■ 心 眼
民放TV番組での実話です…
5歳の時事故で失明し、両親の顔も、
空の色も思い出せないまま、
松葉杖にたよる生活で大人になった。
結婚して、二人の子供に恵まれたある日、
眼科の先生から…
「手術をすれば目が見えるようになります…成功率は50%です。
但し、失敗したら後遺症が残る恐れがあります」
悩んだ末に手術…そして成功…視力は0.1に回復した。
奥さんの顔…
初めて見る二人の子供…
空の青さ… 目に入る景色
…
すべてが感動の日々。
しばらくして、大きな問題に直面した。
30年も暗闇の世界にいて、
物を見て判断する脳細胞機能が、退化していたのです…
見たままを脳が処理出来ず、
ストレスと疲れが溜まり、
日常生活に支障をきたすようになった。
ある日、目をつむって家の中を歩いてみた…
口笛を吹くと、
音の反射で、周りの家具や壁の位置が分かる…
目が見えなかった時、
普通にやっていたことです。
それからは、視覚を「心眼」
の補助機能にすることで、
快適に生活出来るようになった。
849 【心と体の健康情報】
禅僧・関 大徹「貧欲・しんに・愚痴」
人生の書、禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」から…
結婚式で新郎は、「あなたを生涯幸福にします」
と新婦に誓う。
ところが「少しも幸福にしてくれないじゃないの…」と、離婚騒ぎになるのは日常茶飯事。妻が思っていた「幸福」とは、一体何であったのだろう?
そして、夫が誓った「妻を幸福にする」という幻想は、いかなる世界なのか?
吉峰寺には、目や耳の不自由な人が時折坐禅に訪れる。
23歳で失明して、
盲学校に通って点字を覚え、 マッサージも覚えて、いま
「修証義」を点訳し、
点字で写経を続けている人がいる。
「方丈さん…目がつぶれたときは、人生に絶望しました。
けれども、そのお陰で”技術”を身につけることができ、
結婚もでき、子供も大きくなりました…これに勝る幸せはありません」
この人は、家事労働は無論、食事も作る。ボタン付け程度なら、裁縫もやる。
身体の不自由な人は、 健常者の何倍も努力してきた結果…
勘がするどい。
たとえ目が見えなくても、
「心眼」
が開いているのです。
だから五体満足で、肉体の目は開いていても、まるで”
ものが見えていない”人たちを、気の毒に思うそうです。
目は見える…しかし、それを自分の内面でとらえる”
心の目”が曇っているのです。
仏教ではそれを「三毒の煩悩」という…「貪欲」
「瞋恚(しんに)」
「愚痴」である。
「貧欲」とは、あれが欲しい…もっと欲しい…安楽に暮らしたい…
というむさぼりの心。
「瞋恚(しんに)」とは、自分は間違っていない…あの人が間違っている…
という身勝手な怒りの心。
「愚痴」は、自分の運命は自分で背負っていかなければならないのに、そのことが周りの責任であるかのように、愚痴る心。
人間として、生かされている幸福を確かめられぬ者は、すべて、この曇りによるものと心得られるがよい。
しかし、この曇り…自分自身の手で取り除くよりほかはないのである。