■小沢一郎「至言」
小沢一郎…菅政権の低迷を横目に、豊富な資金で培った派閥を
後ろ盾にして、水面下で新たな動きを始めている…
一平卒になって、民主党政権の欠陥がよく見えるのか、先月初め
ネット番組に出演した時、的を得た発言をしている。
「(民主党政権が)失敗したらごちゃごちゃになる…
民主党がダメでも、自民党に(政権を)返えそうとは、国民は
思っていない。(総選挙で)民主も自民も過半数を取れない…
ぐちゃぐちゃになって…極右・極左が出てくるだろう」
「政権交代に期待した国民の深い失望が、どうしようもない政治
不信に発展しかねない…放置すれば政党政治は凋落して、
極端な言動がまかり通る世になる…」と、小沢は警告する。
11/22 中日新聞「社説」
太平洋戦争直前…内政も外交も行き詰まり、無為無策の政治へ…
国民の不安と不満、憤りが高じたのに乗じ軍部が暴走…
太平洋戦争…そして敗戦へ。国民は破滅の道を歩かされた。
そのような過去の過ちを絶対繰り返してはならない。
821 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~歴史から学ぶ~
「西郷隆盛/論語と自顕流と座禅」
NHK大河ドラマ「竜馬伝」は、竜馬暗殺で完結した…
幕末の動乱で薩長同盟に尽力し、明治維新への原動力となった坂本竜馬…
フランス革命のように、血で血を洗う悲惨な戦争をすることなく、徳川幕府は朝廷に大政奉還…
明治新政府に政権を譲渡した。
このような”無血革命”…
世界の歴史に例がなく、
西欧から”奇跡”
と言われた。その大業の中心的役割を果したのが”西郷隆盛”である。
この歴史の寵児・西郷隆盛の「統率力(太っ腹)、正義感、
信念」は、
どこから生まれてきたのか?…
この偉大な革命家を育んだ源泉は?
源泉の一つは、薩摩藩独特の教育制度「郷中教育」にある。
郷中教育の真髄は”文武両道”…若き西郷は「論語」と
「自顕流」と「座禅」
に明け暮れる毎日…
薩摩藩では国を守るために、城を築くことより、 青少年の育成を重んじたのです。
五十戸を一つの単位にして、年長者が年下の若者を教え、年少者は年上を敬い、
勉学と武道に励んだ。
郷中の青少年が、お互い切磋琢磨しながら「胆力」を練り、危機を乗り切る「知性と根性」
を培ったのです。
中でも西郷は、仲間の先頭に立って「四書五経(大学・中庸・論語・孟子)」
を学んだ。武道の鍛錬も怠りなく、
薩摩藩独自の剣術「自顕流」(皮を切らせて肉を切る)の朝稽古に励み、心身を鍛えた。
更に、夜が明ける前に起きて、誓光寺の無参禅師のもとで「座禅修行」…
どつしりとした肝の座った人間になりたいと… 石の上で座禅を組み、「無私無欲」
「本来無一物」、 何事にもこだわらない心、
「不稔不屈の精神」を練り上げいていった。
二つには、久光公の怒りをかって、
奄美の島へ五年間島流しにされた時…龍郷村で三年間、沖伊良部島で一年半、
三食ともに冷飯に焼塩を振りかけただけの、死と背中合わせの格子牢生活の中にあったが、
地元住民の愛に救われ、西郷という人間を育んだ。
特に、伊良部島の「西郷塾」では、西郷が愛してやまない”禅思想”を、
村童を集めて啓蒙した。
「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末にこまるもの也。此の始末に困る人でなければ、かん難を共にして国家の大業は成し得ないのである」
このような生き方をした西郷どん…後年、私学校の生徒たちの情熱に心打たれ、
西南戦争に巻き込まれていく。
西郷亡き後、 「西郷どんは、禅に学んで禅に倒れた」
と、大久保利通に言わしめている。
論語の友「西郷隆盛と奄美」
より