の安全管理」に緩みが生じ、企業存続が問われる
今回の事件になった…想定外だったのでしょう?
 
戦後、ひたすら欧米文化にあこがれ、豊かな社会を築いてきた日本。
世界に誇る豊かな国になった今、いつしか人間としてあるべき姿が乱れ、
倫理感が薄れ、危惧すべき問題が山積する社会になった。
 
止め処もなく企業犯罪が繰り返される中、高まってくる「企業の社会責任」
…その問題解決の原点は、個々の””にある。
以下、ある中小企業の社長さんの言葉です。
 
「心のない企業はつぶれます。理念のない企業もつぶれます。
 自社の利益だけを考えていれば、一時は儲かるでしょう。
 しかし、必ず行き詰るでしょう。お客様を忘れた企業はダメになります。
 取引先、社員、自然を粗末にする企業もダメになります。
 お客様を大切にし、心を大切にする企業は栄えます…これは天の理です」
 
 
864 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「思い込みの怖さ」
 
■優先席の若者                                 「職場の教養」から
 
Aさんが帰宅途中、電車に乗っていた時のことです。
優先席に、音楽プレイヤーを聞きながら座っている若者がいました。
しかしその前には、背を曲げた高齢の女性が、 手すりを握りしめていたのです。

若者は席を譲るどころか、目を閉じたまま、音楽に没頭しています。
その様子を見ていたAさん…「どうして席を譲らないのだろう」と思うと同時に、 若者に声をかける勇気もない自分に、 苛立ちを感じていました。
 
電車は次の駅に到着し、若者は席を立って、電車を降りて行きました。
その様子を眺めていたAさんは、若者の片足が義足であることに気づいた。
「何故席を譲らない」と心で責めていたAさん…複雑な思いになった。
 
人を見た目で即断することの恐さを知ったのです。
それからのAさん…相手の話をよく聞き、ただ一点だけを見て判断する
こといよう心がけました。
 
* * * * * * * * * * * *
 
0111事件で、 フーズフォーラス社長の謝罪シーンが繰り返し全国に放映さた。謝罪する社長さんの言動に問題があり、視聴者に悪い印象を与えたのです。
 
その映像が、 社長の人格となって一人歩きし、企業イメージを失墜させ、 社長知る人たちだけでなく、 ほとんどの人が、たった数分の映像を見て、それがすべてであるかのように、 厳しい非難の目を向けたのです…
 
若い社長にとって初めての記者会見…四十人近くのらつ腕記者に囲まれ、 約二時間半質問攻めに合った。最初は冷静に対応し、 応答していたが、記者のみ掛け、あおるような追に、ついたまりかね…切れた。
 
してやったり…その部分がスプークされ、切り取られて、 お茶の間に流れた。
一部始終を見ていた私…日頃は穏やかで聡明、責任感の強い社長なだけに、 マスコミ報道残酷さを見せ付けられた思いです。

アルカイダの頭目ビンラディンが米軍に発見され、 殺されたニュース
大統領の会見発表を好意的に受け止めた私だが、 その後、無抵抗の本人や家を、 射殺したとの報道… 何故逮捕して、裁判で全容を明らかにしよかったのか?
 
フセインを悪人仕立てたときのように、米国に不利益な事情があって、裁判で明らかになるのをたのだろうか?
大きな事件の裏に、真実が隠されていることがよくある。真実が表に現れて来ることは滅多にない。 
 
<参考>
メルマガ No 96「アメリカの謀略? リメンバー9/11」 
             No 98「アメリカの謀略? リメンバー9/11(3)」
             No834「イスラムにとって聖戦とは」  

2011年05月19日

自由に、伸び伸びと、個性豊かに…

■戦前の「小学校修身教科書」から…「克己(こくき)」
 
高崎正風は、薩摩の武士の家に生まれた。九歳の頃、或朝、食事の時に
「御菜(おかず)がまずい」と言って、食べませんでした。
召使は、何か他に御菜をこしらえようとしますと、隣の間に居た母が来て…
 
「お前は武士の子でありながら、食べ物にわがままをいいますか…
 昔、いくさの時には、 殿様さえ召し上がりものがなかったこともあるという
 ではありませんか…どんなに苦しくても我慢をしなければ、よい武士には
 なれません…この御菜がまずければ、食べないがよろしい」
 
と言って、正風の膳を持ち去りました。正風は母の言葉をひどいと思い
ましたが、遂に自分の我がままであったことに気づいて、何度も母に詫び、
姉もまた侘びてくれましたので、許されました。
 
以後食事について、決して我がままを言うまいと誓いました。
それからの正風は、この誓いを守るばかりでなく、どんな難儀なことでも
よく我慢したので、後にはりっぱな人になりました。
 
※「てんびんの詩」の少年と母親、姉の姿が浮かんでくる…
 何でもかんでも、戦前の教育は悪いと否定せず、
 このような道徳・ 倫理教育は大いに強化すべきでしょう。
 
 
865 【心と体の健康情報】
~子育て~
「自由に、伸び伸びと、個性豊かに…
 
米国在住25年、松尾 和先生の講演から…
子育てを一生懸命する中で親が育ちます。どんな親になるかは、 子供がりはるかに重要なのです…
 
戦後教育で、子供は自由に、伸び伸びと、 個性豊かに育てるのが良いとされきました。この米国から入ってきた「自己中心的思想」が、 日本を駄目にしていです。秩序ある社会の中で暮らしていくには、「自由に伸び伸びと…」 といういきません。
 
毎年繰り返される、成人式での騒動がそう… 「自がいい」 ということは、 「不自由がいけない」 ということになります。
不自由が良くないのであれば、結婚も不自由、 子育ても不自由ということになる。
 
不自由は嫌だからと離婚し、子育てを放棄してしまう 会社勤めは、人の自由を束縛するから、 フリーターのような生き方を選択する。
何不自由なく育ってきた若者たちに、「不自由の中に本当の幸せがある」 を、 どうすればわかってもらえるでしょうか? 
子育ては大変です…手のかかる子育ての中ら、ぶことが沢山あるのです…
 
学校教育システムなどというものは、人類の歴史において、 つい最近作られたものです。人類が良かれと思って作った制度やモノも、普及すると、 とんでもない害及ぼしてしまうものが、幾つもあります。
 
自動車は大気を汚し、農薬は生命を脅かします。 その一つに義務教育があります。 その教育システムが、家庭の崩壊を招いてるのです。
教育の場での「自由に、伸び伸びと、個性豊かに」… がいけないのです。
”戦前の教育”日本を滅ぼしたように、”戦後の教育”もまた、今の日本を、危機に陥れているのです。
 
伸び伸びは「明るくて、積極的で、元気な子」 ということですが、これを”教育者”が言うから善くないのです。
この言葉は「自由」と一緒に米国から、日本の教育界に入ってきた言葉です。
「競争社会に向いた子供が評価される」…そうした米国の自由思想が、日本に持ち込まれ、 自分さえ良ければいいという「個人思想」をあおるのです。
 
「優しくて、消極的で、弱々しい」性格の子供はどうなるのでしょう?
そんな子供は評価されず、誰からも目をかけてもらえず、いじめられる教育環境なのです。
歴史に残る偉業を成し遂げた人も、子供時代は、性格が暗かったり、病弱だったりして、 目立たなかったのです。
 
ベートーベンは暗くて嫌な性格でした。松下幸之助は病弱で、宮沢賢治は「伸び伸びと」 のイメージには、ほど遠い性格でした。
演歌歌手の都はるみや伍代夏子も、子供の頃は人前に出ることが大の苦手でした。
 
「伸び伸びとした子が…良い子」だとする、偏った考え方になってしまうのが、教育の怖いところです。
競争社会には向かない性格の子供であっても、その子が持つ才能を見出し、開花させていく…それが 「子供を育てる」ということではないでしょうか。

2011年05月23日

「蛇足」の由来

【中国寓話】
 
「おまえに土産をやろう」と言って、
仙人が小石を指さして、黄金に変えた。
 
が、男は嬉しそうな顔をしない。
大きめの石を黄金に変えても、男は首を縦に振らない。
 
不思議に思った仙人がわけを聞くと、男は言った…
「仙人の…その指が欲しい」
 
人間の欲の深さと、その愚かさを戒めた寓話です。
 
 
866 【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~故事から学ぶ~ 「蛇足の由来」
 
楚には、歴代重職につく「屈・景・昭」という御三家があった。
戦国時代半ば、昭家の”昭陽”は大臣職の地位にあったが、
軍を率いて”魏” を攻撃 敵軍を壊滅させて敵将を討ち取り、
八城を奪い、さらに矛先を”斉”に向けた。
 
恐れをなした斉王は使者を派遣した…使者は昭陽の前にひざまづき、 戦勝を祝賀て言った。
「楚では、敵軍を壊滅させて敵将を討ち取った場合、どれほどの官爵を賜りますか?」
『さよう、官は上柱国、爵は上執珪といったところかな』 
「それより上は?」 『宰相だけだな』
「宰相といえば並ぶものなき最高職…二人置くわけにはまいりません」
と使者は言って、たとえ話をした。
 
♪ある司祭が祭りのあとに、使用人たちに大杯に一杯の酒を与えた。 みんなで飲むには足りないが、一人で飲むなら十分だ。
そこで、地面に蛇を描いて、最初に描きあげた者が飲むことにした。
 
さっと描きあげた男が、杯をとって「まだ…足まで描けるぜ」 と描いているうちに、もう一人が描き終え、杯を奪い取って言った…
「蛇には足なんてないんだ…描けるわけがないだろう」
足を描いた男は酒を飲み損ねた…
 
この故事から、なんの益もない余計なつけ加えを「蛇足」というようになった。
 
使者の結論はこうである…
「あなたは楚の大臣として”魏”を攻めて大勝利し、尚も勢い盛んに”斉” まで攻めうとなさっています。
しかし、功名はこれで十分…しかも昇進すべき官職はない。
勢いに乗りすぎると身の破滅…せっかくの地位を他人に奪われてしまいます。
これ以上勝利を求めるのは、ちょうど”蛇の足を描く”ようなものです」
 
この使者の名は陳軫(ちんしん)…戦国時代に諸国を遊説して歩く「説客」 の一人です。
諸侯たちは、厳しい生存競争を生残ろうと、有能な人材を集めていた。
説客は、諸国を渡り歩いて各地の事情に明るく、諸侯の要請にこたえて、 内政の改革や外交交渉などに活躍した。
 
陳軫は”楚”の地を歩き、”秦”に仕え、連衡策で”蘇・秦”の合従策を破った”張儀” 対立したりした歴史上の人物である。
昭陽が、斉への進撃を取り止めたのは、までもない。
 
                                 丸山松幸著「中国の名言100」

2011年05月25日

自由に、伸び伸びと、個性豊かに(2)

■「和」の精神で、 部下の過失を許した、
 土佐藩家老・ 野中兼山の逸話                       (論語の友)
 
紀州はミカンの花が多いので、 蜜蜂を飼うことが盛んだった。
土佐藩主山内候の家老で学者の”野中兼山” は、”養蜂”を思い立ち、
家来紀州にやって、 種になる蜜蜂を求めさせた。
 
兼山の家来は一箱の蜜蜂を手に入れ、 無事に土佐の港に帰ってきた。
ところが家来は蜜蜂の正体を知らず、 箱の中には甘い蜜が一杯入って
いるものと、 思い込んでいた。
 
無事お役目を果たしたことでもあり、 少し馳走になろうと、箱のふたを
開けたとたん、 数千匹の蜜蜂が一斉に大空に飛び出してしまった。
さあ、 大変なことをしてしまったと、 家来はすごすご兼山の邸に行き、
過失を詫びた。
せっかくのお役目を無にしてしまった故、 どんなおとがめを受けるかと、
ビクビクして待ち受けていると、 兼山は怒るかと思いきや、 カラカラと
大声で笑った。
「これは驚きいった。蜜をなめるのはよいが、 舌を刺されたらどうする
じゃ。 蜂はどうせ、 ご領内のどこかに逃げたのだから、 持ち帰ったも
同然じゃ。 ご苦労、ご苦労」 と、 却って家来を慰めた。
 
本人はもとより、 どうなることかと心配していた他の家来たちも、
ほっと一息つき、 兼山と一緒にみんなで笑い過ごしたという。
                                  
 
867  【心と体の健康情報】
~子育て~
「自由に、伸び伸びと、個性豊かに(2)
 
米国在住25年、松尾 和先生の講演から…
思想教育は排除されたはずなのに、戦後新しく生まれた思想が、 義務教育に大きな影を与えています。
 
個性を大切にする…この言葉も「自由に伸び伸びと…」と一緒に、 米国からきた神話です。 現実のアメリカは差別社会…「個性を大切に」 と言っても、誰も相手にしてくれません。
 
芸術的才能のある人がいたとします。その個性をどんどん伸ばしていくのは、素晴らしいことです。ただ、こうした人達にありがちなのは、自分だけの世界閉じこもってまうことです。
社会性がまったくなく、奥さんや子供を泣かせまう人が多いのです。

このような個性の人を、「自由に、伸び伸びと、
個性豊かに」 と伸ばしていったらどうなるしょう。 マレにそんな人がいてもいいのですが、それを教育によって、 十人に九人が「自由に、伸び伸びが良い」としたのでは、 世の中おかしくなってしまいます。
 
古い話ですが、米国で民主党のクリントン大統領が、 女性問題を起こしたことがあります…しかし、 支持率は下がらかった。
仕事さえ出来れば、人間性は問われないという国なのです。
米国は、子育てがくななってしまった国です。子育てがなくなると、モラル・ 秩序のない会になってしまいます。
 
周りや家族のことを考えて、 自由や我がままを抑えることが出来るようになったことを、「大人になった」と言います。
そうした大人たちによって、世の中の序・モラルが守られていくのです。
 
成人式の会場で酒を飲み、周りの迷惑も顧みず暴れまわる新成人は、 まだ大人になりきれないおども(大人でも子供でもない人)でしょう… 一人では何もない臆病者のくせに…
 
東北大震災で、諸外国から絶賛されたように、日本は、 モラルや秩序がきちんと守られる国です。 お酒やタバコの自動販売屋外に置かれている国は、日本以外に見当たりません…米国だったら、一晩で消えてしまうでしょう
 
近年、モラル・秩序が欠如した近隣諸国から来た人たちが、街に設置してあるATMや自動販売機を破壊して、社会をがせていることでもわかります。

2011年05月30日

落語・ちりとてちん

■福井県の話題
○東尋坊の「もみわかめ」
 福井県三国の東尋坊は日本海にせり出していて、 魚介類が豊富で
  す。ダイバー仲間と越前の海によく潜った。その頃、魚を手ヤス
 突くのが楽しくて、ハチメやハタ、カサゴなど、 沢山持ち帰っもの
 です。
 越前海岸はワカメがよく採れる。海が荒れた日の翌朝、地元の
  年寄りが、 先に鎌をくくりつけた竹竿で、ちぎれて岸に打ち上げられ
  ているワカメを採集する。
 
  そのわかめを天日に干して細かく手もみして、「もみわかめ」 する。
  それを一升瓶の空瓶に詰めて売っている。塩の香りがして、焚き
  てご飯にフリかけると美味しいし、おにぎりに混ぜても美味い。
 
 収穫の時期は春…初夏には土産店に並ぶ。越前海岸へドライブ
  したおみやげにいかがでしょう…
 
○コシヒカリは福井県生まれ
 新潟県といえば「コシヒカリ」…新潟県を代表するブランド米ですが、
 福井県で生まれたお米だということを、 知る人は少ない。
 
 
868 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
~ことば遊び~ 「落語・ちりとてちん」
 
落語「ちりとてちん」平成19年、 NHK朝の連続テレビ小説での稽古風景に登場してから、広く知らようになった。
テレビの物語は、故郷福井の若狭から大阪へ飛び出し、落語家を志す女の子が、 落語修業を通して成長していく姿を、 笑いと涙でつづったものです。
 
落語「ちりとてちん」の「ちりとてちん」とは、稽古場から聞こえてくる三味線の音色を表している。
♪さる家の旦那が、お向かいに住む金さんを座敷に招き、ご馳走する。
金さんはお世辞のうまい人で、振舞われた鯛の刺身や鰻の蒲焼を、「生まれて初て食べました」 「寿命が伸びます」などと言いながら、美味しそうに食べる。
 
宴がすすむうち、近所の竹さんのことが話題になる。
この竹さん、金さんとは正反対の性分で、ご馳走をしても、何をあげても、 素直に喜ぶということがない。
なんとかして竹さんをへこましてやろうと、考えている旦那のところへ、家の者が「豆腐を腐らせてしまった」と言いにくる。
 
それを聞いた旦那…「そうだ!この腐った豆腐を、 竹のやつに食わしてやろう」と思いつく。
腐った豆腐を「台湾名物ちりとてちん」だと偽り、薦めようというある。
 
さっそく家の者が竹さんを呼びにいき、旦那は鯛の刺身や鰻の蒲焼を振舞うが、 案の定「鯛ねえ…マグロのほうが美味しいね」「この鰻… 養殖でしょう」などと憎まれ口。
次に旦那が、瓶詰めにした「ちりとてちん」を薦めると、知ったかぶりの竹さんは、「台湾では、朝に晩によく食べていた」と言い出し、 旦那の前で食べてみせることひと口食べるや…悶え苦しむ。
 
旦那「どんな味や?」と聞くと…竹いわく 「ちょうど豆腐の腐ったような味です…」
 
 ー * ー * ー * ー * ー* ー * ー * ー * ー
 
落語「酢豆腐」を、3代目柳屋小さんの門下生だった、 初代柳屋小はんが改作してまれたのが「ちりとてちん」。上方では初代桂春団治、東京では5代目柳屋小さん得意ネタにした。
 
小さんの語り口は、前半はのどかな宴の様子をほのぼのと描き、後半、 金さんが場すると、 旦那と金さんのやりとりや、飲んだり食べたりする仕草をして、情景が目に浮かぶように暖かく演じていく。
                              「落語の蔵」 より
 

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About 2011年05月

2011年05月にブログ「吉村外喜雄のなんだかんだ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

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